30.6.10

わからないわ


日本語ってわかりにくいです。日本の学生さんに、ある時「わかりません」と言われたので、かみくだいて、いちから説明したら、「前からおっしゃっていることですよね」と言われ、言っている意味はわかるけど、「自分の立場としてはそれにどうしたらいいのかわからない」ということでした。それならそう言ってくれ。
顔見知りなら簡単に伝わることが、少し「友達じゃない」距離になると、不信が先行するみたい。
日本語ではしばしば、こういうことがあります。日本語って、知らない人とのコミュニケーションに向いてないのかもしれない。「わからないよ」という言葉は、以前に、人を排除するために使われているのを、見たことがあります。「不快」を表す言葉でもあるようです、日本では。なので、きっと、敬語が複雑になったのかもしれません。距離を表すために。カップルや夫婦でも「あなたがわからないわ」と言うのって、「愛してくれているのかしら、あやしいわ」という意味なんでしょう? これは、距離を感じたとき。


楽天と、たしか、無印良品も、社内の会話を英語にすることにしたそうです。案外、その方が、話がしやすいのではないかと思います。



5月に韓国で以下のペーパーなどを作って、英語でプレゼンした時は(へたです)、拍手もしばしば出たくらい、なんか、通じた気がして、満足感が大きかったのですが、国内にいると、コミュニケーション不全のことで、毎日のように悩む。ばかばかしいくらいです。
ええかげんにしてえ。

絵を描く仕事と、呼ばれていってやるパフォーマンスと、あとは読書と散歩で、過ごせれば、もう、とてつもなく幸せです。たまに、気の合う友達と御飯でもたべて。それほど、でかい夢でもないんだけど、それができない。


28.6.10

ありえないこと

「たが」はどんどんはずれてゆきます。
世の中、「ありえない」ことが、起きるようになりました。自分にもどんどん起きます。

まあ、いいのか〜、と思ってしまうこと、多いです。これが、今の文化なのかな〜と思ったり。

5月の韓国でのゲートプロジェクトでは、いろいろな希望を感じて帰ってきたけど、たぶん、経済面でも、韓国に日本が負けるのは、やむをえないと感じます。完全に、世界からなめられています。なめられていることも気がつかない、というていたらく。

もはや、わたしが思い描いているような、かつて経験したハイテンションな物事は、夢、だとあきらめた方がよいかもしれません。

そのだめだめの日本、だめだめの東京、だめだめな自分のままで良いわけではないですが、その状態にフタをしないこと、そして、「元に戻る」ではなくて、「何かこれまで知らなかったことが生まれる」前の、混沌なんではないかと、考えるようにしようと思います。



以下はGateProjectでわたしが出した案のスケッチのうちのひとつ。


26.6.10

約束

きのうのskypeパフォーマンスミーティングは、直方平さん、門倉さんらが来て、パフォーマンスに参加してくださり、良かったと思います。ありがとうございました。向うは、イワンと、ルーガス、マデもいて、福島さんとDingDing。


