12.12.11

優秀な通訳者

インターフェイス。
この数年間、私の世間へのインターフェイスは、ネットが多くを占めていました。ついごく最近まで。でも、今少し変わってきています。私の「PCの手前」の世界に、世界と対面する空間があらためて作られつつある。パフォーマンスアートをやる人が、今更、こんなことを言うは変?「あんたたちにとっては、あたり前なのでは?」って。




コミュニケーションの仕方。今、私は変えつつあるところです。まだ、定まりません。
PCは毎日あけるし、インターネットにもつなぐけれど、こちらから、それほど、発信しなくなりました。インターネットはやはり二番手のコミュニケーションツール。一番はなんと言っても、身体ですね。普通に言えば、声、手、顔ですね。そして、仕事する身体。もっともっと意識したい。

きのうは、小金井のシャトー2Fで、小規模なパフォーマンスをしました。

27.11.11

詩みたいだね


今日から一日一時間は小説を読もうと思う。


写真は、facebookからとりました。
ちょっとだけ知っているアメリカ人のウォールから持ってきた。誰が誰だかわからないけど、なんだか、不思議な写真。
印象派の絵みたい。



26.11.11

まともな大人

最近の思うこと。この3週間、Facebookで、「研究会バクスイレン+シャトマル」をやりました。そんなことなどから、思うこと。(アーティスト以外と話せて良かった)

今の日本は、まともな大人は、政治や社会問題、経済問題で、手一杯であるということ。アートに関心がないわけでも、感性がないわけでもなくて、優先順位が下がっているということだと思います。彼等は、社会や回りの人たちに対して、より責任があると感じている。まともな大人が、そうでなくては、むしろ、困るかもしれなません。語るべきは、アートというより、文化背景のようです。「なぜ、このような社会になったのだろう?」と。

手一杯であっても、なにがしか、アートなどの表現に触れていたいという人は当然います。アートに触れれば、感じることは確実にあって、その場では口にしたりはする。でも、後までわざわざ覚えていたり、人前で話したり、人宛に書くための「言語」にはなかなか、しないのでしょう。「芸術のための言語」を鍛えている暇は、もちろん、なかなかない(研究会の目的はそこでした)し、必要もない。

21.11.11

チエンマイに送ったインストラクション


チェンマイでのアジアトピアというアートフェスティバルに送ったパフォーマンスの指示書(インストラクション)。おととい概要をメールで送ったら、それは可能だと言ってくれたので、正式に書いた。これ以外に、去年、秋葉原でやった時の記録ビデオも添付した。上演日程は、今週末である。

そういうイレギュラーなことを、面白いと思ってやってくれるか、面倒くさいけどなんとかするわね、みたいなことになるのかは、実のところ、現地に行かないから、わからない。勿論、アジアトピアはアジアでも最も、信頼できるフェスティバルの1つである。

それにしても、こういう「メタ・パフォーマンス」なことを、最近行なうことが増えてきた。なぜか、知らない。すべてのパフォーマンスの指示書を、作っておくのも面白いかも。誰でもやって良いって。一応、クレジットは出してねって?




17.11.11

12月の3つの予定



アジアトピアAsiatopia13 
 タイ チェンマイ、コラットKorat、※バンコクは洪水の被害により中止
12月2〜4日 うち1回@チェンマイ Suan Buak Haad Park
12月9〜11日 うち1回@コラット city square
 山岡佐紀子作品 『Love or Not』
山岡のインストラクションによる観客参加のアクションパフォーマンス)



☆ バクスイレン Bak-Suiren vol.2 
埼玉県川越市にて不定期に行なうディスカッションやトークのイベント)
http://www.facebook.com/event.php?eid=125437777566920
「ポリティカル・ラブリー・アクション」
12月8日(水)18:00〜~20:30(開場17:30)参加料 1000円 
ゲストに、シニード・オードネルさんをお招きし、
パフォーマンスとこれまでの活動を紹介するトークを催します。

http://www.sineadodonnell.com/
聞き手、企画:山岡佐紀子、門倉緑 Studio Art Hechima So On
@川越市産業物産館 小江戸蔵里 つどい蔵ギャラリー http://www.machikawa.co.jp/



山岡佐紀子ソロイベント Sakiko Solo Event
百頭バア(Hundred Heads Bar)その1『優秀な通訳者』
シャトーパフォーマンスアートマルゴー 番外
http://chateau-pa-margaux.blogspot.com

