言葉は、特に日本語はもやっとしているので、案外隙間があるような気がする。言葉をあんまり信用していない人はけっこう多い。
でも、ビジュアルイメージはどうかな。絶望的なほどに、と思うのは、わたしのことかな。
だから、
体験的なものを取り込んだんだと思う。
にもかかわらず、体験そのものより、言葉を駆使したり、イメージを作る作業ばかり、している気がする。今は、展示のための準備ばかりだから、ストレスになっている。
言葉に頼りたくない。
でも、見た目って、どこまで、伝わるのか、わからない。
先入観の固まりなのが、視覚イメージだと思う。
だが、それだけではない、と信じる人たちが、ビジュアル系アーティストになったのだと思う。
わたしは、どうしても信じられないんだよ。
もっと、もっと、気配や体験を作ることの、プロフェッショナルにならなくては。
まだまだまだまだまだまだまだだ。
以下は、「天使の監視」より。写真、芝田文乃さん。
20.10.10
MediActions後半戦
9月26日より3331ArtsChiydaにて開催中の「 メディアクションズ」http://dis-locate. net/mediactions/
も、後半になって参りました。テークノロジー、メディア、 公共空間、ローカリティ、ジェンダーがテーマのイベントです。
今後の予定をお知らせします。 公共哲学カフェとの共催イベントもよろしくお願いします。
ワークショップ4 B1マルチスペース
10月23日(土)14:00〜18:00 映像を感覚的にコラージュする。
パフォーマンス B1マルチスペース
10月24日(土)14:00〜 シェン・ジー、ジャスミン・パテラ、ピリリャ・ターニャ、 山岡佐紀子
(*山岡の作品は『天使の監視』というタイトル。 秋葉原駅構内で行うパフォーマンスを、 観客は離れたイベント会場にて「安全に」に鑑賞します。)
ファイナル・ワークショップ 集合場所 B1マルチスペース
10月30日(土)14:00〜18:00 『モバイル・ティーパーティ』というアクションを参加者と屋外に て共に行います。 秋葉原がその発祥の地であるというリヤカーですが、
現在も段ボール集めに使われているリヤカーを1台借りて、町の「 開かれた場所」を求めて、のんきに移動式お茶会を行います。 是非ご参加を。
参加型イベント
10月31日(日)14:00〜 内容未定
展覧会 ギャラリーB
10月30日(土)〜13日(土)12:00〜20:00 ワークショップのドキュメントと、 滞在中のレジデンシーアーティストが制作した作品やパフォーマン スの記録。
共催イベント
11月11日(木)18:30〜21:00 ギャラリーB
公共哲学カフェ出前編「公共哲学×アート』 アートにとっての公共への期待、「公共哲学」 から見たアートをディスカションします。公共哲学は、公(官) と私の2分法ではなく、その2つをを媒介する場としての新しい「 公共」という開かれた場所を、 実践的に作っていこうとする動きだと、山岡は理解しております。 いわゆる「パブリックアート」としてではなくて、「 個人の居場所でもあるはずのあるアート」はこうした動きに、 どんな希望や活動を持って関わることができるでしょうか。 試みてみたいと思います。
モデレーター/宮崎文彦さん (千葉大学国際教育センター特任研究員、京都フォーラム/ 公共哲学共働研究所共同研究員[公共哲学担当])
コーディネーター/山岡佐紀子
協力/アライ=ヒロユキさん
共催/シリーズ『公共哲学』を読む会(NPO法人準備会)」 関連URL http://public-philosophy.net/
18.10.10
参加してもらったアクションは私の作品か?
