29.9.08

やはりプロジェクトかな

港町往来ワンダララ計画は、メインのメンバーの名刺を作ることになった。
それって、やはり、プロジェクトだよね。
端から見ると、「ごっこ」かもしれないし、それぞ本当に、グループ活動かもしれない。「多くの人」が、使うような言い方を、意識することの無意味さを感じる。
つまり、同じ日本語を使っていても、全然、違うイメージを人々が持つってことだ。そこをどう話すか。

ところで、わたしは、TVドラマの、次の台詞を当てるのが、得意です。
でも、現世界ではそうはいかない。
なぜだと思いますか? 世間は主人公が1人ではないから。現世界は、ひとり一人が、その主人公なので、その人のドラマを回りが、つきあってはくれない。ドラマとドラマがぶつかる。
いかに、いわゆる一本の流れのあるストーリーが、不自然で、現実的でない、ということがわかる。ふふふ。なぜ、ふふふかは、わたしの展示作品「Missing in Yokoahama"を見るとわかるよ。

ところで、DVDプレーヤーは、買った店のさくらやが、引き取ってくれました。買った値段で。中身もチェックしないで。2日もたっているのに。方針なんだろうけど、すごいと思う。

28.9.08

プロジェクトという呼び方

展覧会を、「プロジェクト」とよんだりすることは、一般的ではないのかもしれない。その後に「展示」とか書いてあれば、何かの展覧会かも、とか、パフォーマンスとあれば、なにか、イベントがあるのね、とか、そういうことが、わかる人というのは、実は世間の一部だと思う。

浮かれているだけなのかも、と考えてみるのも、いいのかも。

だれかが、「グループ展」と説明しているのを見て、そうなのかと思った。「グループ展」というのは、ひとりでは場所を使いきれない人たちが集まって、作品を見せ合うものだと思っていた。どんなテーマを掲げてあっても、大抵は、それはお題目で、「発表したい」人たちが、好きなことをしているものだったりする。
そういえば、いつかの「ターナー賞展の歩み展」だって、見方によっては、グループ展なのかもしれない。「ターナー賞展の歩み」展なんて、わけわからないよね、普通は。
ベネチアビエンナーレなんかもっとわからない。国際グループ展だとはなぜ言わないんだろう。いつかの美学校のイベントも、グループ展だったんだ。ならば、きっとたくさんの人がわかってくれたのだろうに、長い事、「わからないよ」と言われ続けてきた理由が、ふっとほどかれる。

でも、わたしは、普通の言葉がどうしても、使えない馬鹿ものである。滅びるしかないのかも。

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ところで、展示のために、ポータブルDVDプレイヤーを買ったところ、PALシステムのものは、見られないということがわかった。わたしの手持ちは、PALが多い。完全に新品なのですが、だれか、買ってくれませんか?

27.9.08

おそるべき6人

以下、あるMLに書いたもの。

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9月30日から以下の展覧会があるそうです。
不協和音 日本のアーティスト6人
「戦後日本を代表する6人のアーティスト、オノ・ヨーコ、草間彌生、久保田成子、斉藤陽子、塩見允枝子、田中敦子らのインスタレーション作品展。」

わたしは、このうち、斉藤陽子(たかこ)さんを、在住のデュセルドルフに訪問したことがあり、今回はパフォーマンスのお手伝いをします。

といっても、パフォーマンスのプログラムはオフィシャルにはなくて、彼女は、勝手に(?)30日の夕方頃、行うようです。彼女は、18:00からすると、電話ではおっしゃっていましたが、閉館時刻を過ぎているので、どうするのかな、と思っております。とにかく、当日は昼位から、出かけて行くことにしました。

彼女の作品自体も、来館者参加型です。楽しくて、わくわくする作品です。

彼女の知名度は、他の人より、高くないようですが、フルクサスの最も重要なアーティストのひとりです。彼女のスタジオで、5時間にわたるインタビュウを行い、レポートを書いたことがあります。帰国されることは、めったにないので、関心のある方は、お出かけになってはいかがでしょうか。

