7.4.10

7つの種

テレビを見ていたらユーゴ紛争の話が出てきて、去年6月に行ったクロアチアでのことを思い出した。戦争はやはりせつない。またすぐに紛争があるに決まっていると言った彼のことを思い出す。レポートのトップページ

そんな時のその現場で、アートは「正義」とか「救済」に向かうと思いがちだけど、むしろ「エゴ」や「勢力」だったりする。人間の本分だ。そういう時に、「正義」や「救済」のアートが必要だろうと思うのは、よその国の人たちだ。

たとえば、一般に、政府や自治体がアートに関わる時、2つのコースがあると思う。ひとつは「文化」、もうひとつは「福祉」。前者は国のアイデンティティや国際的文化レベルの国威発揚に関わるもの。後者の場合は「芸術表現」の場を市民の皆さんに与えて、ガス抜きをして過ごしてもらうという意味。


だがら、
私は、アートの役割は、人間の営みには、政治に含まれないレベルのことがあるということを示すこと、なんだと思っている。


わたしは、といえば、最近、ちょっとセンスがせこくなってきた気がする。内面に降りて行く時間が欲しいし、なくては、やばくなる。勉強のし直し、な気分。


今日の写真は、1995年の韓国は公州という市での自然美術野外展でのパフォーマンス。なんでこんなポーズをしているのか、忘れてしまっったが、自然と社会と自分ということをまじめに考えていた頃の作品だった。タイトルは「Seven Seeds」。箒で地面をぐるぐるしていた。感覚的〜。7つの場所にて行うのが、そのプロジェクトだった。