24.12.07

メリクリ Merry Christsmas
















Sakiko did  the Action in Ginza/Tokyo, 23rd December 2007
photo by Yoshinori Niwa

21.12.07

clean up life

I cleaned up the top page and the second page of my web-site, to make clear my work in 2007, it is  for the future.
Unfortunately this soft for web is 20th century version, too old and full images inside. I have to use new soft for web-site, but not yet.


私のウエブサイトのトップページとその次のページを整理し直した。私の2007年の仕事を明らかにするために。未来のために。

have a look  my web

2.12.07

photo from Cologne



















ケルンのローランドという映像作家から久々のメール。7月にケルンに行った時、彼には会えなかったんだけど、これは見ていたんだね。なかなかいい写真。

27.11.07

I met Mitsubishi Family

















気がついたら、そこらじゅう、ミツビシです。
日本ケンタッキーフライドチキンを、アメリカに本社のあるケンタッキーフライドチキン社から、三菱商事は買い取ろうとしています。
http://www.mitsubishicorp.com/jp/pdf/pr/mcpr1031k3.pdf
王子製紙と業務提携を決めたのも、三菱製紙です。この場合、王子の方が、強い立場なんですが。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20071121k0000m020091000c.html
三菱重工名古屋が、社会人野球で決勝進出、トヨタに負けました。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/11/25/14.html

以下は、三菱商事広告。池田一さん、パクられたか、池田さんがパクったか。
http://www.mitsubishicorp.com/jp/ad/foryou/index.html

16.11.07

道連れ行き倒れ in Chiang Mai

チェンマイでの2つめのパフォ。3人の王様が同盟を結んだことを記念した銅像のある公園(信仰の対象でもある)。このあたり、日曜は車が規制されて、たくさんのマーケットが立つ賑やかな場所。ここで、「道連れ行き倒れチェーン」のパフォをしました。最初わたしは3人の王の銅像の前で立ち、手を差し伸べて、誰かがその意味に気がつくまで待ちます。ミャンマーの若いアーティスト、モサがさっとやってきました。まずは二人で歩いて芝生のところへ行き、寝ました。親子心中のようです。静かに死んでいるように見えます。それから、立ち上がって、またひとり、またふたりと、どんどん、手をつなぐ人は増えていきました。どんな意味と理解したかは知りません。スペイン人もつながります。違ったシチュエーションの4カ所で寝ました。円形になったのは、だれかがなんとなくそうしたのであり、私がそうしてくれと言ったわけではありませんでした。平和のためのデモンストレーションみたいにも見えたと思うけど、わたしとしては、そうかもしれないが、それだけでもないという考え。その理解も人それぞれで違うという事がわたしの狙いです。

15.11.07

Best Place to Sleep in Chiang Mai

銀行ATMで寝るというプロジェクトは日本中、世界中、それのあるところで、やり続けようと思っています。チェンマイ市内には、ATMはいたるところにあります。ほとんど1ブロックごとにありました。ガラスに囲まれることもなく、無防備な感じです。最後の一枚は、夜中の2時頃。いつでも、お金を使うように、期待されているのです。



