実のところの最大の問題はこれ。
事故や病気で死ぬのは、案外怖くない。もうあしただっていいくらいだ。
だけど、生活できなくなり、餓死するとか、施設に送られて生きながら死んでいるというようなことになる可能性は、可能性の問題ではなくて、三分の一くらいの確率で私に、起きる。
20年くらい前に、「40歳寿命説」という本があって、たしか西丸震哉という農水省にいた食糧学者が書いた。1960年代前後以降の生まれの人は、長く生きられないというのだ。食事の内容から、書いていたと思う。わたしは、40歳を過ぎた頃、あれ、案外大丈夫じゃんと思った。
ところが、ここに来て、50歳前後の人が、突然死する話を聞くようになった。主に、過労死なんだけど。
そうすると、将来、老人人口が増えていくという問題は、妙なことで、緩和されるかもしれない。つまり、多くは長生きしなくなる、ということ。
なので、上手に病気で早死にしたいって書いているわけではないけれど、言っているのかな。
とにかく、生き延びられるか、それは実は切実。だからって、職種換えすることもままならず、いつか........憤死するのかもね。
昨年から今年にかけて、亡くなった私の知り合いは、ふたりともアートプロジェクトを、手弁当で走り回っていて、途上で、倒れている。どちらも、とても、まっすぐな人だった。あきれるくらい。たぶん、ひとりで引き受けていたんだろう。「良い人から逝ってしまった」と書いたのは、アウシュビッツを生き延びた精神科医のフランクル氏。
良い人は、本格的な修羅場の来る前に、行ってしまえる、ということかな。アートプロジェクトはやめたがいい、ってことかな。大きなのはやらない。
金持ちたちは、策をねっているよ。どうやって、人口が増えて行くのを止めようかって。日本は増えてないけどね。
椅子トリゲームは始まっている。