今月は、話をする、という仕事が2つありました。
ひとつは、ヨコトリ2011を見て、気に入った作品について話すというもので、横浜の市民メディア「Take Art Easy!」の企画。録画されたものが、編集されて、そのうち、インターネット上に上ります。これは、まあ、わたし自身「しゃべる」のの素人ながら、ディレクターの高橋さんとさんざんお話をして準備をしたので、まあ、つまんなかったら申し訳ないですが、それほど、ご迷惑はかけてないのではないかと思います。だと、良いです。もしかして、私が思ったことを話した作品の作者が、「失敬だ」と思うことがあるかもしれません。でも、それはアーティストとして、ある程度は、覚悟しているでしょう。「Take Art Eazy! (Taez!)」の方の編集力でなんとかしてくれるでしょう。よろしくお願いします。これは、8月21日に収録されました。なかなか、訓練させられる経験でしたが、楽しかった。
もうひとつは、「5750分展」という、埼玉県の中高校の美術の先生たちの勉強会のようなところに、ゲスト参加しました。というこちらの方は、もしかしたら、大変、迷惑だったかもなあと、今、顔から火がでそうです。8月27日のこと。
今、中学校では、一週間に1時間しか、美術の時間がないそうです。それを3年間合わせると、5750分。それはおよそ4日間。なので、先生たちは、夏休みに4日間集まって、美術教育の研究をしています。その第3年目。その3日目のプログラム。
座談会のなので、ざっくばらんに、と言ってもらっていましたが、私は、ざっくらばらんすぎたかもしれません。正直言って、なかなか、興味深い話が沸騰していたので、私も結構、沸騰してしまいました。考えてみれば、教えた経験はないわけだから、それはもう、むちゃくちゃだったかもしれません。にもかかわらず、若い先生たちは、だまって私の意見に反論もせずに聞いてくれて、少なくとも(笑)見た目はにこにこしてくれていました。「絵が描けないからと、美術がきらいにならないで欲しい」という私の問いかけ。「文科省からは、何が求められているか」なども聞きました。だけど、たぶん、もっと、深い話をする予定だったかもしれません。たとえば、鑑賞と制作の関係など。
私としては、先生と生徒さんとの、生なやりとりの話を聞いたのが、なんと言っても面白かったです。こっちも人間ならば、あっちも人間!
参加された皆さんすみませんでした!でも、私は、本当にいろんなことを考える機会になり、勉強させていただきました。せっかくの夏休みの日曜日にまで、集まって勉強する、先生たちに感動しました。
それとともに、気がついたのは、急速に、日本でいうところの「アート」に意味が変わりつつある中、若い先生たちは、「美術ってなんだかわからない」と言う疑問を持っているということ。それが、あのような、研究会の場が生まれたのだなと感じました。でも、そのことって、面白いことかもしれないな、と私は思います。
つまり、それは、
行政側が、提示している「やって欲しい」ことに影響されながらも、何か、独自の「希望」が生まれていくような、ほわほわした期待です。美術の先生って、他の教科の先生が過敏に、そうした「指令」みたいなことに反応するのとは違い、むしろ「鈍く」受け止め、そして、それぞれが別々に、自己流に解釈しようとする人たちなのかもしれません。それゆえそれは、希望かも。自分でものを作る人間は、自分の方法を一番信じているゆえに........。
ただ、少し感じたこととして.............。人間ってなんだろうとか、世界ってこうであって欲しい、というような「理想」が、壊れてしまっている現代の「世界」、若い先生たちは、それにもろに影響を受けているようです。闇夜にピンを探しているかのような、そういった風情にも、見えました。どうでしょう? ちょっと、電気をつけてみたら?(enlighting=啓蒙) と言っても、つかないんですよね、今は。節電中だし。
ひとつは、ヨコトリ2011を見て、気に入った作品について話すというもので、横浜の市民メディア「Take Art Easy!」の企画。録画されたものが、編集されて、そのうち、インターネット上に上ります。これは、まあ、わたし自身「しゃべる」のの素人ながら、ディレクターの高橋さんとさんざんお話をして準備をしたので、まあ、つまんなかったら申し訳ないですが、それほど、ご迷惑はかけてないのではないかと思います。だと、良いです。もしかして、私が思ったことを話した作品の作者が、「失敬だ」と思うことがあるかもしれません。でも、それはアーティストとして、ある程度は、覚悟しているでしょう。「Take Art Eazy! (Taez!)」の方の編集力でなんとかしてくれるでしょう。よろしくお願いします。これは、8月21日に収録されました。なかなか、訓練させられる経験でしたが、楽しかった。
もうひとつは、「5750分展」という、埼玉県の中高校の美術の先生たちの勉強会のようなところに、ゲスト参加しました。というこちらの方は、もしかしたら、大変、迷惑だったかもなあと、今、顔から火がでそうです。8月27日のこと。
今、中学校では、一週間に1時間しか、美術の時間がないそうです。それを3年間合わせると、5750分。それはおよそ4日間。なので、先生たちは、夏休みに4日間集まって、美術教育の研究をしています。その第3年目。その3日目のプログラム。
座談会のなので、ざっくばらんに、と言ってもらっていましたが、私は、ざっくらばらんすぎたかもしれません。正直言って、なかなか、興味深い話が沸騰していたので、私も結構、沸騰してしまいました。考えてみれば、教えた経験はないわけだから、それはもう、むちゃくちゃだったかもしれません。にもかかわらず、若い先生たちは、だまって私の意見に反論もせずに聞いてくれて、少なくとも(笑)見た目はにこにこしてくれていました。「絵が描けないからと、美術がきらいにならないで欲しい」という私の問いかけ。「文科省からは、何が求められているか」なども聞きました。だけど、たぶん、もっと、深い話をする予定だったかもしれません。たとえば、鑑賞と制作の関係など。
私としては、先生と生徒さんとの、生なやりとりの話を聞いたのが、なんと言っても面白かったです。こっちも人間ならば、あっちも人間!
参加された皆さんすみませんでした!でも、私は、本当にいろんなことを考える機会になり、勉強させていただきました。せっかくの夏休みの日曜日にまで、集まって勉強する、先生たちに感動しました。
それとともに、気がついたのは、急速に、日本でいうところの「アート」に意味が変わりつつある中、若い先生たちは、「美術ってなんだかわからない」と言う疑問を持っているということ。それが、あのような、研究会の場が生まれたのだなと感じました。でも、そのことって、面白いことかもしれないな、と私は思います。
つまり、それは、
行政側が、提示している「やって欲しい」ことに影響されながらも、何か、独自の「希望」が生まれていくような、ほわほわした期待です。美術の先生って、他の教科の先生が過敏に、そうした「指令」みたいなことに反応するのとは違い、むしろ「鈍く」受け止め、そして、それぞれが別々に、自己流に解釈しようとする人たちなのかもしれません。それゆえそれは、希望かも。自分でものを作る人間は、自分の方法を一番信じているゆえに........。
ただ、少し感じたこととして.............。人間ってなんだろうとか、世界ってこうであって欲しい、というような「理想」が、壊れてしまっている現代の「世界」、若い先生たちは、それにもろに影響を受けているようです。闇夜にピンを探しているかのような、そういった風情にも、見えました。どうでしょう? ちょっと、電気をつけてみたら?(enlighting=啓蒙) と言っても、つかないんですよね、今は。節電中だし。