14.11.07

I met Crupp Family, work 2 in Chiang Mai

















チェンマイから帰国しました。パフォーマンスフェスティバル「アジアトピア」vol.9に参加しました。日本からは、私の他、田中照幸さんが参加しました。主に、タイのアーティスト、他にはミャンマーから2人、インドネシアから1人、シンガポールから3人。ドイツ1人、スペイン2人、カナダ1人で、圧倒的に東南アジアの風でした。ステージは基本的にチェンマイ大学内や市立博物館の外など。観客は主に学生、通行人でした。滞在中、私は風邪をひいて高熱出したりしたので、帰国後は少々疲れて休んでおります。排気ガスがすごかったのもあると思います。
写真は、私のパフォ。「商品」がテーマです。特に重工業。東南アジアの町では、日本製品(車、電化製品)があふれかえっていることを揶揄して、特に今回は三菱にフォーカスし、三菱の航空機(軍用機)の新旧ラインアップを紹介。東南アジアが軍用機まで買っているかどうかは知らないけど、部品の製造はしているかも。それにしても、世界広しといえども「商品」の中で、軍用機程、美しく、かつハイテクノロジー、かつ人間の夢を実現したものはありません。なので、このテーマは日本とアジアの問題ではなく、普遍的なテーマです。この写真を、1枚1バーツ(0.3円くらい)で売りました。結構たくさんの人がわいわい楽しそうに買ってくれてびっくりしました。お土産感覚かな。遊び感覚を刺激したようです。ちょっとその辺は、個人的にはショック。その後、私は三菱のテレビの段ボール箱を潰して、濡らしてどろどろにし、みすぼらしい飛行機を作り、赤く塗りました。血まみれって感じです。楽しい遊びのパフォかと思ったら、みすぼらしいものが後で出て来たので、どう考えたらいいのかわからないと言う風に、みなさんは呆然としていましたね。私としては、論理的な帰結です。岡に上げられた鯨みたいだって、言う人もいました。そういうポエティックな想像力は好きです。良いとか悪いとかではないのです。サン・テグジュペリだって飛行機事故で亡くなりました。わたしの高校の時の親友の柴田真美も、女だてらに航空自衛隊に勤務して、25歳の若さで、九州の山に散りました。彼女は、飛行機が大好きだった。
この作品は「I met Crupp family」のシリーズの第2回目です。近代重工業をテーマにしています。この辺のことは、もっと学ばなければと思っております。別に、東アジア解放戦線みたいに、大企業を攻撃しようというのが、わたしの目的ではないので。
以下のサイトも参考にごらんください。
http://www.mhit.co.th/

13.11.07

最近

作品で反感を買うことが増えて来た。あまりにわたしが簡単なことですましているのが、気に入らないのかもしれない。でも、それは、狙いでもある。芸術ってすごいもんだなんて、思わなくなった。崇高なことであるわけでもない。善良を気取るのは、もっとも意に反したことだ。ちょっとした視点の違いを提供するだけ。少しだけ、呼吸が楽になるように。世界はあまりに禁止事項が多くて、あまりに暴力が多いから。緊張を解きたいだけ。今なら、脚立を置いて、天井に小さく、noと書いても良いのである。わたしなら、noと書く。いつもと同じだと思うなよ、のメッセージだ。あなたの知ってるあれと、同じと思うなよ、と。
わたしは、誰にでもできそうなことをするようになった。はあはあぜいぜい言うようなのをやっていたことがあって、それでもって感動されてたが、その時は、その努力に感動されているようにしか、感じられなかった。熱とかエネルギーは、とりあえず、説得力があったりする。実のところ、それぞれの人は、その都合で、いろいろ感じているにすぎないんである。アーティストなら、自分の作品が否定されるような作品は許せないとかね。だから、わたしはもう、自分にとって、意味のあることをするだけ。ただし、スタンダードにはならない。はずしていたいのだ。ちょっと怒られたいって、いつも思っている。「おいおい違うだろ」ってね。
それから、病気をして、身体のコントロールがむずかしくなった。あせってどうにかしようと思ったって無理なんだもん。醜いと思われていてもいいことにした。でも、それが、そう容易くはないのは、本人にしかわからないでしょう。

まだ、耳に入ることが気になることもある。それと戦うことも修行のうちだ。「聖アントニウスの誘惑」と同じである。今はただ、自分の思想を自分で研ぎすます、だけである。

5.11.07

ロケット13号打ち上げギャラリー


http://h2a.mhi.co.jp/f13/gallery/index.html
三菱重工。打ち上げギャラリーです。動画が見られます。かぐや姫、9月に成功していたんですね。三菱のマークと日本の国旗が、しっかりデザインされています。

ではわたしは、明日から14日まで、タイのチェンマイに言ってきます。

3.11.07

Best Place to Sleep

パブリックアクションプロジェクト「Best Place to Sleep」推進中です。

10月28日の日曜日、三菱東京UFJ銀行の丸の内の本店から寝始め、大手町の東京営業部、日本橋支店(日本橋室町支店)、日本橋中央、高島屋、プラザビル、八重洲支店、八重洲中央支店、銀座1丁目など、
東京駅近辺の10のATMで寝ました。