因に、美術館の学芸員さんによると、来館するのは、斉藤さんだけだそうです(一番遠いのではないでしょうか)。自分で、展示しないと納得できないため、来日することになったようです。
この6人が一同に集まると、大変なことになりそうですが、見てみたい気がしていました。
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全員女性なのを、「女性の」との言葉を入れないのは、こだわりなのか。見ればわかるってことでもあるね。
オノヨーコに怒られそうだからかな。だけど、結局、女性ばかりにしているのだから、同じことだと思います。


26.9.08

港町往来ワンダララ計画 プレイベント

自分のホームページの編集。ワンダララ計画のサイトとリンクしたかったが、できず。
古いソフトなので、最近は調子悪くて、外部リンクができない。
残念。

ばたばたばたっといろんなことが動いている。
10月にイベントをやるカフェから電話で、オープニングの人数を聞いてくる。
飲み物、料理を用意てくれる。すごくありがたい。
12日、午後6時、みなさん遊びに来てください。

石川町から5分、ザイムカフェアネックス。山の手に上る坂の途中で、わかりにくいですが、
近いですから、地図を握りしめておいでください。

今回のインスタレーションを作るにあたって、榎本武揚に出会う。横浜に何度も来たわけではなさそうだが、スケールの大きな、国際的な政治活動がすばらしい。大政奉還後、「共和国」という理想を掲げたが、失敗したので滅びるつもりだったが、説得されて、明治政府の時代にも外交を中心に働く。今年は、没後100周年。

わたしのホームページに、榎本がオランダから乗ってきた船、開陽丸の写真を入れました。

24.9.08

鼻を使え



















去年、インドネシアのボロブドールに行った時、ガイドの男性が、手相占いをしてくれた。結婚するとか、子供ができるとかそういう、普通の話もしてくれたかもしれないけど、それは全部忘れた。それより、ちょっと、うわっと思ったのは「体制に抵抗するタイプ」あるいは「体制の中で出世するタイプ」という読み。いっしょにいた若いカナダ人の女性は、出世タイプだった。わたしは「protest type」とか言われて、反抗するタイプだと彼は言った。あの仏像群の中で、いわれてしまうと、なんとも言えない気分になる。

学校の成績も良くて、先生に大事にされていたわたしなのだけど、いったい、いつからこうなったんだろうかと、悩んでしまった。端から見ていると、一目瞭然なんだろうが、自分としては、正道を歩んできたつもりだったのよ。そういえば、高校の時、担任が、軽い暴力までふるって、わたしのアートへの道を阻止しようとしたのは、そういうわけだったのか...。
パフォーマンスアート仲間は、学校から食み出ていた人ばかり。う~ん。腹をくくらなくてはならないか。

だが、安易な二項対立は、危険。
反体制を掲げる人って単細胞の「馬鹿」みたいに見えるし、いつだってメインストリームの周辺を歩こうと躍起になっている人は「風見鶏」みたいで格好わるい。
わたしの立場は、............離れて見る、というところかな。一番、「卑怯」なタイプであるが。
でも、会社勤めの頃から、職人さんが好きで「おまえは、どっちの社員なんだ!」と上司に叱られていた。別に、弱者寄りというのではなくて、面白い方に寄って行ってしまうだけ。

理念でなくて、嗅覚を信じるのだ。「鼻を使え」。つまり「象使い」である。それで滅びたとて、それで良いと思っている。もちろん、生き延びる事が何より大事である。それが、どんな形であろうと。怖いけど。

自分の話ですんません。


20.9.08

ゴッホだとか、今更ですが。

MoMAのメールに添付されていたゴッホの絵。きれいだな〜と思う。ただひたすら、思います。

18.9.08

制作中

今、制作中。Missing in Yokohamaのインスタレーションバージョンを作っている。なぜ、髪を金髪に染めて、町を歩きたくなったか、思い出せない。友達に聞くと「完全にはまっていたよ」と言うばかり。切実な理由があったことも確か。

