21.3.10
行き来
イワサキく〜〜ん。これでよいのですか? あなたは、奉行所の門に落書きをした方ではないですか。まあ、わかります。それより、約100年後には、爆弾しかけられたんだもんね。こうなるのは、当然だ。攻撃したり、守ったり。立場が、行き来するのが、世界というものですね。
ところで。
いろいろ考えた。ソロパフォーマンスをしても見に来ない人が、企画ものをすると見に来たりする。たぶん、わたしのものだけを見るのは、重荷なんだろうなと思う。ちぇ。わかんなくもない。でも、企画ものは、来ないで、ソロイベントの時は、来てくれる人もやはりいる。ありがたい。両方来てくれる方々は、わたしがあの世に行っても、忘れません!
だが、人気の度合いで、やっていくべきこと決めるのは、違うのだろう。
今後もディレクターとアーティストを、行き来していては、中途半端なのりから、出てゆけない。なので、決断することになるのか?
以下は、ドイツの19世紀から大きくなった重工業の「クルップ」の20世紀初頭ごろ〜中頃の社長の銅像。近代国家主義の興隆とともに、各国の兵器製造の御用達となったわけ。この会社の社長は、第二次大戦の後、ナチに協力したので戦犯として、しばらく投獄されていた。その後、会社は盛り返したけど、今はそれほどでもないらしい。因に、徳川の最後のころも、明治も最初頃も、日本は、この会社から、大砲などの兵器を買っていた。
......う〜んと。誤解されがちなんだけど、わたしは、そういう制度を批判しようとは思っていません。関係とか、構造とか、そういうことに関心があるのです。ですから、ミツビシファミリーを攻撃したり、迷惑をかけたいとも思わないし。むしろ、その歴史の厚さや、歴史の皮肉に興味があるのです。