人は変われない。スキルがアップしたり、環境が変わったり、知り合いが変わったり、評価が変わったり、収入が変わったり、国籍や性別や宗教が変わったとて、本質ということは、変わらないんだということが、ここのところ本当にわかる。自分のことより、他人を見ていると余計わかる。つまりは同じ事だ。同じ間違いを犯していも、今度は、自分はもうそういうことをしてもいい立場だと思ってしまう。油断する。が、間違いはおなじ。自分は見えないと自分に言っておこう。
また、自分にわかることもそうそう変わらないのだから、わからないことには、首を突っ込まないとわたしは決める。判断はむずかしいけれど。たとえば、自分の立場や利益を守ったりすることが、明らかに、劣っていても(わたしのこと)もはや恥じることはない。
あるMLで、ちょっと知っているわたしと同世代の美術の専門家が「人間は成長している」と書いていた。「このグローバル化時代には、日本人はもっと個の確立が必要だ」とか。まだそんなこと言っているの? 人間は、成長していないですよ、変わらない。むしろ、能力的には、退化しているくらいです。と書き込もうかと思ったけどやめた。そういう論争自体が、むなしい。個の確立だなんて、笑っちゃう。どんどん、恥知らずになっているのに。でも、わたしは、それを受け止めて、観察して行こうと思っている。わたしも、その船の上に乗っている。努力しても無駄なことはある。
時々、映画「天国と地獄」で見た、シャブ漬けの人たちが住んでいる町の様子を思い出す。見た目は、こぎれいになっていても、人々の住む世界は、一皮むけばあれと同じなんだと思う。絶望しているわけではない。
そこで、そんなもんだと思ってその中で肘を張りあってあっぷあっぷするのか、そればかりではないと思って人を愛すことに望みを失わない馬鹿者でいるのか、そこは、その人の何を信じられるかの「本質」なんかなあ、と思う、説教臭い、今晩のサキコだった。
わたしは、馬鹿者でいいのではないかと思うのである。そういう人もいないと世界は困るでしょう?
今日は、絵をたくさん描き、時々、覚三さんの本を読んでいる。ちょっと苦手な文体ではあるが。絵もどっか、うまくいかず。世事から少し離れたい。