実は、いつでも人は、何かのガレキを乗り越えて、生きているのだ。過去を踏み越えて生きるしかない。過去を踏まえて生きると、言うこともできる。しかし、今回私たちは、あまりに急速にできた恐ろしく暴力的な量の瓦礫に、愕然としている。そして、目をそらすことができない。沢山の大事な命と想い出がゴミ同然になってしまう理不尽。うそだろ、うそだろ、と何度も思った。そのことは、私たち日本人の全員が共有しているのではないか。どこから、やり直したらいいのか、わからない。
このごろ、私が作品やワークショップで作っているイメージは、意識していなかったが、「ガレキ系」と言っても良いのではないかと感じる。ゴミのように見えるイメージこそが、ゴミでは決してなく、何かとてつもなく、かけがいのない、いとおしいものだと思うのだ。思おうとしているのではないかと思う。いや、思えてならない。意識に修正が働いているのではないだろうか。受け止めるために。「ガレキの風景」は「見つめるべきもの/目をそらすことができない/私たちの姿/受け止めるべき/ここから始める」という意味で、まさに「美術的」だと、私は思う。
そして、自然は、淡々と、その営みを行なっただけのことなのだ。「彼」は、人間のパニックや悲しみ、苦しみなど、全く知らない。私たちは、夢や神話ではなく、実際に存在する、コミュニケーション不能の巨大な存在を知った。しかし、その理不尽さは、宗教でないと理解できないことではないか。自然を制御するのではなく「畏怖」する意識が必要だと思う。そのことは、原発のことへと続いていく。まるで、バベルの塔のような傲慢。イスラエルでは、旧約聖書に書いてある出来事にその予兆を読み、次は自分たちだと思っている、と誰かが言った。
エルサレムのムスララスクールでのワークショップ。5月23日(月)午前10:00〜11:45
東京国分寺の東京経済大学でのワークショップ。6月13日(月)午後2:40〜5:30
この二つのワークショップは「足のため避難」というタイトルである。(ワークショプだが、私には自分の作品と同じ位の重要さがある。)
<コンセプト>
緊急避難の時に、人は足を酷使する。9.11以後に、私が「指圧屋」をしていた時代なんだが、すでに1年以上も経っているのに、ふくらはぎの緊張が取れないという、富士銀行の行員さんに会ったことがある。富士銀行は、WTCビルの南棟78〜82階にあり、彼は一気に階段を駆け下りたそうだ。そして、心理的な緊張がとれないのだ。震災でも、津波でも、テロでも、暴漢でも、なんでも、人は、最後には走る。地震〜津波では、ビルにいた人たちは、駆け下り、そして駆け上がった。小学生たちは、学校の裏の丘を駆け上った。
足は、世界と私たちをつなげ、折り合いをつける仕事をしつづけている。負担をかけている。頭から一番遠いので、つい、意識が遠くなっているかもしれない。
その1 下だったものが上に行く
(今まで見ていた世界の「順序」がくるう→靴をできるだけ高いところに置く。)
その2 感謝のメッセージを残す場所としての新聞紙の余白
その3 歩きにくいところを最も大切なもの(水)を持って歩く
その4 大声を出す ストレスをはらす 叫びの合唱
<ワークショップの記録、その1>
まずは サイレンの音を聞いて、外に走り出る。そして、またサイレンの音を聞き、今度は走り込む。そして、できるだけ、高いところに靴と靴下を「避難」させる。サイレンの鳴る中、それをできるだけ早く行なう。サイレンはまったく苛立たしい音である。エルサレムでは、壁にピンを打って、壁に「インスタレーション」してもらった。
東京経済大学では、壁にピンが打てないので、学生さんたちの頭にのせることにした。
まずは、エルサレムのインスタレーション。参加者はだいたい15名くらい。ものが、普通そうはない状況にあると、オブジェになるというのは、現代美術史の基本。「瓦礫」が美術的なのはそのせいだ。しかも、様々な形でひっかかっている靴が、今はちょっと怖い。
次は、東京経済大学の方。参加者は20名。頭に直接はいやかもと思い、日本手ぬぐいを用意したら、それが妙にフィットした。お祭りのようだ。皆楽しそうだし、なかなか、かわいい。昔は、川を歩いて渡る時にこのような格好になったのではないか? 緊急時ファッション。この格好のままで、その後のパフォーマンスを行なった。