30.11.10

アイデア、が大事。

このブログには「統計」というツールがあって、その日に、どのページを何人が見たかがわかる。誰かまではわからないけど。
ずっと前の記事が、今日、2回も見られている。2つの計画のことが書いてあった。6月頃のこと。

「何かを企画して行う」ということは、何か同じようなセンスを共有していなければ無理なんだ。人間的信頼関係。やったことのない人とする場合は、彼らが私を信頼してくれてなきゃ、できない。私が信頼しなくてはできない。信頼は、どうやって、みつけるか。親しく話せれば、それで良いわけではない。


今は、主に、来年の計画のために仕事をしています。
出て行くのが、2つ。招待するものが1つ。だけど、わたしはディレクターとして仕事をしていきたいわけではないので、招待するにしても、自分の表現の表出の方法としてやることになる。どうやったらいいのか、考えている。いっしょに働くいい仲間が欲しいが、10年かけて1人いるか、いないか、なんだと、最近よくわかった。

シャトマルは、どこまでやっていけるか。本当にラボ(キッチン)になっているか?自分のやりたいことができているか?

アイデア、が問題。
アイデア、って思いつきって意味のアイデア、ではなくて、「思想」って意味のアイデアね。だから、変わらないもの。変わるとしたら、うねりのように変化するようなもの、あるいは、よっぽど強いショックで変わることはあるもの。
たとえば、「駅でやってみよう」というのは、アイデアではない。「駅を教会に見立てる」というのは、コンセプト。
アイデアは、もっと、深くて、広い。
そして、アーティストの命みたいなもの。たとえ、手や足や耳や目が使えなくなっても、なんらかの方法で、表現することができる。アイデアだけで、他は全部、他人にやらせたっていい、そのくらい、強いものだ。そういう状況って、あんまりないけど。

それを整理している、今。あほだから、できん、かもね。