パフォーマンスをストリートで行うということの、理由と意味を考えていたのだと思う。
室内でするような内容のことを、ただ、外へ持ってきても、つまらない。
外には外のコンテキストがあり、それの中に作っていかなくては意味がない、と思ったと思い出す。


失踪することは、都市の最も、レギュラーなあり方だと、わたしは思っている。迷うこと、誰かを探すこと。
なぜだかわからないけど、自分の居場所を見つけて、作っていく、というようなリアリティには、ならない。
それは、たぶん、わたしの内側に起こっていることを、外界に投影するとそうなる、のだと思う。
だが、そういう自分の気分にすぎないことを、作品にするのは、別のエネルギーがいる。そこが、創造のところ。

作る事がすきな人と妄想することが、好きな人が同居すると、身体の中が、喧嘩になる。


もともと芸術的な素材を使って、自分自身の工夫を作品にする、という人もいるし、そういう作品を見るのは好きだ。

なぜだか、わたしは、絵画を描いてい時代ですら、身体感覚、脳の感覚を、テーマにしてしまう。
とは言っても、自分の物語ではない。それだけは、確か。自分を特化するのは、作品だとは、思わない。

制作していると、面白そうなイベントにどれも行けなくなる。くそ。

16.9.08

バブル























BT別冊に載った、私たちのイベント「港町往来ワンダララ計画プレイベント」をの告知を見て愕然とした。バブルだ。恥ずかしい。
イベントは、ささやかなものなのに、別冊といえども、全国版の雑誌の1ページを使って、カラーで載せるようなものではない。

なんというのか、「分」というものがあるだろう?

もちろん、載せていただいたのは、ありがたい。もっと、きちんと状況を話さなくてはならなかった。

たぶん、トリエンナーレバブルへの期待というものがあるようだ。

でも、たぶん、実際は、バブルはないよ。

実際のトリエンナーレは、とてもとても、地味です。行ってみて驚いた。これに何億も使われているとしたら、どこに消えたのかしら? と思うほど。
良い作品もあったけど、作品てあんな風に、見本市みたいに、ばたばた見るものではないと思う。じっくりした作品のところを、観客はどんどん通り過ぎて行く。大金持ちのオノヨーコやマシュー・バーニーの作品は、たぶん、テレビモニター代だけだったのではないかしら。テレビモニターも誰かに借りれば、ほぼたタダ。でも、なんで、日本で毛嫌いされているパフォーマンスをそのテーマにしたのか、謎。ヨナタンのパフォーマンスを見て思ったのは、そういうことでもいいなら「おれにもやらせろ」という言葉。やるよ?
1970年代に、ハラルド・ゼーマンが、ドキュメンタ展に、ハプニング系の(今でいうパフォーマンス)アーティストをたくさんコーディネートして不人気につき入場者激減、イベント主催しているカッセル市に訴えられて、賠償金を払い、破産して、美術館の館長の職も辞して、しばらく、隠遁した、という話をどこかで読んだけど、大丈夫かな。つまり、それを予見して、低予算にした? 

でも、ジミならジミでいいです。権威がないならないでいい。そういう展覧会だと思うから。権威がないなら、ツッコミを入れる必要もない。

それより、まわり。たとえば、ゲリラというのは、アンチであって、つまりは、攻撃相手の権威を認めていることになる。わたしも近くにいたら、そんなことをしたかも。なんか、うんざりする。
中心が、空っぽで、まわりが騒がしいというのは、実に日本的。今度は、皇居を使って、国際展をしたらどうでしょう。


今は、じっくりと自分たちの展示のために、充実した時間を作る準備。せっかくできたいい人間関係は大事にして、そして、今は、内面的になる時間。

どうも、わたしは祭りに向かないようである。
「分」という日本的美学、久しぶりに思い出したけど、たぶん、非常にいいタイミングだったと思う。
ただ、港町というのは、たぶん、もともと、バブリーな場所なのだろう。ただし、それへの問いの声も色々耳にした。思想とスタンスが、明確になっていく、ワンダララな日々、道のりの始まりである。



