18.11.10

今と今後

今と今後。ちょっと脳がとろけてきた。何かやりたいが、気持ちが凍結している。でも、ことはどんどん押し寄せてくるのだ。整理をつけたい。(とろけているのに、凍結とは何を言っておるのか)

なんとか、できる限りのことはやったという感じているMediActions。反省は少なくはないが、手は抜かなかったという点で、ある種の達成感はある。
人との関わりが多かった。これは感謝だし、宝物だ。
だが、アートってなんだろうかと思うと、コミュニケーションだって簡単に言う人もあるけど、他のことでもコミュニケーションはできる。
だから
コミュニケーションができたからと言って、アートができたことにはならない。
甘えちゃいけないってこと。

それでも、
実感としては、今の世は、「戦う」よりも「協力する、シェアする」というのが、よりラディカルな気がするということを感じている。「戦う」のが、ヒロイズムとか、出来合いの正義感から来ていて、「戦う」人には仲間はいるけど、敵も必要とする文化のような気がする。
「戦い」を文化と言うのは、語弊があるかもしれない。でも、私には、イデオロギーも宗教も文化で、人間が発明したイマジネーションだと思う。まじめに、命かけている人から見ると、ふざけてやがると思うかもしれない。
でも、命かけて、想像力のことを、考えている人だっているんだぜ。

政治や社会がストロングであれば、制度と闘争する意味もあるかもしれない。でも、あの人たちはプライドが高いけど、力も知恵もないって感じだ。情けなくて、戦おうとは思えないんだ。

だけど、やはり「協力」や「シェア」が下手すると、甘い夢になる可能性もとても大きい。たとえば、自分の努力を、ぶんどられたらむかつくし、にこにこするよりないから、慇懃になったりもするね。ぶんどる方は、まったく悪気がないかもしれないけど、思いやりは欠けてるだろうね。それから、私に力がないからって、ただただ、何も見ず、話もせず、無視する人は少なくないだろう。そういうことのソリューションは思いつかないよ。損とか、得とか言うことにどういうスタンスでいたらいいかわからない。だけど、悔しいからって、彼らの家を燃やしに行く事もできない。皮肉の一つで済めばいいかもしれない、だから、少なくとも、冷静ではいたい。だから、血をたぎらせるのではなくて、一人を守るんではなくて、世界が関わりあう図を明確に想像し続けること、小さいところからでいいから、実現しようとする意志を続けることが、最もラディカルであると思う。地味な言い方だけど、戦う相手は、自分の中にある。だからって、自分をいじめてはいけない。その頃合いを掴むのが、かっこいいんじゃないかな。


まあ、いいや。それより、これからどうしようかって言うことだ。

つべこべ言ったり、哲学カフェが面白かったねとは言えるけど、結局、私は私の表現が看板なんだ。そこは、シェアできることと、できないことがある。責任もって出すってことはシェアできないし、出したものはシェアしよってわけだから。

<今後の予定>

ということで、今週末は、シャトー。
「シャトー・パフォーマンスアート・マルゴー」@シャトー2F 武蔵小金井駅下車5分
  11月21日(日) 15:00  詳細はこちら
5人によるデユレーションパフォーマンス。参加5名が、同じ時間に同空間でパフォーマンスを2時間くらいする。動物園みたいな感じかな。企画は、私と村井元さんと直方平さんの3人。1500円。ワンドリンク込み。このシャトマルは、来年1月と3月にもある。

来月は、円盤。高円寺のレコード屋さんだ。川染さんの企画
12月8日(水)19:00 3〜4人が出る。私以外はたぶん、サウンド系。私は、レコード棚を背景に、私にとっての「サウンド」をやる。 場所はこちら
どんなのりになるか、想像がつかない。入場料1000円

来年は3月にスペインはジローナというところへ行く。フェミ系のパフォーマンスフェスと、ジローナ大学でもワークショップやらがある。スペイン初めてだから、楽しみ。バルセローナのバレンティンが、紹介してくれた。スペイン内の他の可能性もあるそうだ。何か、新作を考えて提出したい。

それから、バンクーバーでの、地域性を重視したレジデンス系イベントにも、内内のオファーが来ている。こないだ来日したランディが誘ってくれている。5月頃だっけな。ランディはパフォーマンスフェスのディレクターだけど、パフォーマンスフェスはもう飽きたって。これはウエルカムだな。パフォーマンスアートフェスは、閉じた世界になりつつある。90年から、00年代までの話ではないかな。

できたら、日本の地方に行きたいと思っているけど、この2年くらい、横浜と千葉(佐倉)より遠いところに行ったことがないです。たぶん、ホームページを日本語にしなくちゃいけない。それから、5月のインチョンでの「美しい校門」プロジェクトやMediActionsの成果などを、まとめる必要がある。

たぶん、「モバイルティーパーティ」と「公共哲学×アート」を合体させた動きができるんではないかと思っている。秋葉原でやったのは、ほんの序の口だ。始まりで、しかない。


収入源。編集デザインの仕事がひとつあります。それ以外に収入がないので、困る。何かあったら、お声をかけてください。