今、制作中。Missing in Yokohamaのインスタレーションバージョンを作っている。なぜ、髪を金髪に染めて、町を歩きたくなったか、思い出せない。友達に聞くと「完全にはまっていたよ」と言うばかり。切実な理由があったことも確か。
パフォーマンスをストリートで行うということの、理由と意味を考えていたのだと思う。
室内でするような内容のことを、ただ、外へ持ってきても、つまらない。
外には外のコンテキストがあり、それの中に作っていかなくては意味がない、と思ったと思い出す。
失踪することは、都市の最も、レギュラーなあり方だと、わたしは思っている。迷うこと、誰かを探すこと。
なぜだかわからないけど、自分の居場所を見つけて、作っていく、というようなリアリティには、ならない。
それは、たぶん、わたしの内側に起こっていることを、外界に投影するとそうなる、のだと思う。
だが、そういう自分の気分にすぎないことを、作品にするのは、別のエネルギーがいる。そこが、創造のところ。
作る事がすきな人と妄想することが、好きな人が同居すると、身体の中が、喧嘩になる。
もともと芸術的な素材を使って、自分自身の工夫を作品にする、という人もいるし、そういう作品を見るのは好きだ。
なぜだか、わたしは、絵画を描いてい時代ですら、身体感覚、脳の感覚を、テーマにしてしまう。
とは言っても、自分の物語ではない。それだけは、確か。自分を特化するのは、作品だとは、思わない。
制作していると、面白そうなイベントにどれも行けなくなる。くそ。