 12月11日(日)参加料500円+1ドリンク 17:30〜18:30
観客6人限定。完全予約制。予約申し込み missingincity@gmail.com
@小金井アートスポット シャトー2F (リザベーションルーム)

7.11.11

このごろ

神経疲れして、今日は寝込みました。ちょっとした音でも、身体に痛く響くというのですか? しかも、マンションは外壁工事中。今日は比較的静かでしたが。

<アジアトピア>
洪水に見舞われて、延期を余儀なくされたタイのアートフェスティバル「アジアトピア13」は、比較的状況のよい内陸部のチエンマイでのみ開かれることになりました。それでも、私がでかけられない事情は変わらない。なんと説明しようか、困っていたところ、ついに先方からオーガナイザーの2人、チュンポンからのメールと、ワサンのFacebookのチャットで、返事を催促されました。(Facebookは捕まらない相手をキャッチするのに便利らしいね。ログイン中が公開されてますから)
インストラクションを送ることにしました。誰かに代わりにやってもらうのです。チュンポンは快く引き受けてくれました。
それもなかなか、興味深いことでしょう?


<Facebook 研究会 シャトマル+バクスイレン>
現在11名でやっています。わざわざ会うために出かけて行くのは、仕事を持っている人には大変なので、インターネットが役立ちます。埼玉の田舎に住んでいる人間にも助かります。今週のお題は、「あなたが影響を受けた、あるいは気になっている作品をあげて、その理由を書く」というものです。出したい人が出し、書きたい人がコメントします。まあ、世の中には、これをやる意味のある人と、ない人がいると思います。意味を感じる人が参加すればいいのではないかな。もともと、メールで、私と、直方平さんと、グラフィックデザイナーの佐野さんの3人で、書き合っていたものを公開して、少し、ルールつきにしたというだけです。ネットに言葉が出回るのは、どうもいやなので、非公開制にしていますが、入りたい人は、承認申請していただければ、まず、だいたいの人はOKです。


<パブリックアクションチャート>
パブリックのことなどを、このところ、考えていました。パブリックアートとは何でしょう? ちょっと、変なことが多いと私は感じます。ストリートパフォーマンスとパブリックアートは別のものです。たぶん、2009年に信濃町の駅付近での路上パフォーマンスを、太田エマさんが、見てくれたことで、彼女を通じて、そっちの世界に少し近づきましたが、私の表現は、今時言う、いわゆる「パブリックアート」とは似て非なるものでしょう。
さて、私の書いてみたチャートをいろいろな人に紹介したのですが、違和感や不快感をあらわにする人もいて興味深かったです、一方、いつも辛口な人が喜んでくれたりもしました。。
単にぶらっと、道に出て歩いて、出会ってしまうものを上げて行くのが、私にはリアルだと感じます。ストリートでの表現に「アートは位相が違うから」という気持ちでやっていたら、成り立ちません。
社会問題についての考えというのは、スタンダードがあったり、権威があったりして、侵してははならないことかのように考える人もいるに違いないです。



<ソロ作品>
を、考案中です。どこで行なうか、誰に見て欲しいか。テーマは、「態度」です、しかも、私の態度だ。それの細部をひとつひとつひきのばして、強調、加工して、作品にします。ユーモアたっぷりで、怖い、怪談みたいのがいい。世界には、教育や世間的しばりから、はずれた感性や存在がある、それを表すのが、私の仕事。ミッション。臨界の外があること。
『百話婆(バア)』というタイトルで、どっかの「バー」の片隅で、こっそりパフォーマンスするというのは、どうかしら。




4.11.11

名称も変更 路上≠パブリックアクションチャート 更新4


路上からパブリックを考える。
20年くらい前まで、パブリックアートとは、路上介入もののことでした。警察が出動したり、新聞記者がやってきたりするようなものだったのです。ところが、今は、真反対の、行政側から市民に提供される、サービスプロジェトのように思われているようです。

さて、そうでしょうか?


