11.8.08

ソ*ジェニーツイン

人生には、まったく思いがけない人が、関わってくるものだと思う。自分でコントロールはできないものだ。
たとえば、両親がこどもの将来に夢見たような世界とは、まったく違う人たちに、子供が反応していくのを、どう思いながら見るのだろう。

わたしは、小学生6年だったかの時に、テレビで見た、ソルジェ*ーツインの亡命に、なぜかとっても感動してしまった。学校へ行って、尊敬する人として、その名を発表し、担任の先生を絶句させた。
中学になって、彼の著作を、一冊買ったけど、読めなかった。だから、どっぷり浸かっているわけではなく、むしろ、亡命ということ、そのものに、あこがれ続けた。そのうち、ミグ25戦闘機が、北海道に亡命した。

何に偉大さを感じたかは、人に話して、理解されたことがないから、もう説明はしない。形で表していくだけ。

やがて、ソルジェニー*ィンの亡命についての、もっと詳しいことを知るにつけ、あの華々しい悲劇の印象は、西側のメディアの演出が過剰だったこともわかって行く。そして、彼の帰国後に、書いた「廃墟の中のロシア」を読んで、わたしが思っていたイメージや、西側が作ろうとしたイメージと本人に、ギャップがあることにも、気がついた。同時に、本人自身にはじめて、接することがっできて、それは良い事だと思う。表現の機会が与えられた人は、いいなと思う。だれもが、そうできるわけではないので、そういう才能やチャンスに恵まれた人は、それに気がついて欲しいと思った。彼は、たぶん、そういう人だと思う。


今月3日の夜に彼は亡くなった。

どっちの世界にいようが、たいしていやなことが減るわけでも、ない、という世界感が、わたしを支配する。
もっといろいろなことを書きたいけど、今日はやめにしておく。