...........実際になるまでの、道のりが結構大変だった。私は、DingDing (丁禹仲さん)(cannons and Muses , taiwanのメンバー)と、Skypeパフォーマンスミーティングを提案した。東京と台南市で行おう思った。それで、一度東京メンバーを紹介する小さなSkypeミーティングを行った。そしたら彼が、近いうちに、福島さんとインドネシアへ行くので、インドネシアでやりましょうと提案。それで、私は、福島さんにも話しておこうと、Facebookにメッセージを入れた。翌日、電話したらつかまった。やりましょう、やりましょうと盛り上がった。そして、やるならジョグジャが良いと彼女が提案。アーティストも多いし、時間がありそうだからと。そして、1週間後くらいに2人は、台湾と東京を出立。それまでの間に、ジョグジャと連絡しておいて、日にちなどを決めて欲しいと、Ding Dingに書いたが、間に合わず。案の上、はじめの一週間は、インターネットのないところへいたらしい。うんとも寸とも、だ。それで、わたしが、やむなくジョグジャの知り合い3人くらいに連絡。ひとりは、もうパフォーマンスから足を洗っていて、ひとりは連絡がつかず、もうひとりとは、連絡ついたが、Facebookでchat できているのにも関わらず、Yahoo messengerで話したいと言う。登録した。彼は1日中、それにつないでいるから、と言ったが、実際はそうではなかった。やっとつかまえて少し、話した結果、彼は喜んでそれをやろうと言った、友達集めるから、待てと。それから4日ほどたったけど、連絡がないので、Performance Klub という、彼らの拠点であるスペースの管理人にFacebookで連絡。彼は他の事業で忙しく、ジョグジャを少し離れる予定だけれど、それは面白そうだから、手伝うと言った。それから、そのスペースの代表であるイワンに連絡がゆき、彼も臨戦態勢へ。そのころ、やっとDing Dingとfaceboookで連絡つくが、どことなく、浮かれている感じ。やがて、Yahooの彼は展覧会が始まったから、やれなくなったらしいと、イワンから連絡。自分がやってもいいが、SkypeできるPCがないと言う。一方、DingDingからfacebookでテストできますと言ってきた。彼は自分のPCを持っていっている。イワンにそれを連絡した。(彼らは会っているのに...)しかし前日にテストの時間に、ついにどこからも連絡なし。当日朝に、イワンから、今日はできないから、あしたにしようと言ってきた。困ってイワンに電話をしようとしたら、かからない(後で判ったが、壊して使えなくなっていた)。それでPerformance Klubへ電話する。出た人は、あまり知らないようだったのでまた、詳しく説明すると、そういうことだったら、なんとかしようと言ってくれる。午後になって、大丈夫だとFacebookで連絡がはいる。イワンらが準備すると。それで、ようやく、わたしは、家を出て東京の会場に出かけて行くことができた。ところが、今度は、東京の会場のeMobileの扱いがわかる人がおらず、テスト時間がせまっても、わたしのPCがインターネットにつながらず。テスト時間30分くらい過ぎた時に、ようやく、つながる。でも、あちらのSkypeに動きなし。また、電話したら、今度はわたしの電話が故障して、先方の声が聞こえない。ようやくわかったのは7時まで待てと言っているらしいこと。その時、東京側の会場に遊びに来ていた近所のインドネシア人の人が、インドネシアで7時なら、こちらは9時ですよ、と教えてくれた。なんと、わたしは時差の計算を間違っていた。
開場は6時であったが、来ている人はひとり。サービスの料理もできていないので、スタッフ村上氏はキッチンにこもりっぱなし。7時頃に料理が完成。でも食べる人があまりいない。7時半頃から、やっと人が来出す。Skypeはあきらめて、インドネシアのフェスティバルの記録ビデオなどを見せる。村上氏の尊敬している人という方が見えた。
なんてことがありながら、わたしのパフォーマンスアート関係の友人が来出す。自己紹介タイムなどをして、イベントの目的などを話すも、どうやら、村上氏のしたいことと違うらしく、何か食い下がる。全部、わたしがしたいように言っていいと彼は言っていたのに。漫才のようになる。彼の尊敬している人が私に助け舟を出してくれたが、それがまた波紋となる。

さて、期待の9時すぎでも、Skypeがうんともすんとも言わないで困っていたところ、Facebookにイワンの新しい電話番号を表示された。それでかけてみると、これから15分で着くとのこと。そうこうしているうちに、村上氏の尊敬している人が帰ってゆく。
イワンが到着する前に、DingDingからやっと、Skypeのコールが届く。


普通にSkypeより明らかに不明瞭な動画ではあったが、コラボレーションをしてみたり、皆で工夫してパフォーマンスをしたり、ようやく密な1時間を過ごした。

レポートは、会場の方のブログをご覧ください。


良かったと思います。



ただし、今後、このような約束はするまいと思った。

21.6.10

ジョグジャとのskypeミーティング

以下の企画は、何ができるか、とりあえず、会ってみる、やってみる、どんなパフォーマンスが見せられるか、即興的に2つの場所からの映像をどう混ぜ合わすか、やってみる、というイベントです。ムラカミ君が料理を作ってくれて、飲み物も買って来て、お菓子やら、フルーツやら。


企画者の名前は、シャトー・マルゴーとしました。ワインの女王です。



Work #1
Skype performance meeting party
Tokyo~Jogjakarta 


東京〜ジョグジャカルタ

24th June, 2010

Tokyo: 山岡佐紀子、村上裕、後藤天、直方平ひろと、太田エマ、門倉緑 他

18:00~21:00
参加料500円、または何か持ち込み
小金井アートスポット "シャトー 2F" http://chateau2f.exblog.jp/
武蔵小金井駅下車5分



JogjakrtaIwan Wijono, Muhammad Lugas Syllabus, DingDing, Kana Fukushima 他

20:00~23:00



planed by 
Château Performance-art Margaux








19.6.10

人間の神様

人間のこと、がこのごろ、多かった。人間として、社会参加しているわけだから、「人間の」神様は、がんばりなさいと、励ましてくれる、かもしれない。良い勉強になったね、とかなんとか言っているかもしれない。「役割」みたいなこと、うんと考えたりした。

だけど、ほんとうのわたしの神様は、「人間の神様」ではない。わかっているんだ。ずっと向うの方で、「おまえ、あほか」と背中を向けているのが見える。まずいぞ。


母と2人で暮らすようになって、ますます、「人間」に向かうようになった。だって、父のいる時は、いつでも第三者になれたのだから。でも、これは意識しないと、とんでもないことになる。