15.9.08

プーチン独占インタビュウ

プーチン、CNNの独占インタビュウの翻訳みつけました。
CNNが都合が悪くて、カットした部分は、ないんだな。これが。ノーカットだと思ったが。
こちらはたぶん、ノーカットのビデオ。英語の翻訳出ている。

わたしにしてみれば、そうだろうな、と思うような話でしたが。

米産鶏肉輸入の経済制裁をカードにちらつかせたあたりの、すっぽんのような、やくざのようなしつこさは、すげーと思った。さすがワロージャ!!(ウラジミールの愛称)と言いたくなった。特にロシアびいきなわけではないですけど、私は...。

アメリカだけでなく、日本の私たちも、情報操作の中にあります。
誰かが、「ない」と言った場合は、その本当に意味は「ある」であると推測していいくらいです。それに「ある」が暴露された際にも、それは必ず、わけあり、ということが多い。

山があり、海がある。木があって、鳥が泣いている。鳥は虫をとり、猛禽類は鳥をとる。それを私が目撃する。事実は、それぐらいである、というわけです。

でも、わたしたちは、妄想も、操作も大好きな生き物であります。

12.9.08

失踪

   わたしは、カフカの「失踪者」を読んでいる。ずっと前に「アメリカ」の名前で読んでいたものと同じ話。発掘者(?)の都合で長年「アメリカ」だったのだが、どうやらカフカは残したメモに「失踪者」というタイトルで書いていたらしいので、それを尊重しようということに最近なったらしい。それでなのか、また出版された。知らないわたしは、新しく発掘された作品かと思って、買ってしまった。白水社め。ねらったな。
 でも、前読んだ時より、面白い。現代社会のロウドウ問題が、かかわっている。賃金労働者だとか、役人だとか、横暴な小金持が出て来る。前読んだ時は、スノッブで優雅なギャラリーのおねえちゃんだったわたしなので、その切実なリアリティがわからんかったのだと思います(反省)。

   かように失踪者は、名前が変わるのは、常識と言っていい。カール・ロスマンは、その後、ひげ面になり、麦わら帽子をかぶり、日本のスナック菓子の代名詞になった。カールが少年だったのは、ずっと昔。

   4日前から、うちのおじさんの行方がわからなくなった。おじさんは、私の父の兄で、ユウジロウと言う。江東区の都営住宅で一人暮らしをしている80歳だ。父は、先祖のお墓のことで、重要な話をしなくてはならず、電話するけど、出ない。足の悪いおじさんが、旅行など行くはずがないと父は断言する。
   水曜は管理人が休みで、あちこちたらい回しにされたあげく、都の管理事務所の人に電話する。その人は、すぐにおじさんのアパートにでかけ(有名な古くてでかい、迷ってしまいそうなアパート)、様子をしらべてくれた。やっぱりルスだ。「換気扇の所の窓が開いていたので、におってみましたが、特に問題なにおいはしません」と、報告してくれた(なまなましい)。
 翌日(つまり、きのう)父は朝早くでかけ、管理人さんと警察官立ち会いの下、鍵屋さんを呼んで、鍵を壊し、中に入るに至る。
 ..........もぬけの空。きれいにかたずいていたそうだ。どこへ行ったか?
 警察官はさすがプロ(と父は言う)。室内の新聞を調べ、3日前のものまでしかなく、それ以降は、新聞受けにも入っていないことから、新聞販売店が何か知っているのでは推理。電話する。「ええ、入院するから止めてくれと言われましたよ」
 区の福祉課の人が、行ってそうな病院を調べてくれる。結局、ある場所に、ユウジロウ入院判明。父は病院に行き、ユウジロウはたまげる。腰を抜かし、あわやぎっくり腰併発か。ちょっとおなかが痛かったので、病院に行ったら、入院しろと言われたそうだ。鍵屋の代金は、ユウジロウが払った。とんだ出費でかわいそう。(自分はもしかしたら本当は死にそうな病気だから、親戚が呼ばれたと思ったのでは?)

