今日は、仏壇屋へ行った。わたし自身は、宗教に関心大だけど、宗教ビジネスをどう考えたらいいのか、わからない。なくていいとまでは、言い切れない。
人が死ぬ瞬間を見てしまえば、どうしても、物質主義にはなれない。何か、とてつもなく、センシティブなことを知ってしまい、どう、心に落ち着けたらいいのか、まだまだ、わからない。「社会」の制度に、この重さの一部を、肩代わりしてもらいたい気持ちがある。
.......ご本尊は、「サービスします」ということで、ただ、だった。画集の仏画よりも、ずっとちゃちな印刷物がペラリとあるだけだ。これに魂を入れるなんて、ほとんど、信じられない。こっそり、わたしの絵にすり替えておこうと思う。たぶん、そのペラリの後ろに仕込んでおいて、あとから、ペラリを取り除く。わたしのいれた魂と、お坊さんの魂が、お経のパフォーマンス時に、戦うのだろう。まずいかな。
ずっと前、好きだった南米の映画『南東から来た男』を、どこかのサイトから、友達Hがダウンロードしてくれて送ってくれた。20年ぶりくらいにちらりと見た。当時、本当にミステリアスに見えた主人公の男が、今回は、単なる気違いに見えた。むしろ、映画を作った側の意図とか、そんなことが気にかかる。フィクションはフィクションとして、見るくせがついた。それでいいんだけど。つくられたイメージが、大事なのではないということです。
......関係ないけど、友達Oに勧められて時々見ているブログ。アメリカ批判的ウオッチュアーという人でしょうか。そうとう厳しく批判する拳をあげ続けておられるが、「期待」がないと、ウオッチャーもしていられないだろう、とも思う。
...... わたしは、人間の話ばかりする人がきらい。疲れる。