行ったり来たり。



そういえば、おととい、死体を隠す夢をみた。夢判断では何か意味があったと思う。案外悪い意味ではなかったような。顔が亀井静香な死体だった。

木彫りのへびちゃん。

18.6.10

Love or Not

パフォーマンスのお知らせです。銀座のアップルストアです。クリストフ・シャルルさんの研究室主催(武蔵野美術大学)で、学生さんたちが映像、エレクトロニクス作品、演奏などを発表する中、まじらせていただき、山岡佐紀子が行います。
わたしのパフォーマンスは、9月26日〜11月6日3331ARTS CYD で行われるMediAction (http://dis-locate.net/mediactions/ まだ英語のページのみ) というイベントのデモンストレーションでもあります。会場では、4つのウインドウのあるUstrem画面を見ることができ、各ウインドウは、4つの都市(北京、バンドン、カルカッタ、東京)でのアーティストの様子が映る予定です。

東京ではわたしがApple前で、参加型のパフォーマンスをオーガナイズします。今回も非常単純なアクションを行います。交差点の横断歩道青信号のうち出て、みんなでそれを行います。簡単です。でも、今度は寝ません。会場か家で4つの映像を楽しむか、路上で生の体験を楽しむか? たぶんやってみるのが一番!! 記録カメラ担当も同時募集してます。

いっしょやりたい方!! 是非是非、ご参加を。
わたしのパフォーマンスの時刻は17:50頃より、室内の会場(2階か3階のイベントホール)ての説明から始まります。



山岡佐紀子
いっしょやるアクションパフォーマンス
Love or Not
2010年6月20日(日曜)父の日
Apple Store Ginza  東京都中央区銀座3-5-12

in APPLE AND OGANGES : MEDIA CIRCUS 17:00〜19:00  入場無料
 (武蔵野美術大学映像学科メディアアートコース、クリストフ・シャルルゼミ主催のイベント参加)

photo_ginza.jpg



Ustream放送 : なないろチャンネル http://nanachan.tv/

問合せ先:山岡佐紀子 missingincity@gmail.com



秋のイベントが、ジェンダーコンシャスなので、このタイトル、内容、ともにフィットしているかも。しかも、Love かそうでないかの、デジタル指向なところも、コンピュータ的。

17.6.10

C&Mちょっと離れる

1年かけて、大事にやってきたC&MTとすこしばかり距離をおきます。自分ではじめたものから、距離を置くってのも変ですが、自分で始めても、自分で止められないものって、あるんですね。理由は、もうやりたい人たちが、自由にやればいいと思うから。できたら、自分の理想の方向に行って欲しいので、手をかけたりしますが、そうもいきません。じじいが、政界から引退するみたいなカンジ? たとえが変かな。

でも、他にやることがあるから、もうよいです。
秋にMediActionという展覧会に参加します。

13.6.10

草ぼうぼう

初夏なので、あたりは草ぼうぼうである。埼玉県。草ぼうぼうの「あたりまえじゃん、生えるべくして、生えちょるのが何が悪い」という開き直りに、心を動かされる。合間に、祠があったりして、「そうだよ、あったよ。あんたが見てなかっただけじゃん」と言いながら、鼻をほじっている。
こんな季節が大好きだ。花はちょっとだけでいい。緑が、うわっと、ぼうぼうしているのがよい。

さて、C&Mはインドネシアと交信イベントをしようとしているが、中々、交渉がすすまない。のんきなのか、忙しいのか。

私たちC&MTの反省事項として、「イスラエルの」ということを、言い過ぎた。確かに、交流展覧会は、イスラエルのアーティストとのものであったのだから、ウソではない。だが、決してイスラエルのアーティストを紹介するのが目的でもなければ、中東問題研究であるわけでもないし、ましてや、ユダヤ民族、イスラエルという国を応援するためでは断じてない。

ホームページを見ていただくとわかるように、実はどこにも、イスラエルとは書いてない。テルアビブ発信なことは、まちがいないし、きっかけは2008年のガザ攻撃なのだから、政治には関係している。ここでは、つまり、国家、宗教、政治の壁を越えた、アーティストの協力関係を呼びかけている。



インドネシアで抗議集会。

こんなさなかに、インドネシアとの会話がどうなるのか、心配だし、大事なことのような気がする。そういうことから、遠くにいると思っていた、日本と台湾の若者が、言い出しなのだ。