この問いについては、「作品をやるので、参加していただけますか?」という姿勢で行ったものは、作品と言って良いと思う。私の「いっしょにやるアクションパフォーマンス」は、やるアクションそのものは、私のある意味「振り付け」だし、パーソナルな問題を扱ってはいない。「感情」や「事情」がそこにあるとしたら、それは「私の」ものだし、しかももしかしたらそれは、「私たち」のことして、共有しているものがあるかもしれない/あるに違いないだろう、という前提から来ている。一時的に、あくまで一時的に、「仲間」になった気分を、共有する。だが、別れれば、私たちは別々だ。思い出を共有したとしても。
そして、それがワークショップなら、それは作品ではない。それは、ドキュメントにする時は、はっきり、表示すべきだろう。写真にしても、そこで得られた何か、たとえば、参加者の書いた/描いたものは、決して、作品とは呼ぶべきではない。コーディネートしたということは、表すとしても。
一方で、アーティストが何か、誰かのパーソナルな要素を取材し、それを作品にした場合はどうなんだろう。そして、そのアーティストが、成功したら? 成功したいと思って行っているとしたら? しかも、そのパーソナルな人たちは、社会的弱者だったり、社会的成功から遠い人たちだったら? アーティストはヒーローなのか? それとも? 取材された人がヒーローなのか? まさか。それはさらにトリッキーなことになる。
ちょっと心配していることがあって、書いた。
そして、それがワークショップなら、それは作品ではない。それは、ドキュメントにする時は、はっきり、表示すべきだろう。写真にしても、そこで得られた何か、たとえば、参加者の書いた/描いたものは、決して、作品とは呼ぶべきではない。コーディネートしたということは、表すとしても。
一方で、アーティストが何か、誰かのパーソナルな要素を取材し、それを作品にした場合はどうなんだろう。そして、そのアーティストが、成功したら? 成功したいと思って行っているとしたら? しかも、そのパーソナルな人たちは、社会的弱者だったり、社会的成功から遠い人たちだったら? アーティストはヒーローなのか? それとも? 取材された人がヒーローなのか? まさか。それはさらにトリッキーなことになる。
ちょっと心配していることがあって、書いた。
16.10.10
公共のためのアートって本当にできるかな。
今、私はがベストを尽しているつもりの、この1ヶ月半のプロジェクト。これをやりとげて、私は成長するのか、あるいは、またゼロに戻るのか、それは、神のみぞ知る。
私にとっての最大の課題は、私はこれまで、ストリートにおいて、完全にゲリラで、怒られてもしかたがないが、イメージやアクションが面白いのでやっていた、という立場だったのに、今回は、公共に対して、責任を持つ表現を、試みるということだ。
私でなくても、今だ、路上は、ゲリラでしか、何もやれない状況。それでも、やることにより、公共の利益?福祉? 何か、希望を持てる方向のアクションをする、ということだ。
それは「モバイル・ティーパーティ」。しかも、私の作品としてではなく、4つの国から来た、まったく違う方向性を持つアーティストたちによって、共同制作される。ところが、ある者は、パブリックスペースへの問はあるが、それをすでに自分の作品としてて制作するノウハウが完全にできていて、コラボレーションという認識に、どうしてもピンと来ないと考えているみたい。ある者は、共産主義下に住み、アートとはエゴの欲望の表現であると確信しているので、公共の方向というのが、受け入れがたい。ある者は、共同制作というのは、理解できるが、外での活動にはちょっと尻込み。わたしは、ひたすらゲリラだった経験から、急に、オモテの人間になれるかな、と不安である。これをまとめるのは、何によるか。
これが、カケでなくて、なんであろう。
でも、この4人でできないことが、社会でできるわけがない(というのは、言いすぎでもあるけど)。
公と、私の間に、「公共」という場所を考える。ここでは、人は成熟した市民として、利他的に振る舞う、という理想。
10月30日、ほぼ、ハロウィンだよん!!
