14.1.09

モランディではなく

が、好きだって前の日記に書いてから、モランディの作品を探してみたら、(画集も持ってない)、なんかイメージが違った。自分のとっての理想的なミニマルな絵画って、どれだったか思い出せない。

それでそれを思い出す為に、エンピツを動かしている。どこへ消えたか?
自分の絵を描きながら、いいないいなって楽しくなると、その次に、それって自分を甘やかしているだろう、という別の声が来る。なので、壊す。たとえば、自分の作品のシリーズなんて作ろうと思った時から、自分を甘やかしているのだと思う。問いの対象にならなくなった時、それは休んだ絵になるのかもしれない。と、大口聞く程の絵を描いていない。プロジェクト型ではなくて、孤独とどう向き合うかで、できている作品に向かっている。今年のわたしは、絵もパフォもそういうスタンスで行く。しかし、........いいな、と思うようなものは、結局は、「モード」に合っているだけだったりするのだ。だが、しかも、それは避けにくい。一人でいても、人はひとりでないことが、恐ろしい程、よくわかる。びびってちゃ、だめだ。
そんなことも考えず、すらすら、描ける時期、人はあるものだ。いいじゃん。違ってて。

こんなことをしていても、お金になるわけでもないのに、大の大人が、真っ昼間から、絵を描くということは、まっとうな市民としては、恥ずかしいことなのだ。そういう後ろめたさが、わたしの原動力だ。というよりない。ここで、何かに役立つだろうと思うようだと、だめなような気がする。本質的なエゴについての、専門家になりたい。

父が入院している。2週間で、退院するつもりが、ひと月を越えた。不安な気持ちを、どう自分で解決し、しのいでいくかが、彼の一番の仕事。治療や家族ができることは限られている。他人のしてくれることを、どう受け取るか、そこがポイントのように見える。

それぞれの仕事のことを思う。