17.3.10

エレクトロニカ後

少しネット状況の進展。すべてのメールをG-mailで見ることにしました。そうすると、電車の中などで、メルマガを読んだりできます。iPodは、free wifiでもないと、新しい情報は入らないし、返信はできないけど、読んでおく、ということはできます。大事なファイルやとっておきたいメールなどはPCに向かった時に、ダウンロードしておく。このことで、PC内が重くなることを、自然に阻止できます。ま、ずっと前からそうしている人も多いでしょうね。

最近、パレスティナの人とFacebookを通じて知り合いになりました。全く知らない人ですが、わたしのパフォーマンスのビデオを使って(たぶん、YouTube)パフォーマンスアートについての、プレゼンをしたんだそうです。積み重なる死体をイメージしたものだったので、それ知っていたのかしら〜と、不思議な気分になりました。Listen! という心臓音を聞くパフォーマンスです。

Twitterは最近、「活用術」講座がたくさんあって、とても、期待されているみたいですね。わたしも、たまに、耳より情報があるにはあります。でも、何百とフォローしている人は、返って見逃しているんではないかな。実際、早く知らなければならないことなど、それほどないですよね。ただ、目次としてはいいかもしれません。それから、親しい友達のリアルタイムなつぶやきが見られるのは、楽しいかもしれませんね。でも、わたしは、それほど、いろいろ親しい人はやってないみたい。政治には、有効だと思います。常に、誰かとつながって、情報を出し合う必要のある人には。

でも、自分に集中するためのまとまった時間が、ものつくりの人間には必要だし、孤立した感じも大事よね。どんな「エレクトロニカ」なつながり体験よりも、悠久で、隔絶した時間の方が、ずっとラディカルだと今は感じています。
っっっどよ〜〜〜んと、時間の厚みを感じる、何かをみたいし、やりたいです。

孤独な人。その自分の声を、自分の身体の中で、こだまさせているのだろうと感じさせるような人。人間という異常な生物の邪悪さが、裏返しに見え隠れする。密度のある身体です。しっかり丸めたお団子のような感じでもある。内面的であるかどうか、とは別の意味で。それが、制作には必要。

たぶん、エレクトロニカなことを知った後と、知る前では、違う感覚になるにちがいありません。妙なところで、妙な出会いがある、という点で、エレクトロニカな世界も、捨てたものではありませんから。知覚の感覚に影響がないはずが、ありません。

以下、Art iTヘのリンク。上記とほぼ同様の内容。
つながり/孤独な時間の大事さ