目をあけているが、焦点をさだめない。空の方だけ、見る。まるで、盲目のような動きだが、見てはいる。
地面にオセロの駒を、鳩にえさをやるようにほおる。自分が鳩のようになってその中を歩きながら、駒を拾う。杯を持つ手つきで、駒をささえ、脚立をのぼる。空とともに杯を乾杯する手つきで、駒を高く上げる。そして、一瞬だけ、目を駒にフォーカスする。そこには、Yesと書いてある白い方か、何も書いていない黒い方かが見える。笑顔を絶やさない。その駒は、また放る。
脚立で前へ前へと移動する。通行人も皆参加できる。
時間4〜5時間。
”Ceiling Painting 2009" at Taipei (15th Nov) and Taitong (19th Nov)
オノヨーコの1969年の作品、"Ceiling Painting"への挑戦。あるいは、コントリビューション
まだ、甘い。これを長時間行う意味や、モティベションが不明。
台北で行い、駒を多く失ってしまうかもしれない。減る可能性は高い。そうすると、台東ではどうするか? オセロをもっと買って、駒を多く用意するか? .....
脚立をどう動かす?
このフォーカスしない、という態度はとても気に入っている。家の中で連続していると、自分の居場所がずれて行くのを感じる。もっと、いろいろなことを楽しめる。指が指差せないということのためのアクションを、想念だけでなく、身体が引き受け始めている。