銀行は、常識的には間違いなく私企業ではありますが、国家の税金が使われている企業でもあり、彼らの経営が国の経済状態に多大の影響があるということを考えると、プライベートカンパニーと言い切るには、
あまりにパブリックな要素が大きいと、わたしは考えております。つまり、”ある程度は”、私達国民の場所=パブリックスペースもある、と言ってもいいのではないか............。

三菱東京UFJ銀行は、わたしのメインバンクだし.........。
..................それで、まあ、少しの間くらいは、休憩させてくれてもいいではないか、という気持ちを表すために、このアクションを始めました。
特にこの銀行は「眠らない銀行」の走りですから、やさしくわたくしの睡眠を見守ってくれると、信じております。実際、トラブルもなく、なかなか気持ちがよかったです。

このプロジェクトは、パブリックとは何か、の問いのひとつの答えでもあります。

2.11.07

アジアトピア9

http://asiatopia.blogspot.com/2007/10/9th-asiatopia-schedule.html
今年のアジアトピアは、東南アジア色が強い。本当のアジアトピアだ。
今年の2月に、イギリスでチュンポン(アジアトピアのディレクター)に会ったとき、彼は、欧米人およびその文化への反発を表していた。控えめな口調であったが。
彼は、ボストンでアートを勉強して、英語はペラペラだし、欧米でちゃんと尊敬されている人である。
これまで8回アジアトピアをやってきた中、7回目までは、欧米人がたくさん参加していた。
だが、昨年の政情不安の影響か、彼がバンコクでのイベントの地盤をなくして、チェンマイへと会場を移したあたりから、様子が変わってきた。昨年暮れに、件のボリス・ニーズロニーと共同企画したベトナムでのアートイベントに、彼はコーディネーターでありながら、欠席したのだ。何があったのか?
今年は、シンガポール、ジョグジャカルタのフェスティバルの報告会が、ある。アジアのネットワークを強めようというわけらしい。

29.10.07

東京駅前交差点ピクニック

きのう、Niwaくんと、東京駅前の交差点の真ん中で、ピクニックをした。写真は、赤信号待ちをしていた3歳くらいの子供に撮ってもらったもの。いい写真だ。道路の真ん中はホコリぽくはあったが、わすれがたいランチ。この日は、銀行ATMで寝るアートプロジェクト「Best place to Sleep」をするのが、メインイベント。三菱東京UFJ銀行の本店を最初に、丸の内、大手町、八重洲、日本橋、京橋、銀座の10店舗くらいのATMを巡った。写真とビデオは、Niwaくん。記録作品は、いずれ発表します。

20.10.07

空気と戦争 / 私を離さないで

最近の読書。
猪瀬直樹「空気と戦争」を読む。勉強になる。先の大戦の時の、石油の需給計画と戦争開始の決断時の経緯。猪瀬氏の東工大のレクチャーをまとめたもの。政治は、すぐ隣で行われていると感じさせる臨場感。細かい事の丁寧な積み重ねの途上で、何が原因でそれがずれていくのか、検証されている。それは「空気」。国民だって責任がある。戦時中も現代も、同じようなことが行われてしまうのだ。流されず、冷静な意識を持たなくては。私達が毎日していることもこういうことの集積の一部であろう。こういうものはもっと読みたいと思った。
カズオ・イシグロの小説「私を離さないで」。臓器移植のためのクローンとして生まれて来た子供たちの日々を淡々と描く。せつない物語なのだが、センチメンタルには決してならない。全体にトーンが変わらない、緻密な文章。近未来に起こりうるかもしれない人類の差し迫った問題提起がきちんと文学にもなっている。激したものより、こういう冷静な形の問いかけ方に、わたしは共感する。