以下、大雨の中での9日の『Love or Not』。写真、芝田文乃さん。赤信号の時は、横断歩道の両側から、ののしり合っている。ありとあらゆるののしり言葉を絞り出す。青になった、横断歩道の真ん中まで出て行き、静かにハグしあう。5つの横断歩道で行った。御徒町に近い横断歩道から、ひとつずつ移動して、最後は、アキバの駅の真ん前の一番、にぎやかな場所だ。雨がだんだん激しくなって、エキサイトしていった。若い女の子の誰かにしがみついている姿は、やっぱりきゆんと来るね。相手が男であろうと、女性であろうと。
私にとっての最大の課題は、私はこれまで、ストリートにおいて、完全にゲリラで、怒られてもしかたがないが、イメージやアクションが面白いのでやっていた、という立場だったのに、今回は、公共に対して、責任を持つ表現を、試みるということだ。
私でなくても、今だ、路上は、ゲリラでしか、何もやれない状況。それでも、やることにより、公共の利益?福祉? 何か、希望を持てる方向のアクションをする、ということだ。
それは「モバイル・ティーパーティ」。しかも、私の作品としてではなく、4つの国から来た、まったく違う方向性を持つアーティストたちによって、共同制作される。ところが、ある者は、パブリックスペースへの問はあるが、それをすでに自分の作品としてて制作するノウハウが完全にできていて、コラボレーションという認識に、どうしてもピンと来ないと考えているみたい。ある者は、共産主義下に住み、アートとはエゴの欲望の表現であると確信しているので、公共の方向というのが、受け入れがたい。ある者は、共同制作というのは、理解できるが、外での活動にはちょっと尻込み。わたしは、ひたすらゲリラだった経験から、急に、オモテの人間になれるかな、と不安である。これをまとめるのは、何によるか。
これが、カケでなくて、なんであろう。
でも、この4人でできないことが、社会でできるわけがない(というのは、言いすぎでもあるけど)。
公と、私の間に、「公共」という場所を考える。ここでは、人は成熟した市民として、利他的に振る舞う、という理想。
10月30日、ほぼ、ハロウィンだよん!!
以下、大雨の中での9日の『Love or Not』。写真、芝田文乃さん。赤信号の時は、横断歩道の両側から、ののしり合っている。ありとあらゆるののしり言葉を絞り出す。青になった、横断歩道の真ん中まで出て行き、静かにハグしあう。5つの横断歩道で行った。御徒町に近い横断歩道から、ひとつずつ移動して、最後は、アキバの駅の真ん前の一番、にぎやかな場所だ。雨がだんだん激しくなって、エキサイトしていった。若い女の子の誰かにしがみついている姿は、やっぱりきゆんと来るね。相手が男であろうと、女性であろうと。
15.10.10
信じられるかどうか
土日月とMediacitonsの忙しい仕事をこなした。土曜日は、ワークショップとパフォーマンス。パフォーマンスは、参加者とともに、じゅうぶん、刺激的にすごせたと思う。参加してくださった方たち本当にありがとう。
月曜日のシンポジウムの時の、わたしの発表として、原稿を用意した。テクノロジーと身体、メディアとしての身体、公共空間の中の身体、という3つのテーマの原稿を書いたが、半分も読めなかった。わからんよ、まだ、原稿と時間の関係は。それから、参加したシンポジウムの先生方にちょっと疑問があったので、問いかけたが、私の態度がどうもアグレッシブだったため、身構えられてしまった。考えに、問いがあっても、黙っておくのが、大人なのかな。
それから、ワークショップは、レジデンシーのアーティスト4人で作ることになっている。でも、何人かは、その意味が、なかなか理解できないらしい。関わりたくないと、ミーティングに参加しなかったり、参加してても自分の作品の話になってしまうアーティスト。
いっしょに何かを作ったとて、キャリアになるのか?
「みんなで****を」なんて信じないという人もあるのだろう。
個別の作品のスキルをアップしてくことこそ、アーティストには必要。
だけど、才能を出し合って、何かを作ることも、それは興味深いことではないのかな。考えがぶつかりあってつまらないものになると、考える人もあるだろう。
月曜日のシンポジウムの時の、わたしの発表として、原稿を用意した。テクノロジーと身体、メディアとしての身体、公共空間の中の身体、という3つのテーマの原稿を書いたが、半分も読めなかった。わからんよ、まだ、原稿と時間の関係は。それから、参加したシンポジウムの先生方にちょっと疑問があったので、問いかけたが、私の態度がどうもアグレッシブだったため、身構えられてしまった。考えに、問いがあっても、黙っておくのが、大人なのかな。
それから、ワークショップは、レジデンシーのアーティスト4人で作ることになっている。でも、何人かは、その意味が、なかなか理解できないらしい。関わりたくないと、ミーティングに参加しなかったり、参加してても自分の作品の話になってしまうアーティスト。
いっしょに何かを作ったとて、キャリアになるのか?
