帰国してばたばたばたっといろいろなことに首を突っ込み始めた。
若い人たちがいろいろと誘ってくれる。世間のディレクターとかキュレーターとかは、だいたい、わたしの世代になってきていて、彼らは、若い人たちに、チャンスをふる。そして、若い人たちは、私を呼び出してくれる。若い人たちの、やわらかい嗅覚と、計算より希望というスタンスが、世間のハブ役になっているようだ。これは、いつの時代もそうだったのか、今の時代の特徴なのだか、わからない。
わたしは、感謝して、そこからまた、どこかにつなげようかと思っている。
きのう会った学生さんたちは、太田エマさんの企画している「MediAciton」という展覧会のスタッフたちだ。彼女たちはムサビの大学院生。エマさんも、外国人としての枠だけど、同じく学生。
今後、行われる展覧会では、インド、インドネシア、中国のアーティストたちと関わる。この人たちは、わたしから見たら、一世代下。エマさんたちから見ると、一世代上。なんだか、こういう時代になってきた。みんな下の世代なんだ。MediActionは、3331ArtChiyodaでやることになっている。この企画のホームページはまだできていないので、これは後ほど、詳しく広報したいと思います。たぶん、今月中にはできると思う。26日の3331Chiyodaのグランドオープンには間に合うのではないかな。因に、3331Chiyoda は本気で実にすばらしいところだが、巨大な鉄塔みたいで、わたしのような小さい生き物は、どきどきする。
頭の切り替えが大変。こうなったら、「自分自身の作品」と、他人と場所を作る、ということの境界線がぼやけてくるかのように、見える。しかし、作品であることと、オーガナイズはやはり、別だとわたしは考えるので、切り替えは、是非必要。作品とは、連続の1ページではなくて、集中した1つの箱だと、やはり思っている。以上の話では、どちらでもわたしは作品を行ったり、レクチャーを行ったりする。
その辺が「プロセスが美しければ、結果は美しい」とは、言うことができないなあ、わたしには。その「プロセス」のことは、Twitterでも少し、考察してみた。まだ、煮え切ってない。