16.10.07

新橋駅前でのパフォ

12日に見た、バレリアンとクララのパフォーマンス。新橋の駅前。
スイス(彼らはスイスに住んでいる)から持ってきた石を、東京で、2つの氷詰めに。それを、背負ったり、ひきづったりして、(氷と石の重さはそれぞれ30Kgになる)駅前のスペースに、溶けた水で、星形の奇跡を描こうという試みである。結構j機関のかかる作業で、1時間が経ち、熱がこもってきたあたりで、駅員さんたちにやめさせられた。彼らは、環境問題における「価値」をテーマにしており、たとえば、彼らが飛行機で日本にやってきたことで、排出される二酸化炭素の量には、とても、追いつかないが、彼らの労働によってギブバックしようというわけらしい。(?余計、二酸化炭素が増えるじゃないか........ちょっとわからない。)
場所は、駅の敷地だったので、駅員はかなり怒っていた。2人のアーティストがチョークで地面に線を描いていたので、それをきれいにしてから帰れという。でないと、清掃料を後で請求するとかなんとか。雨で流れてしまいそうなくらい、薄い線なんだけど。とりあえず、集まっていたみんなで掃除をした。警察もちょこっと来たけど、少し話を聞くと、危険ではないと理解したらしくて、おとがめなし。駅員は、「常識がない」とかなんとかぶつぶつ言いながら、ずらりと5〜6人並んで、いつまでも私たちをにらんでいた。このまま許してなるものか、という感じ。現場に居た日本人のうち最年長のわたしに、嫌みを言いたいみたいであったが、わたしは、ただの友達で、お客だからね。企画者はNくんだ。


11.10.07

行き倒れチェーン Chain of lying(dying) by the roadside

10月8日の谷中のわたしのパフォーマンスです。
なんせ間口が広く、奥行きの浅いギャラリーでしたので、外に出て行く事がわたしにとって大事なことでした。また、それは、谷中地域の町の特色..........この町は、道路、路地が、半分、住民と通行人とにシェアされているようなゆるやかさを感じます。パフォーマンスでは...........写真にありますように..........人前であるいは路上で、寝転ぶことなど、子供とホームレスとホームレスすれすれの人しかない経験でしょうから、観客の皆さんを誘い込み、どてって牛のように寝てもらうことにしました。わたしにゆっくり押し倒されるような感じで、皆は横たわります。道連れに、行き倒れになる感じ。そのリラックス状態(?)で、生活の基本の基本である素材の「塩」の袋を次の人に渡してもらいます。塩をパスする、というアクションは、洋の東西を問わずに象徴的な行為です。塩を送る、塩を貸す。生と死の受け渡しのようにわたしは感じています。チョークで、人型を描いて行ったのは、生きている姿の、テンポラリー度を感じたいと思うから。静かに、厳かにとり行いたかったのですが、けっこう、くすくす笑いが多くて、どういう風に理解されたのか、よくわからんな。ま、いっか。この日は、雨がちで、そとの道路は、濡れていました。そんなところじゃ、寝る人いないわよと、事前に人に言われていたので、無理に押し倒したりはしないようにしていましたが、男性が二人、ゆっくり倒れてくれました。人の身体の重さを感じたりや、ゆだねる時の力の配分を感じるのは、美しいことだと感じました。見ていてもわかることだと思います。

ところで、お客さんが、予想を超える多さでびっくりもしました。谷中上野アートリンクの人気でしょうね。また、観客の中には、もっと、刺激的なことを、やってほしかったというニュアンスの意見もありました。でも、埋葬のように静かなのは、けっこうラディカルだと思っているのは、わたしだけでしょうか。

見てくれた知り合いのアーティストさんのブログでの感想

6.10.07

カッセルでのパフォ

2ヶ月前の写真だけど.........カッセルのドクメンタでもポスター見ました。


4.10.07

ビルマと呼ぶことにする

インターネットでタイの友人にビルマの別の友人から送られてきた写真。ビルマの僧侶の姿。リンチの上、殺された。実際は、200人以上の市民が殺されていると。

3.10.07

谷中のパフォ告知

来週月曜の、谷中のパフォ、来月のチェンマイのパフォを考えている。
身体が良く動くことも今はかなり大事なので、トレーニングしながら。
http://www.ycan.jp/archives/2007/09/2007love_live.html

1.10.07

Nくん

きのうは、Nくんの企画のAAの打ち合わせに出席。はつらつとやっている。血がたぎっている。参加アーティストの作品も面白そうだ。
作品のプレゼンを見て、選ぶということはいいことだと思った。オーガナイザーは、責任を持つことができる。ジャンルにこだわる必要もないとわたしは思うし、超ジャンル的なものにわたしは関心がある。わたしは、知り合いが来日するので、少し、お手伝いするだけだけど。

