という考えにもとづいたパフォーマンス。
境界人格障害の人のことば「人間は生きている。草は生きている。ゆえに、人間は草である」から、きていてる。精神科医のなんとかという人の著作でみつけた。
わたしは、感動したのだ。その、勘違いが、美しくて。勘違いかどうか、わたしもだんだんわからなくなる。見ず知らずの、患者さんに捧げます。
やってみるのは、楽ではないけど。
大通りの脇の草むらは、おしっこ臭かった。花屋は、人口的な飾り付けのせいで、すごく、窮屈だった。
どちらもうるさいし。人間のいるところの近くは、どこもうるさい。
まあ、ばかばかしいパフォーマンスと思うかどうかは、それぞれ。草というより、虫みたいだって誰か言っていた。じっと見て、何か、面白いかというと、面白くもないだろう。
一日2時間ずつ3カ所にて行う。もう一カ所は写真しかないので、今度、スライドでアップします。
クロアチアでは、村のはじから、もう一方の端まで、歩こうと思う。その真ん中あたりに、イベント会場があって、そこでは、室内バージョンのWind from Skyを行う。それをしたら、また歩く。ずっとずっと同じペースで歩くつもりだが、植物って、急にぐんぐん、のびたりするでしょう? 風に乗って、お日様浴びて、ぐんぐん歩くかな。(雨の日の場合は、考えてない。晴れ女だから大丈夫)
ここでは、息をすることだけでした。人間みたいに瞑想したりしない。そこに居るということだけ。うまくいっているかどうかは、しらない。ちょっと修行みたいなものなので。