路上で、何が行なわれているか、フラットになって観察体験してみましょう。実際はいろいろなことが行なわれています。勿論、アートと呼べることはごくわずかです。まあ、言ってみれば、アートなんて必要がないほど、人々が様々な活動をしています。それは、多様です。ぶつかったり、住み分けたりしている。そして、アーティストとしては、それらと関わらないのは、もったいない。

私のしていることは、貼紙とかナンパに近いことになっているなあ。迷惑お節介系コミュニケーション? ストーカーほど迷惑すぎない。散歩ほど、良識的な個人活動ではない。




3.11.11

チャート更新3 さらに 山岡にフォーカスしたタイトルに換えた





右端を「政治システム」にして、左端の「人間の臨界」とのバランスをとった。
そして、タイトルを「山岡佐紀子のパブリック作品の位置をチャートで確認する」とする。このチャートのユニークさの理由がこれで明確になる。

2.11.11

パブリックアクションチャート更新2


また、更にチャートに手を入れました。これを、インタラクティブにできないものでしょうか? 今日、Facebookにアップしたところ、外国人から、コメントがあったので、英訳を作る事にしました。タイトルだけ、英語で書いたので、知りたいらしい。積極的に知りたい人、見たい人が、シェアするのが正しいことだよね。



1.11.11

パブリックアクション チャート 更新

さらに、修正しました。xy軸の他に、z軸を入れたいかとも思うのですが、いいアイデアがない。芸術作品は、チャートを越えた存在であるべきという意見も聞かれましたが、どうでしょうか。
左端の臨界を換えました。真ん中は市民の自由です。良識と言ってもいいかな。

「人間」というのは、「社会生活」をする生き物です。しかし、そこからはみ出る動きがある。それが「人間の臨界」です。デモや革命は、「社会生活」のうちです。なので、真ん中あたり。私の作品も、アートシーンが認めてくれれば、右に寄っていきます。
さて、ディスロケードはどの辺の活動をしたいのでしょうか? エマさんのコメントを待ちます。


31.10.11

パブリックアクション チャート

きのうアップしたものを、いただいた感想をもとに、アップデートしました。今のところディスロケードが中心みたいですけど、これを考えるきっかけを作ってくれたので、そのようにしています。
だんだん大きな図にしようかな。参加希望者が書き込めるといいのだけど。





30.10.11

ハッピーハロウン

今月は、これでたった2回のブログです。最近は、twitterも減ったし、いい具合に内省的になっているんではないでしょうか。ネットでも露出が多い時は、一見元気そうですが、実際は、頻繁に他人とのコンタクトをしていないと不安だと言う事の証だと思います。実は、不安な気持ちは今も同じですが。

この3日にほどは、Facebookにつくった研究会に意識が向かっていました。シャトマルとバクスイレンの出演者や観客の一部の、今はおよそ8名でやっています。運営方法のアドバイスをくれる方もあって、今は、やりながらルールを作っている時期で、ばたばたしていますが、割と楽しくやっています。目的は、日本語言語力を鍛えること、これは主に作品の鑑賞のリテラシー力を高めるためです。一日ひとつくらい新しいお題を出し、それについて、書き込みたい人が書いています。数日持ち越しのものもあります。
興味のある方は、こちらへ。非公開なので、申請してください。特に資格などはいりませんよ。http://www.facebook.com/groups/ChateauPAMargaux/

3〜4つ掛け持ちで勉強しています。と言っても、なかなか、そのモードにならなくてようやく昨日くらいから、集中できるようになりました。アウトプットばかりの日々でしたから、インプットをやる冬かな。自分のパブリックパフォーマンスのあり方を、少し整理してみたいとも思っています。アウトプットでもインプットではない、何て言うのかしら........。ディスロケードのエマさんと少しその辺を、リフレクションしてみようと思ってます。
以下のチャートですが、今日私の頭に浮かんだものなので、よく考えるとかなりバランスを欠いているかもしれないけれど、ある意味、あたっているのでは? 
私の作品は、このうち、ディスロケードの「デ」の字あたりから、もう、左上くらいになると思います。「Best place to Sleep」は、かなり、左に行きます。でも、 「Love or Not」はもともとディスロケードのために考えたものなので、まさにディスロケードと同じ位置。少し、それまでよりも、公的な利益を考えたんですよ。バンクーバーでの「We are Elegant」もそのあたりかな。どこが出したお金でやったかも、結構大事です。私は、クライアントであるフェスティバルの期待に応えたかどうか、わからないんですよね。



パブリックアクションのチャート


25.10.11

このごろ

ひと月近くもブログを書いていませんでした。
家(マンション)の改装、のせいだと思います。色々なものを捨てました。それから、そのせいで少し広くなりましたから、家の隅々まで、気持ちを払うことができるようになり、飾りつけたり、見直したり、意外と充実していたかな。

季節もあっという間に、秋深く。ベランダの花たちもその主役が移り行く過程。ラベンダーが今、一番元気です。

この秋は、タイのアートフェスティバルに行く予定でした。行くのをやめたのは、費用がないと言うのが最大の理由で、二番目の理由が母の精神的不安定。アジア行きの場合、自費で行かなくてはならず、なんのために行くのか、覚悟がいります。...... ところが、それを先方のオーガナイザーに連絡しないうちに、タイの方が、深刻な洪水となり、水が未だにまったく引かず、被害が広がる一方です。それで、イベントが延期になると、連絡が先ほど入りました。


それにして、今年は、いったい、どうなっているのでしょうか?これから、こんなことが続くのでしょうか?






