1.6.10

美しい校門プロジェクト 報告

以下、お世話になっている方々にきのうの夜、送った「仁川滞在/ Gate Project」参加に関する報告です。
文中の、120年の歴史と言ってピンと来る人と来ない人がいるに違いない。およそ120年前、1876年に日本との条約が結ばれて、1883年に、仁川という港が開かれたこと。
また、これを読んで、それぞれの仕事、人生に関係があると感じる人はあまり多くないかも。
特に、アーティストたちには、ぴんと来ないだろうな。




でも、こういう仕事もっとしたいなあと思っているところです。


------------------------

韓国インチョン(仁川)市のパブリックアートのプロジェクト「Beautiful Gate Project」に行って仕事をしてきました。これまでパブリックアートに全く無縁だったわたしが、どう関わったか、少しだけ、ご報告させてください。

これは小学校の「校門」をアートの発想で「美しく」つくり直すというプロジェクトでした。企画はリー・タルさんというマルチメディア系のアーティスト。これまでにすでに3カ所で実現しており、インチョンの芸術文化財団がサポートしています。アーティストインレジデンスの形をとっていて、私を含む海外からのゲストはアートプラットフォームインチョンう新しいアートエリアのゲストハウスに3週間泊まりました。近くに、かつての日本の銀行の建物があったり、中華街があったりで、横浜とよく似ています。120年近い歴史をじっくり、感じさせられるところでした。丘の上には、ダクラス・マッカーサーが英雄として銅像になり、立っています。こちらは朝鮮戦争の話。 今回、関わった小学校は、そこから歩いて10分ほどのところにある新興初等学校というところです。1890年に日本人学校として設立された、伝統のある学校でした。近所のインタビュウなどもいたしましたが、非常に興味深い地域です。かつて、日本人の住宅であったとおぼしき木造の家が、あちこちに見受けられました。現在は、地元の人たちの住宅として、手直しされて、利用されています。


さて、そのGate projectは、大変、興味深いものでした。 2つの理由において、です。 まずは、門と言っても、プロジェクトで扱うのは、門そのものというより門とその空間なのです。韓国では、学校が終わるころに、親や親族が迎えに来て、つぎの塾などに連れゆくことがよくあるそうで、つまり、門とは、待つための場所でもありました。このプロジェクトはこれまでに3箇所の校門をすでに作っていて、そこでは、親や親族以外の近所の人たちの休憩場所、おしゃべりの場所になっていました。それを見て、わたしの目がぱっと開きました。単にデザインということではなく、地域社会や子供たちの楽しみ、教育的な配慮も考えるという意味なら、わたしでも、議論やプランになんとかうまく参加できるのではないかと思ったのです。私がサイトスペシフィックな視点に町でパフォーマンスを行ってきたことと無縁ではないと思いました。
「美しい校門」というタイトルでしたから、最初にディレクターに会った時、「美しい」の定義は何か、聞いてみました。するとすかさず「単なる見た目ではない」と。



もうひとつ興味深い理由は、これまでの彼らの実績である3箇所の校門が比較的普通のプロセスで作られたのとは違い、今回は、そのプロジェクトをたてる、そのプロセスがユニークだということです。「美しい」の定義は「プロセスが美しい」ということなのだとディレクターは言いました。
日本、トルコ、フランス、フィリピンから招待された4人のアーティストたちは、まったく別々のアプローチのアーティストたちで、かつ、パブリックアートの経験もないし、ディレクターとも知り合いではない。プロジェクトのディレクターは、そのまったく違った発想のアーティストたちを巻き込んで、プロジェクトメンバーが思いつかないような発想、展開が起きることを期待していたのです。ディレクター自身もかなりどきどきしていた模様で、不安そうにしている姿を時々見かけました。ディレクターも、建築家でもデザイナーでもなく、アーティストです。アシスタントディレクターも画家でした。韓国側スタッフは他にコーディネーター兼通訳があと3人。会話の時間を止めない、それが大事だったようです。ミーティングルーム、食堂、カフェ、ノレバン(カラオケ屋)、など様々なところで、話しあいました。場所の検分も何度も。皆、そんなに英語が得意ではないのですが。疑問を集めることが、彼らスタッフの仕事だったように見えました。厳しい指摘にも前向きです。ちょっと不満を言うと、翌日には解決されていたりして、びっくりしました。最後の週には、私たちアーティストは、新しい門のプランを出しました。
6〜7月中に、韓国のプロジェクトメンバーは、私たちのプランから実際に使える案をアレンジして、8月に施工することになっています。

3週間の滞在で、私は、はじめの半分の間にはその意図がなかなかつかめなくて不安だったこともありましたが、理解してきたら、どしどしやってみようではないか、と思うようになりました。子供たちとのワークショップもうんと楽しかったです。とても元気で積極的です。実際、大変、楽しませていただきました。鍛えられたのかもしれません。また、今まで、考えもしなかったアイデアが自分にあることを知り、驚いたりしました。ひき出してもらったことに感謝しています。

わたしは、スケッチとコンセプトを色鉛筆で描いたスケッチでまとめ、提出してきました。プラットフォーム仁川もそうですが、やはり、赤れんがが、港の町の特徴なようなので、是非、使って欲しいと思いました。それから、地域の高齢化や、子供が減っていると言うこと、地域の誇りを取り戻したいということを聞きました。校門が、ランドマーク的なコミュニティとして、人が行き来する場所になれば、と思います。すでに毎朝、近所のお年寄りが通っていて、体操をしているそうですが、もっと利用してもらうためにその仕掛けをいろいろと考えました。かつて干潟だった仁川の海には、希少種の野鳥の生息地もあります。そのことも、考慮してみました。
その「美しい」プロセスはなんらかの形で、記録公開されるのだと思います。「美しい」は、韓国語で「アルンダウン」と言います。 スケッチは提出してきてしまい、コピーをまだもらえていないので、手元にはありません。 日本でもそういうプロジェクトがあったら良いなあと思いました。

完成までに時々やりとりはあるはずなので、また、お知らせできたらいいと思っています。