8.8.08

巻き込まれてワルシャワで主演女優になるの巻

昨年、ヨコハマで撮影した「Missing in Yokohama」(80年代に横浜で失踪したポーランド女性であると自分で思い込んでいる女が、久しぶりに横浜へ帰ってきて町をうろうろ歩く)のビデオバージョンは、撮影者のパベルが最後に言ってきたコピーライトの件で、わたしが希望するようには、編集ができないことになったので、後で、仕上がりを見ても、ぴんと来ないから、1年ほったらかしにしていた。また、彼はその撮影で、わたしのこの作品と、彼の方の作品とを2つ作ることになっていた(ご苦労なことである)。そちらは、そのあと、わたしがワルシャワに行ったので、そこで最終撮影があったが、これが驚くようなメロドラマのシナリオができていた。こちらも架空の哲学者レビンスキーがいて、彼を訪ねてきたsakiko。哲学に憧れていたはずが、フォーリンラブになってしまうというもの。こっちは、本名のわたし。わたしが使っているポーランド名モニカですらない。一日しかなかったから、一応演じてみたけど、こんなものが世間に出回ったら、わたしのアーティストとしての、イメージに傷がつくから、出演者の名前は、誰か架空のものにして欲しいと、ずっと申し入れていた。そのうち、どうせ、マイナーだろうから、まあいいかとあきらめた。しかし,映像や写真というものは、本当に怖い。コピーがいくらでもきくし。さらにノーギャラだし。
余談だけど、相手役のクリストフは、wikiにも載っている本物の俳優。演技というものを目の前で見て、自然に見えるって、こうもわざとらしいのかと、関心した。

ところが、久しぶりに、ほったらかしていた、わたしの作品の方(編集は彼)を、見てみたら、案外、面白いので使えそう。
そして、そのB級なメロドラマ映画の方の使い方にも、ひらめいて、いまは楽しい。その「巻き込まれてワルシャワで主演女優になるの巻」は、行き場を失ってうろうろ歩く女の、「まさかこんなことにも!」という事件のコメディとして、有効である。それが、メロドラマであればあるほど、ちょうどいい。撮影されたフィルムそのものも、わたしのトータルなパフォーマンス作品の一部と考えることができる。コピーライトなんて、もうどうだったいいわけだ。映画のタイトルが『真実の現象学(The phenomelogy of Truth)』というのも、また、笑える。
いつの間にか、クラクフで試写まですませているらしい。このやられぶったくりみたいな出来事は、架空のことと、事実のことなど境界がないというテーマにぴったりだ。
それにして、「国際哲学映画フェステイバル」なんてものがあるなんて、不思議な国だなあ。