ずっと昔に見た映画、キャリーのことを思い出した。
あの悪夢のような、友達からのいじめは、キャリーに実際に起きたことではなくて、彼女の妄想の中の出来事だったのではないか、あるいは、彼女は霊感が強いので、イメージしてしまったことが予言となってしまい、実際に起きてしまったということだったのかな。後者だろうね。あのカトリックの魔術使いみたいな母親が、彼女が女性として成長することへ嫌悪を感じたのは、母親の自分自身への性への嫌悪から来てくるのだろう。キャリーには父親がいなかったということは、キャリーは私生児だったかもしれないし、それゆえ、その忌まわしい父親と、性愛に溺れてしまった自分自身への嫌悪を、娘に投影したのだろう、とか。考えた。私は、母親になったことがないので、母親が、娘の中に、自分自身や、夫の姿を見るということは、どういうことなんだろうか、と想像してみた。うんざりだけど。子供を虐待する親の心理の中に、そういうのあるんではないかしらと思う。キャリーはそんな母親に自分の性の目覚めを「禁止」されて、自分自身を汚れたもののように感じたのだろう。これって、小説などにも、よくあるテーマなのかな。原作のスティーブン・キングは、どこからこんなネタ仕入れたのかしら。
話はまったく変わって。
今日描いたエンジェル。下絵は、去年の12月頃描いていたけど、父の病気のことでごたごたしていて、描き上げるのを、保留にしていた。このトリオのシリーズは、まだ数枚ある。また描きたくなったなあ。エンジェルと名付けていたけど、羽根がないね。トリオは、仏像から来ている。脇侍を入れて3人組でしょう?キリスト教でも、トリプティクとか言って、3枚図を描くのよね。
...............今のローマ法王にヒットラーユーゲント時代があったという話、気にかかる。小説家であるギュンター・グラスだってあれほど、非難され、賞をいくつか剥奪されたのだから。ローマ法王ともなれば、もっと深刻なのでは?