何も「掬って」ないではないか?アートは。
今月末から始まる予定の「MediAcitons」では、どういうスタンスでいこうか、まだ迷っている。「パブリックな」人間として、「前向きに」語られている言説の、尻馬に乗ってみようかと思ったこともあるけれど、それで、どうなる? パンフレットの「挑発的」なアイデアを頭に叩き込んで、ワークショップ案を10個以上も考えてみたが、まあ、それは頭の体操、ということで、もう少し、真剣に「掬う」ことを考えたい。
「人は、メディアを手にした」。しかし、関係性は、より希薄になっている。
躁状態なふりするなんて、まっぴらでしょう?