家の中のいらないものを片付けていると、古い本なども出て来ます。70年代の小説って、あらためて読むと、とても新鮮ですね。今、それで、遠藤周作の小説をちょこっと読んでいます。人物描写が、近頃の流行の小説とは全く違う。今のいわゆる映画調ではなくて、細かな人物観察の方法が違っている。まるで、パフォーマンスアートを、そう眺めて欲しくなるような観察眼。振る舞い、服装の着方、表情、欠点。その背景の外見的要素、階級、文化コード、政治的な影、などを丁寧に書き込み、世界を作っている。
そう、欠点のある人物しか、出てこないのがすごい。
美形かあるいは人の良さそうなほのぼのダンサーによる表現でなければ、アートパフォーマンスとは認められていない、昨今の日本です。つまんないですね。
でも、ビジュアルアートって、もともと、もっと、ぎらぎらしていたり、もやもやしていたり、ぬらぬらしていたり、ぞっとしたりするものじゃなかったっけ。インスタレーションでも絵画でも。なんか、最近は、デザイングッズ屋とか、ファッション雑誌の世界観みたいになってきたと思います。

時代か?いいえ。

バンクーバーのマット君の書いた、わたしのパフォーマンスの感想も、そのくらいの観察力にあふれていました。会った事のないランスという人のメールにも驚かされたっけ。感じたことの描写力が細かい。どうやって養ったのでしょうか?

日本人は、あるいは東京の人間は、刺激的なことが毎日、メディアを通して発信されている中に暮らしていますが、それに翻弄され、感性が受け身になっているかもしれません?それ以外のことにハマる余裕がない? みんなについて行ってないと、後れてるっていわれちゃう? 自分らしさにこだわっている割に、自分の感じていることに、自覚的になれず、ムードに流されているように見えます。
私から見て、日本人の知り合いで、自分の言葉で話す人に、どのくらい会っているだろうか?  正直言って、片手で数えてもまだ、指が余るくらいしか、私は知りません。

でも、目を見ると、何か、この人には起きているのだな、と分かることはとても多い。

なのに口から出るのは、ありきたりのあいさつレベルの言葉。閉ざしているつもりは、なくても、表せない?ちょっとした技術のなさで、人々の中にいながら、孤独になっている人がどれほどいるだろうかと思います。
なんら意味のない言葉で、やり過ごしている?
こんなにツイッターが流行っているのに、そこに何か、表現できているか? 他人を恐れている?  そして、突然、開き直る発言?
だめだめ。


まず、自分から体現する事が大事でしょう? ジミに、がんばります。質感を確かにするために。




24.9.11

帰国しました。




バンクーバーから帰国しました。1890年代から始まった日本からの移民のコミュニティ、そして、先進国最悪といわれるスラムである、ダウンタウンイーストサイド(DTES)のふたつを取材する作品をしました。



気難しいオーガナイザーとのやりとり、危険の度合いがなかなかわからない町との関係、様々、精神力を試される機会でした。私は、なんとか、ベストを尽くせたと思います。そして、自分のスタンスがより明確になってきていると思います。

13.9.11

人と関わる

今年前半を振り返ってみて。
人と関わることについて、改めて考えています。
できるだけ、チャンスがあれば関わった方がいいに違いありません。しかし、エモーショナルな部分に振り回されないことが、私には大事かな。

しかも、そこそこ、というのが、大事。ついサービス過剰になってしまう。過剰になるとこっちはサービスのつもりでも、相手には、そうは映ってないでしょう。


明日から23日まで、かなだ、バンクーバーに行ってきます。
最初の2日は、しっかり町を歩いて、人の話を聞いて、そこでできることを見定めたいと思います。

以下のは2007年のジョグジャカルタでのもの。ある村で、エレガントなアクションを見せて欲しいと言って、やってもらっている。これらをプレゼンして、協力者を求める予定。