 今日は、横浜トリエンナーレのオープニングだそうで、友達が出かけていった。今日発売の、別冊BTの「アートシティヨコハマ、トリエンナーレの街を歩く」に、わたしの「失踪中」の写真が載っていると、別の知り合いが、ちょっとバカにしたように、わたしに言った。くだらないものが載ったとでも言いたげ。もっと、良いアーティストの写真が載った方が良かったんでしょうが、わたしは、それを載せたかったのではない!!
わたしは「最終原稿」を見せられ、何度もBTの人に聞いた「もう、変更できないんですか?」
知らんよ。
「Missing in Yokohama(横浜で失踪中)」2007 エッセン、ドイツ
まあ、本のテーマにはまっているといえば、はまっている。
ブルーライトヨコハマに対するは、死の商人と言われた鉄鋼王クルップファミリーの町、エッセン。わたしは、この町で、大企業が、ひとつの町の影のコントローラーであるあり方を肌で知った。

来年、開港150年に、もっとヨコハマに迷う為のプロジェクトをわたしは計画している。「ワンダララ計画」そのプレイベントが10月。上り詰めるとそこには外人墓地がある丘の途中の隠れ家的ギャラリーで行われる。また、あらためて、書きます。

6.9.08

リアルについて

久しぶりに苦いチョコが食べたくなってコンビニに行った。苦いチョコが全然なかった。
お店に人に「苦いチョコ、流行らなくなったのね」と言った。「いいえ、流行らなくなったんではないんです。入らないだけです。」と店員は言う。わたしは、微笑みながら「入らないって、注文しないってことでしょ。それって、流行らなくなったからじゃないの?」すかさず店員「いいえ、入れても売れないからですよ」
わたしはだまる。
これは、わかりやすい例だけど、世間は、こういう会話に満ちている。
何か理由があって、その店員は、流行らないということは、不名誉なことだとでも思っているのかもしれない。「商品って、そんなミーハーなものではないんですよ」とか?

毎日毎日そういう会話や行動が気になってしまう。「違うだろう!!」「そう来るの?」それを、追求していたら、哲学者中島義道先生みたいになってしまう。今日もひとつしそうになったので、ちょっと間を置く。

カフカの「失踪者」を読んでいる。「アメリカ」とは同じ話なんだけど、どこか、ちょいと違うらしい。「アメリカ」読んだのは、ずっと前なので、ディテール覚えてないし、わたしも変わったから、この可笑しさがよくわかる。シュールではない、ものすごく、リアルな話なのだ。変な人たちばかりに囲まれた生活。日記を書いて、著者名をカフカにすれば、よいかもよ。あたしも、そういう行動や発言をしているのだろう。時々、わざとやってみたりする。
.............当然だ、世界にはリードプレイヤーはいないし、どの人も自分がリードプレイヤーだと思って行動する。


以下、二つのクレムリン。ふたつめは2006年12月、青山の歩道橋の「クレムリン」。単に、歩道橋の上をシベリアに見立てて、フィンランド人と日本人が、フィンランドのウオッカと日本酒で、ロシアを破ったことを記念して、乾杯、万歳、を唱えただけのことなんだけど、「あれは本当にいいパフォーマンスだった」となぜか言っている人がいる。本人は、ちょっとスカシが過ぎたかしらと思っているのだが、観客の方が進んでいるのかもしれない。つまみは、赤穂の甘塩とにしんの干物だった。橋の欄干の、雪みたいのが、赤穂の甘塩。この恨みはらそうぞよ、だったっけ。それは、金色夜叉かな。写真クレジットはAyano Shibata。



1.9.08

come with me





































場所にたまたまいた親子と、わたしたちの参加者たちとわたしが、いっしょにごろりとしています。ドックの底。