買い込みすぎた本を処分することを「贅肉をとる」と言った友人があったが、わたしはそうは思わない。家が、広かったら、とっておきたいものばかり。でも、涙をのんで、50冊くらいさよならだ。まあ、妄想という贅肉といえば、そうなのかもしれない。しかし、危なく捨てそうになった、以前ちょっと読んでつまらんと決め込んでいた本を、めくると、おおおおおおおおおおおおおおお。探していた、話が出ているではないか。えええええええええええええええええというほど、詳しく出ていました。
前回の日記を読み返すと、自分がリヒターでもないのに、そういう気分になって、他のおじさんのこと、厳しく言って、わたしって良くないな、と思う。リヒターの本を閉じた時は、やくざ映画を見終わって、気分はなんだか高倉健、みたいな感じだったんだろう。笑える。
こっちは、それどこではなく、本棚、資料の整理をしていると、明らかに2007年夏くらいから、いかに表面だけで生きてきたというのがわかる。表面だけ、というのは、物事の整理をせずに、その日その日で、やってきたということ。なすすべもなく、積み上げられていた資料を整理。写真データにしても、去年気がつかなかったことが、いろいろ、あるのを知る。
このごろ、確実に、体力が回復しつつあるので、どんどん、やるのこころ。(?この言葉遣いはどこから来たかしら)
何事かが、わかってくるのは、傷口が治ってくるスピードに似ている。時間が経たないとわからないことがある。だけど、これは困るよね。実際問題。「人を決めつけないでくださいねっ」とよく注意される私だけど、ある程度のところで、ジャッジしないと、人事部としては仕事にならないものね。それとも、柔軟な頭は、柔軟な身体に宿る、か?
でも、「なせ、国民は健康でならなければならないのだ?」という問をテーマにした作品をつくりつつ、まだ仕上がってない私としては、毎朝、トレーニングする、奴隷のような身体を持つ自分の姿との矛盾をどおするべ。もちろん、国のためではなくて、自分のためなんだけど。自己矛盾に苦しむ、秋、到来。
だらだらした時間。2007年、デュッセルドルフ。尺取り虫みたいなのが、ワタシ。首が切れているのが、アダチくん。誰もからだを「ピン」とのばしたりはしない。これでいいのダ。