12.9.11

世界のへそ、バンクーバーバージョン

2008年に、港町往来ワンダララプロジェクトのプレイベントというのをしました。そして、プレだけで、本展はしませんでした。場所は横浜。世界の港町、グラスゴー、マルセイユ、香港、ボストンという4つの町からアーティストを呼んで、近代から現代の、各港の人間の生活、経済、文化のの推移をテーマとした展覧会にしたかったのです。しかし、アーティスト(プレなので、国内作家だけ)は参加してくれたけど、アーティストだけでなく、関わった人たちのほとんど誰もが、理解できないアイデアだとのたもうた、もうほんまに、ノイローゼになりそうな、企画でした。
今でも、どこが間違っているかさっぱりわかりません(笑)。でも、それは「企画」ではなくて、「作品」でするべきなんだろうな、と思うことにしました。


今週の水曜日から、私の仕事をしにゆくバンクーバーも、そういえば、港町なのだと言うことを思い出しました。まだ、明治になったばかりの頃から、日本からの移民が何日も船にゆられて、たどり着いた町なのです。港には、移民、そして失踪、失業者はつきもの。


約1週間で、あまり長い滞在ではありませんが、そこで2つの作品を作って来ようと思っています。準備は2つしておいて、現地で新しいものを思いついたら、3つやってしまうか、持って行くアイデアのうち、1つはやめて、2つにするか。行ってみないと条件が判らないので、準備は大事かなと思っております。


用意するのは、「We are Elegant」という、インドネシア、クロアチア、イスラエルでやってきたインタビュウ型パフォーマンス作品。これはたぶん、日系移民の町で女性たちを巻き込んで、面白そうな場所を選んで行なうかもしれません。結構、人気のある作品なんですよ〜。



もうひとつ用意するのは「世界のへそ」。これは、横浜のドヤ街、寿町で2006年に行なったワークショップ型写真作品で、別のところでは、まだしたことがありません。しかも、別にあまり評価されていません(笑)。バンクーバーでの、やりたい町は「ダウンタウンイーストサイド」。先進国最悪のスラムと言われているそうです。失業者、ドラッグ、などなど。通行する方たちに、おへそを見せていただき、デコレーションして撮影します。お土産に石けんを差し上げます。
どちらも、私の姿はあまり見えない作品です。いわゆる人がイメージするパフォーマンスアート作品ではないですね。

久しぶりに「世界のへそ」の資料を出しました。このポスターのだささが、好きなんです。








6.9.11

美術作家、そして、ほほえみの給食センター

美術作家という言葉を久しぶりに思い出しました。しかも、肯定的な意味で。

現在開催中の所沢ビエンナーレを見に行き、感じたことです。最近は、アーティストという言葉の方が聞かれることが多いし、私も使っていました。アーティスト、となると、アイデアやコンセプトを重視している感じがあり、美術作家というと、ものをつくる人たちという感じがします。ものをつくることで、思考している人たちだと思います。

所沢ビエンナーレは、前回は2年前くらいでしょうか? あまり、良かったとは思えなかったです、正直。80年代のモノが空気なしで、そのまま、運ばれてきた感じがありました。80年に活躍した美術作家たちが、集まって、企画したものだと聞いています。現代の流行物に危機感を感じ、抵抗して、創られた展覧会という感じでした。だけど、なんか、負けているように思いました。でも、今回は、いろいろと楽しめました。なぜでしょう?



その理由は、展示場所から来る条件の違いではないか、とふと思いました。作家の選び方が変わったから、というのは、もっぱらの理由らしいですが、作品の1つ1つと言うよりは、場所の違いにより、展示の方法も違ったのだと思います。

30.8.11

顔から火

今月は、話をする、という仕事が2つありました。

ひとつは、ヨコトリ2011を見て、気に入った作品について話すというもので、横浜の市民メディア「Take Art Easy!」の企画。録画されたものが、編集されて、そのうち、インターネット上に上ります。これは、まあ、わたし自身「しゃべる」のの素人ながら、ディレクターの高橋さんとさんざんお話をして準備をしたので、まあ、つまんなかったら申し訳ないですが、それほど、ご迷惑はかけてないのではないかと思います。だと、良いです。もしかして、私が思ったことを話した作品の作者が、「失敬だ」と思うことがあるかもしれません。でも、それはアーティストとして、ある程度は、覚悟しているでしょう。「Take Art Eazy! (Taez!)」の方の編集力でなんとかしてくれるでしょう。よろしくお願いします。これは、8月21日に収録されました。なかなか、訓練させられる経験でしたが、楽しかった。