30.9.07

書き上げる

ジョグジャのPerfurbanceというフェステイバルの記録本のための文章、やっと書き上げた。あんまりにも書けなくて死にそうだった。なぜこれほど書けなかったのか、わからない。2週間かかった。他に何もしなかったわけではないけど。ジョグジャが問題なのではなくて、わたしの頭の状態の問題。読めば、1時間で書き上げたと思うような平易な文。英語文チェックにさっき出した。やっと前に進める。

29.9.07

メルティン

初台のアートギャラリーに行きました。とても贅沢に3人のアーティストが空間を演出していました。バブルな空間認識を感じました。ちょっと違和感。

27.9.07

エイコー



ミャンマーで、僧侶たちのデモがおき、軍が制圧している。死者も出ている。
写真は、今年4月にインドネシアで会ったミャンマーのアーティスト、エイコー。

24.9.07

パファーバンス



















今年4月に参加したインドネシア、ジョグジャのフェスティバルが、本を作る。カバーデザインができてきた。わたしのアクションをこんなに使ってくれていてうれしい。もちろん、他にもたくさんすてきなパフォはあったけど、このパフォは、村人が主役だから、表紙に使うんだろう。借景としては、成功している作品だ。場所は墓地。あたしの顔かくれてるけど。

22.9.07

G.GとI.K

今日は2つのことで、出かけた。ひとつは、例の「ゲリラG」について。彼女たちが来年1月末に名古屋に来日するので、東京に呼べないものだろうか、ということを画策している人たちのミーティングに参加した。そこでの問いは、ゲリラGは80年代に活躍してわけだが、今は何をしているのだろうか、ということ。時代とともに変化してきた社会に、今はどうアピールしているのだろう。

もうひとつのイベントでは、何人かのパフォーマンスアーティストを見た。たとえば、イシュティバン・K。平和とか自由とか革命とか、そういうことの希望と問いと痛みと失望を、彼の育ったハンガリーで散々、見て来た人。今はカナダに住む。60歳くらいになっているかしら。パンクな表現が得意。でも、今回はヒロイックな感じではなく、親しみのある感じ。コミュニケーションがイベントのテーマだということを意識しているのだろう。彼は、フレキシビル。席が近かったので、少し話したが、むしろおせっかいなくらい気遣いのある人だって知る事ができた。元気だし。見習いたい。写真は、90年代に、誰だったかの展覧会で何かをしたらしくて、美術館員に追い出されるところ。彼のホームページのトップに載っている。

21.9.07

不思議なベンチ




















あるところで見たベンチ。なぜ、パーテーションがあるんだろう。丸見えなのも変だし。
I saw strange benches. why we need the partation each other?

19.9.07



現代美術館に行ってきました。こんなポスターを見たので、御知らせします。
ちなみに、わたしが見た展覧会は、「磯辺行久」展です。受付付近に、あまりに人がびっしりいるので、びっくりしたら、となりで、となりのトトロの背景を描いた人の展覧会をやっていました。平日の4時だっていうのに、本当に、驚く程の人が並んでいました。わたしはその絵描きの名前、知りませんでした。もしかしたら、現代日本人としての常識なんでしょうか。たぶん、あの人の多さは、荒木のぶよし展の時以上です。

18.9.07

ジョグジャ地震を思い出す



















昨年6月初旬のジョグジャカルタの写真。今日は、ジョグジャの今年のイベントについて、文章を書き始めた。今月末が、締め切りなのだ。翻訳の時間もいる。
今年4月にわたしの参加したジョグジャのイベントPerfurbanceは、去年のインドネシア地震(5月28日)の後、ある村の復興を手伝った若いアーティストたちが1年後、その村の協力を得て、行われたフェスティバルである。それで、地震直後の5月30日からの何ヶ月かの間、現地のオーガナイザーのイワンが送ってきていたメールを読み直している。彼は村の復興状況について書いてきている。

Art of Begegnungについても、少し書いた。こちらは気持ちがまとまらないけど、ちょっとしたテクを思いついたので、なんとかなるだろう。やはり、詩のセンスが大事。

