友達が、わたしのブログを見て、「病院のことを書いてあるのを見て、驚いたり、悲しくなったりするけど、勤めている人は、神経が麻痺しちゃうのかな」ということを書いたメールをくれた。
それで、少し冷静になってみようと思い、きのう、また病院に呼ばれたので、ちょっと、「決めつけ」ないで、話を聞いてみようという気になった。きのう、話したお医者は、院長ではなくて、父に癌のできた所の専門医。職人気質らしくて、てきぱきというわけではなく、どちらかというと考え考え、あれこれ、説明してくれた。なんというか、患者の気持ちを思いやるとか、家族の気持ちを考えるとか、そういうことではなくて、その病気というものの専門として、話す感じ。深刻ぶるでもなく、ただただ、病気の治療について、考える男と言う感じ。質問に対して、はぐらかさず、すべて答えてくれた。そうこうしている内に、院長がやってきて、性格なのか、セカセカ話す。性格だけでなく、院長という経営者の立ち場もあって、ものごとの判断を急ぎたいのかもしれない。この人たちは、みな、わたしと同世代で、数十年前は、机を並べていたかもしれないなと思って、少年のころの顔を想像してみた。院長は、自分の仲間のお医者がそこにいるからか、少し、ざっくばらんになって、本音もちらほら出て、なんとなく、人柄がわかってくる。けっこう、おしゃべり好きだ。
とにかく、やはり、情報を握っているのは、彼らなので、話してくれれば、こちらも、だんだん、わかってくる。誠意とかそういうことは、それぞれの仕事の範囲であってももちろんいいと思う。できれば、経営者としてではなく、職人として話して欲しい。何より、今回は実は、MRIの結果が出て、お医者も私たちも、ある種の「モード」に移項した。つまり、父の身体は、画像的に見て、すでにぼろぼろだったのである。科学にはわたしも、やはり、弱い。
院長が口にした「奇跡もあるし」という言葉。科学者から見れば、奇跡かもしれないことというのは、他の目では違うということもある。母が、「気分が良くなるから、御茶を飲ませたい」としきりに言うのもは、科学的には、気休めにすぎなくても、意味はあるだろう。
あとで、看護士さんとこれからのことを話した。癌は別としてもこのごろ、父が弱っている理由は、転院のストレスだろうということ。身体の弱っている老人の転院は、危険なのだけど、厚生省の決めたこと。どこで話しても、最終的には、おカミ批判になってしまう。
アディーナとのプロジェクトの「戦争に対してアートは何ができるか」という、古めかしいテーマ。わたしは、「何もできない」という意見もあっていいと思う。わたしは、割とそういうタイプ。だけど、それを考えること自体が大事だし、なぜできないか、というスタンスを明確にした方がいいと思う。でないと、発注があれば、そのテーマでなんでもやりまっせ、みたいなアーティストになっていいのか?という別の問題が浮上するから。
映像アップしました。このときは、癌にかかった友達から、イベントやるから出ないかと言われた。イベントのタイトルが「Action for Cancer 」。わたしは、彼の想像力を愛する信念が大好きだったし、生命について考えさせてくれるのは、うれしかった。参加して、まさに彼の身体の「イマジネーション」のための作品を考えた。これにも、「何かいいことに関わるのは、えらいね」という妙な感想をもらった。なんだか、そういうのは、わたしには、わからない。「いいことをする」という意味がわからない。したいと思うモティベーションは、別のところにある。
(後記)あ、編集し直しました。見たい人は新しい日記か、または私のYouTubeチャンネルを見てください。チャンネルのURLは、このブログからもリンクしてます。