もうひとつは、「5750分展」という、埼玉県の中高校の美術の先生たちの勉強会のようなところに、ゲスト参加しました。というこちらの方は、もしかしたら、大変、迷惑だったかもなあと、今、顔から火がでそうです。8月27日のこと。

今、中学校では、一週間に1時間しか、美術の時間がないそうです。それを3年間合わせると、5750分。それはおよそ4日間。なので、先生たちは、夏休みに4日間集まって、美術教育の研究をしています。その第3年目。その3日目のプログラム。

27.7.11

ワークショップさまざま

昨年から、なぜか、ワークショップの仕事が続いている。まとめてみた。リンクしてください。
→ http://sakikoyamaoka.com/workshopJ.html


「いっしょにやるアクションパフォーマンス」もワークショップに似ている。あまり大きな区別はないが、あるとすれば、そこに私が参加しているかどうかの違いだけだ。
やはり,作品として行なっているという感覚でいるのが、正しいように思う。


仁川の新興小学校での「トリオの力」





上の3つは「ことの運び」。スペイン、ジローナにて



上のは、エルサレムでの「足のために避難」





上のふたつは、秋葉原で行なった「モバイルティーパーティ」




上のは、東京経済大学での「足のための避難」




25.7.11

エルサレムのWe are Elegant 2/2 パフォーマンス

We are Elegantという作品。
2007年にインドネシアで始めて行ないました。
詳しくは、この前の投稿を参考に。
エルサレムのWe are Elegant ストリートインタビュー

エルサレムでの"We are Elegant" は、東エルサレムのムスララという町で行ないました。ムスララというのはパレスティナの言葉です。1967年以前は、完全にパレスティナの町だったのだと推察します。そして、その中でも「ムスララ」は、ユダヤ人の左翼活動家のグループ「ブラックパンサー」の根城となっていたエリアだそうで、大変イワク付きらしい。今は、見た目は美しい「閑静な住宅街」。欧風の家の立ち並ぶ町ですが、この撮影をしたところはそのはじっこあたりで、「その昔」の空気が残っているようです。4枚目の写真に石造りのビルが見えますが、ここは所有権が、ややこしい事になっていたものを、このたび、ようやく、めでたく(?)メディアアートのスクールが校舎として使うことになったそうです。

以下はパフォーマンス写真の一部。参加者は、エルサレムのアカデミーのパフォーマンスアートのクラスの女の子たち。通行人も若干参加しています。よく見てみてね。後半は、フェスティバルに出ていた露天のフードショップのキッチンの中です。みんな興奮しました。店のおじさんたちも楽しかったらしく、あとで、握手を求めてくれました。お店の人に喜ばれるって本当にうれしいですよ。









以下はおまけ。お店のおじさんたちと、後で写真におさまる。二人は、とても楽しんでくれた。イタリアマフィアみたいな二人はどうやら、双子らしい。


エルサレムの We are Elegant 1/2 ストリートインタビュー

もう一月以上経ってますが、アップしていなかったので、ご報告します。
たぶん、私の5月のエルサレムの滞在中に行なった3つのパフォーマンスのうち、これが一番楽しかった。
「We are Elegant」という作品は知っている方もおられると思いますが、2007年にインドネシアのジョグジャカルタの郊外の村で行なったのが、最初です。村を歩き、インタビューし、「あなたにとって、エレガントとはどんなポーズですか?」と聞いて回りました。そのインタビューのスケッチをもとに、6つのポーズを選び、パフォーマンスの日に、参加したい観客とともに、村の墓地で、そのアクションを行ない、写真におさまりました。

<参考>
We are Elegant, Jogjakarta 2007 Youtubeへのリンクは以下。

さて、
エルサレムです。東エルサレム。1967年以前は、パレスティナの人たちが住む場所でした。聖地をわけ合っている「オールドタウン」の一部や、町外れのでこぼこした所に行くと、パレスティナの人の家を見ることができますが、きれいに整備されたビルや家のある中心街は、明らかにユダヤ人の町です。(たぶん)


”We Are Elegant. Jerusalem 2011"ストリートインタビューの映像から静止画像を紹介します。作品としては、映像の方になる予定です。

日本に、舞踏留学していたザッハというかわいい女性にインタビューのアシスタントを頼みました。以下、ビデオで撮ったものから、スティルイメージを取り出したものです。
質問の仕方が始めは、あまりうまくいかず、拒否されたりしましたが、慣れたら、どんどんポーズを見せてくれました。空色のスカーフを着ているのがザッハです。

次の投稿で、パフォーマンスの方をご紹介します。