16.9.07

sleeper



















I saw such young sleeper in my town.
駅で寝ている若者。ズボンがずり落ちてている。楽なのかな。

On the otehr hand, I am interested with Bridge.
Yesterday, I drived to northern from Tokyo. I saw a lot of intereting bridge.
I think I will have something with bridges., maybe、big influence from Krupp family.
別件だけど、どうも私は、橋に興味があるみたいだ。
きのう、車で水戸に行ったが、その途中、たくさん見かける橋に見とれてしまった。以前は、そんなに関心はなかったのに。たぶん、ドイツのクルップファミリーに出会った影響であろう。

15.9.07

デジタル写真のプレゼン

仕事である建築現場に行った。こちらはデザイン系の仕事で行っていて、現場の人に頼んでおいた定点観測写真を受け取った。その時、整理した方がいいので、後で郵便で送りますと、彼らは言っていたけど、こっちでそれはやるからと、その場でCDにコピーするのを待って(これが意外と時間がかかった)、受け取った。そして、今それを見ている。
なぜ時間がかかったか、わかった。分類して、日付を入れていた。感心しました。どうしてもそのまま、渡す気持ちにはならなかったのだ。

わたしの今までのアート関係の経験だと、たとえ、撮影料を払ったデジタルでも、なんら整理されていない写真を受け取るのが常だった。それどころか、カメラに入っていた、プライベートも写真も取り除いてないこともあった。で、まあ、普通、人はそうするんだろうな、とあきらめていた。

だから、この丁寧さには、心が動いた。

アート業界は、もっと実業の世界に学ばなくてはいけないんじゃないかな。


写真は銀座1丁目UFJ銀行にて。Best place to sleep

14.9.07

Emergency

プロジェクトタイトルは「緊急課題(Emergency)」。
目の前に起きている様々な他人事ではない問題に、実際、関わる形で、アーティスティックな活動をしている人たちを招待する。
タイ、インドネシア、アメリカ、日本。このプランの中には、アーティストではない人もいる。貧困、セックスワーカー、災害、人災、政治格差、アメリカ支配の世界。どれも、ぼんやり見てはいられないことばかりだ。そして、わたしたちは当事者である。

写真は、ワルシャワの議会ビルの前の路上でやっていた展覧会。1945年から民主化になった1990年までの間に、ソ連のKGBのための働いたポーランド人秘密警察の肖像写真と彼らが何をやったかを告発する展示。暗殺、拉致など。彼らは、民主化の条件として、刑事的な処罰はなしに、今でも市民として暮らしているが、現在のポーランド政府はこういう形で、彼らをさらし者にしているのである。This is a street exhibition in front of the parlament in Warsaw. They are showing portrait with document whose secret offcer woked for KGB from 1945 to 1989. The document inform their activity, for example, they killed Polish people or abducted poeple.

一方、わたしが招待の準備をしているアメリカ人のマリリンは、ポーランドがイラクへの出兵の協力すれば、アメリカがポーランドとのビジネスの契約を約束するというを条件を出した、という政治的な出来事をテーマにしたアクションを、ポーランドにて、2004年に行った。サイトスペシフィックなのだ。彼女はそういうアクションをすることで、彼女自身が現地の人に反発されることを恐れていない。作品と彼女自身と混同する人はいるし、もちろん、そこを狙っている。リスクを負っているのだ。ストレートだと思う。

13.9.07

さて。
今年度最後の方でするかもしれないイベントの申請書書き、2組。やっと終わった。明日投函。
かなりだらだらやったが、書きながら考えを整理した。こういうものでもなければ、ちょっと後ろ向きになったかもしれない、秋のはじまりであった。
ひとつ居場所にいられない質なのに、ぐずぐずしていて、お尻を叩かれたんだな。準備もなく出てきて、まだ慣れていないが、ススメ、ススメ。で、気分転換に、ブログも外に出ました。

春にパフォーマンスのミニレクチャーをすることになるかもしれない。外国でなんだけど。資料集めを始めるべきでしょう。

Any way...........
I have applied to get support for the next my project in the next year. today I have finished.
I have worked them so slowly and a little bit lazy, but I needed time to think well what I would do. it was a kind of meditation.
If I did not have these works, I was in very down and too much thinking to past time.
The autum came. sping will come soon.

I think I was pushed to the world, because some person know my character that I want ot move always. I was not ready, so now I upset, but I have to go on.
Go on , go on.

In spring I might to have a lecture about performance art hystory in Japan, I have to study more.
not time to hesitate.