15.10.09

分業可能か?

手帖の管理が大変になってきました。ふたりの友達が、モレスキンを使うように勧めます。おしゃれで楽しいモレスキンで管理すれば、忙しさへのストレスも、緩和されるでしょうか。

土曜に父がついに病院から帰ってきます。介護認定4です。
3種類の介護施設とのつきあい、ケアマネージャーはまた別の事業所、さらに医者、へたすると2つの病院に関わることになります。相手は6人ということになります。役所はまた別です。
週に4〜5日は、誰かが彼を送りだし、迎えるために、家にいなければなりません。
母がいます。
しかし、名前だけでも、リハケア、ケアマネ、デイケア、デイサービス、ケアハイツ、訪問リハ、訪問看護、など、老人には、負担でありすぎます。仕組みも同じく。だから、わたしが把握しなくてはなりません。
当事者性なんてこと言ったって、無理だよな〜、と思う。

収入がなくなりかけているのにどうしてくれる。

きのうの夕方会った友達が、ベーシックインカムの本を見せてくれました。うん、だけど、今はわたしはそれどこではない。どうでしょう、ひとりであらゆる重要なことに手をつけていることはできないのだから、世の中は、分業ということでどうでしょう?それに関しては、今は、関われない、だけど、関わりたい、関わっている方々から、時々、お話をしてくださいってのは?
数日前に書いた「自分の興味のあること」にしても、それを全部やることはむずかしいのです。信頼できる人たちと「分業」したい。むりかな。やはり、自分の中で、やりとげるべきか。

それどこではないのに、ライブは聴きに行きます。暇だからではありません。
昨日の夜は、ピアニストのカワイタクジさんが、作曲家のタカハシユウジさんの曲を弾くのを聴きました。前に、即興ライブで聴いたワイルドなカワイさんとは、別人のようでした。「ひらがな」を演奏している、と言う感じ。わたしは、タカハシさんとミヤケハルナさんの作品集のCDを1枚だけ持っています。ずっと前に何回も聴きました。本を一冊。スイスのバックパッカー向け宿に、置いてあったのを、もらってきました。クセナキスについての本なので、むづかしすぎで、かざってあります。それから、水牛楽団もちょっと興味があった。タカハシさんの弾くピアノも何かで聴いたことある。姿も何回も見たことがある。で、いつの間にか、テーストは知っていたみたいです。たいして知らないけれど。
ライブで配布された紙によると、ピアニストへのインストラクションがいろいろあって、言葉を発したり、即興で行う部分があったりします。「風の中の蠟燭の炎のように不安定に演奏する」というのがあって、たしかに、カワイさんは、そうしていました。不思議。「自分の間違いを尊重することで書いてある音を改変する」というのは、どうだったのか、わたしにはわかりません。インストラクションを聴衆は知っておくべきなのか、知らなくてもいいのか、などと考えたりしました。知っている方が面白くはある。
ピアノのコンサートを聴いたという印象でなくて、とても、不思議でありました。もっと聴きたいな。カワイさんの、指を鍵盤から離すとき、手がくるっと裏返って、手のひらが天井を向くのは、いつもなのかしら。カワイさんありがとうございました。

聴きながら、わたしのワイングラスを割っていくパフォーマンスのことを、思い出していました。

それから、「無音」をどう作り出し、どう次をはじめるか、をテーマにした多摩美の学生さんたちとのサウンドミーティングのことも考えておりました。「どう」というところに、皆の思想が宿るのだと思うのです。思想はどこからか、引用するのではなくて、わたしたちが考える。しかも、複数の頭で。エキサイティングでありますが、これまでのわたしの経験で、それがどれほど、壁を持っていることか、も承知。さて、どう挑むか。