お店に人に「苦いチョコ、流行らなくなったのね」と言った。「いいえ、流行らなくなったんではないんです。入らないだけです。」と店員は言う。わたしは、微笑みながら「入らないって、注文しないってことでしょ。それって、流行らなくなったからじゃないの?」すかさず店員「いいえ、入れても売れないからですよ」
わたしはだまる。
これは、わかりやすい例だけど、世間は、こういう会話に満ちている。
何か理由があって、その店員は、流行らないということは、不名誉なことだとでも思っているのかもしれない。「商品って、そんなミーハーなものではないんですよ」とか?
毎日毎日そういう会話や行動が気になってしまう。「違うだろう!!」「そう来るの?」それを、追求していたら、哲学者中島義道先生みたいになってしまう。今日もひとつしそうになったので、ちょっと間を置く。
カフカの「失踪者」を読んでいる。「アメリカ」とは同じ話なんだけど、どこか、ちょいと違うらしい。「アメリカ」読んだのは、ずっと前なので、ディテール覚えてないし、わたしも変わったから、この可笑しさがよくわかる。シュールではない、ものすごく、リアルな話なのだ。変な人たちばかりに囲まれた生活。日記を書いて、著者名をカフカにすれば、よいかもよ。あたしも、そういう行動や発言をしているのだろう。時々、わざとやってみたりする。
.............当然だ、世界にはリードプレイヤーはいないし、どの人も自分がリードプレイヤーだと思って行動する。
以下、二つのクレムリン。ふたつめは2006年12月、青山の歩道橋の「クレムリン」。単に、歩道橋の上をシベリアに見立てて、フィンランド人と日本人が、フィンランドのウオッカと日本酒で、ロシアを破ったことを記念して、乾杯、万歳、を唱えただけのことなんだけど、「あれは本当にいいパフォーマンスだった」となぜか言っている人がいる。本人は、ちょっとスカシが過ぎたかしらと思っているのだが、観客の方が進んでいるのかもしれない。つまみは、赤穂の甘塩とにしんの干物だった。橋の欄干の、雪みたいのが、赤穂の甘塩。この恨みはらそうぞよ、だったっけ。それは、金色夜叉かな。写真クレジットはAyano Shibata。