「みんなで****を」なんて信じないという人もあるのだろう。
個別の作品のスキルをアップしてくことこそ、アーティストには必要。
だけど、才能を出し合って、何かを作ることも、それは興味深いことではないのかな。考えがぶつかりあってつまらないものになると、考える人もあるだろう。
6.10.10
「Love or Not」「天使の監視」「モバイルティーパーティ」
今月は3つのパフォーマンスがあります。2つめと、 3つめは日程が決まってませんので、 あらためてご連絡いたします。
どれも、秋葉原の3331 Arts Chiyodaで行われている「MediAcions」 でのものです。まずは、 3331のMediActionsのスペースにいらしてください 。無料です。
場所 http://www.3331.jp/
企画 http://dis-locate.net/ mediactions/
mediActions パフォーマンス企画「メディアボディズ」
山岡佐紀子作品『天使の監視』 日程は未定 たぶん10月24日(日)
秋葉原の駅を、キリスト教会(十字型ですから)に見立てます。 iPhoneのskype機能を使って、 秋葉原駅の中でいろいろなことをしている私の姿を、 離れた3331のスペースで、皆さんが「監視」します。
どれも、秋葉原の3331 Arts Chiyodaで行われている「MediAcions」
場所 http://www.3331.jp/
企画 http://dis-locate.net/
mediActions パフォーマンス企画「メディアボディズ」
10月9日(土)18:00〜 他にピラ・ターニャさん、門倉緑さん、 村上裕さんが出演します。
山岡佐紀子作品『いっしょにやるアクションパフォーマンス「 Love or Not」』
秋葉原の繁華街のいくつかの横断歩道で行います。 6月に銀座のApple Ginzaの前で行ったものと同じですが、3〜 4の横断歩道を移動しながらの、拡張版です。
誰にでもできる簡単なインスタラクションによるラブリーなもので す。 コミュニケーション不全にものともしないタフで陽気な精神から、 わいている作品。
秋葉原の繁華街のいくつかの横断歩道で行います。
誰にでもできる簡単なインスタラクションによるラブリーなもので
いっしょにやりましょう。ながめるのもよしです。
山岡佐紀子作品『天使の監視』 日程は未定 たぶん10月24日(日)
秋葉原の駅を、キリスト教会(十字型ですから)に見立てます。
他のアーティストとコラボレーションするかもしれません。
コラボレーティブワークショップ『モバイルティーパーティ』 10月30日(土)14:00~18:00
移動するお茶会です。 テーブルとパラソルのセットお茶セットをリヤカーにのせ、 居心地のよい場所を求めて移動します。 様々な宛先の段ボールのボックスを用意して、 手紙やメッセージや殴り書きなどを投稿するコーナーがあります。 この手紙は、後の展覧会で、コラージュとして展示されます。 実際に、どなたかのポストにお届けすることも考えています。 おしゃべりしながら、楽しくやります。 ジェンダーがらみになるかもしれません。これは、 アーティストたちのワークショップという形をとります。 記録映像は、後に3331に展示されます。
日程などが、はっきり次第連絡します。
コラボレーティブワークショップ『モバイルティーパーティ』 10月30日(土)14:00~18:00
移動するお茶会です。
日程などが、はっきり次第連絡します。
この他、11月11日には、同場所にて、公共哲学カフェ「 公共哲学×アート」というイベントを18:30より行います。 これも、詳細は改めてご連絡します。
MediActionsのメッセージの書かれたTシャツもつくっ てますので、これも御興味があれば、問い合わせてください。