14.4.12

よそものとしてのアーティスト


以下、We are Elegantのエピソード資料の最後のぺージに書いた文章。


<アーティストの立場>

 よそからやってきたアーティストの立場。人間についての興味深い点を見つけ出すこと。コミュニティに関わる時、内側の人も外側の人も、前向きな希望へのヒントになればいいと思う。しかし、時には、明らかにされたくないことを知らず知らずに、指摘してしまうようなことがあるのかもしれない。イスラエルは、世界中から常に批判にされているからか、むしろ隠しはしない、あるいは、隠しようがないのかもしれない。たとえば、イスラエルという場所は、遠く離れて情報だけ知る事と、訪れて感じることには、印象に大きく違いがある。 私たち外国人は、ベツレヘムへゆき、パレスティナのアーティストたちとワークショップをする機会も与えられた。真逆の場合もある。情報と実際はとにかく違うのだから、そこでどう関わるか、なのだ。勿論、アートイベントのオーガナイザーのセンスにもよると思う。
 とにかく、アーティストは、一時的にでかけて行って、ほんの少しコミットするだけだ。中途半端な、正義感を持ち出さないこと。地元にいないということの、無責任さをさらしてはならない。そのことをいつも、思う。そして、その上で、自分のアイデアと作品に責任を持つ。あるいは、センスを共有していないものゆえ、できることがある、ということもあるかもしれない。難しいところだ。
 いくつかの場所での活動を通して、コミュニティが「守っている場所」という意味を、今、考えている。多様な人々はともにある場所もとても大事だが、文化というものは、多くはローカルであるゆえに、無闇にオープンにしたり、競争原理にさらしたりすれば、コンテキストが変わってしまい、その意味が弱くなってしまうこともある。クロアチアのフェスティバルでは、アートのコミュニティを守るために、あえて地域共同体に関わらないで、島のような形で場所を作っていた。それは、初めよくわからなかったが、大事なことなのだとだんだんわかった。一方、インドネシアの村は、どちらかというと日本に似ていて、生活とアートが近いように思ったが、インドネシアから日本に来ると、理解しにくい「しくみ」や「しがらみ」を感じると思う。
  人間社会には、かならず、何かのためのコミュニティがある。国家もそうだし、家族もそうだ。それは、紀元前でも、原人時代でもあっただろう。アートはもともとそれらの内側で発生するものだったかもしれない。でも、近代以降のアーティストの活動は、それらにまたがっていることがしばしば。架け橋になれば、理想だが、必ずしもそうはいかない。守らなければならないのは、何か。どっちか。守るより他の可能性はあるのか。などなど思う。大事なのは、とにかく関わる人々が生き生きとしていられることだろう。考えを固定せずに、考え続けて行きたいと思う。