9.6.10

「ずれ」ないわけにいかない面倒な私

きのうは、友達のさいとうかこみさんの展覧会に行く。池袋と目白の間の住宅街にある、ブックギャラリーポポタムというところにて
かこみさんの、確実にマイペースな仕事ぶりに感心する。「山岡さんも絵を描くんですよ」とお友達に紹介してもらったが、はずかしい。かこみさんのように、絵を描き続けるのは、夢だった。夢だ。夢。なんで、他のことに「ずれ」ていってしまうのだろう、わたしの人生。ブックギャラリーも落ち着きと優しさに満ちていて、こういうところが、この世にあったのだ〜と、カルチャーショック。たぶん、相当頑固でないと、やれないと思う。やはらかくあるのも、明確な意識が必要なんだと思った。

それで、まあ、その私の「ずれ」を実践に、武蔵境のムラカミくんのアパートへ向かう。台湾のDingDingとSkypeミーティングするためだ。他に、モエちゃんも来ている。DingDingは、C&M Taiwanのメンバーである。去年、わたしが台湾に行った時に、スカウトした。

C&Mのイスラエル側は、実はあまりこのごろ活動がないみたい。日本の学生との共同制作は、割と楽しくなって来ている様子だが、「C&M」としては、どうなんだろう、とわたしは思っているところ。「M」だけやるつもりなら、何も「C&」と言う必要はないと思う。もちろん、作品の中味にこそ、C&の要素はあり、それは作られている。.......、私が企むのは、世界の中で政治的に孤立していく方向にあるイスラエルということに対し、芸術活動はその壁を越えると言う方向だ。言葉にしてみると平凡だね。かつて、東西分裂の時には行われていたことだ。しかし、今回は欧米は冷たいのではないかと思う。その点、先入観のないアジアン系は動けるのだと思う。
とにかく「イスラエル」というケースは、人間という矛盾を考える上で興味深い。ユダヤ人はコミュニティの作り方も、とても珍しいだけに、興味深い。きのうは、DingDingとの会話のあと、ムラカミくんとモエちゃんと3人で武蔵境名物の「油そば」を食べながら、共産主義のソ連とイスラエルとの関係を話しあった。


今回目論でいるのは、台湾と日本の若いアーティストが、インドネシアに行くので、それに、便乗して、東京とジョグジャを結んだライブミーティングをするということ。インドネシアは、イスラム教徒の多い国だ、その辺を、C&Mとしては、ソフトな形で、チャレンジできればと思っている。だが、関係をつくるだけでは、まだアートではない。


一方、わたしとしては..........どこで発表するにせよ....... どんな友情でも、どんな愛でも掬いきれない、人間や世界(社会ではない、もっと広い人間のいない場所も含めた)ある種のセンス、それは暴力かもしれないし、死のにおいかもしれないし、恨みかもしれないし、歓喜かもしれないし、宗教的かもしれない、またそういう感情が完全に抜け落ちた乾いた構造感覚かもしれないし、そういう、普段見えないものを、感じて、発見して引っ張り出して、アートの方法で示して、という気持でいる。わたしの場合は、それが人間関係が熱ければ熱いほど、その食み出るものがしみじみと見えてくるように思う。安定した精神状態が欲しいのだ。今はね。


.............だけど、やっぱり、絵はいいねえ。単純なのに、完璧なメディア。単純な絵であるほと、いいなと思う。

7.6.10

MediActionsに参加することになる

帰国してばたばたばたっといろいろなことに首を突っ込み始めた。

若い人たちがいろいろと誘ってくれる。世間のディレクターとかキュレーターとかは、だいたい、わたしの世代になってきていて、彼らは、若い人たちに、チャンスをふる。そして、若い人たちは、私を呼び出してくれる。若い人たちの、やわらかい嗅覚と、計算より希望というスタンスが、世間のハブ役になっているようだ。これは、いつの時代もそうだったのか、今の時代の特徴なのだか、わからない。
わたしは、感謝して、そこからまた、どこかにつなげようかと思っている。

きのう会った学生さんたちは、太田エマさんの企画している「MediAciton」という展覧会のスタッフたちだ。彼女たちはムサビの大学院生。エマさんも、外国人としての枠だけど、同じく学生。
今後、行われる展覧会では、インド、インドネシア、中国のアーティストたちと関わる。この人たちは、わたしから見たら、一世代下。エマさんたちから見ると、一世代上。なんだか、こういう時代になってきた。みんな下の世代なんだ。MediActionは、3331ArtChiyodaでやることになっている。この企画のホームページはまだできていないので、これは後ほど、詳しく広報したいと思います。たぶん、今月中にはできると思う。26日の3331Chiyodaのグランドオープンには間に合うのではないかな。因に、3331Chiyoda は本気で実にすばらしいところだが、巨大な鉄塔みたいで、わたしのような小さい生き物は、どきどきする。


頭の切り替えが大変。こうなったら、「自分自身の作品」と、他人と場所を作る、ということの境界線がぼやけてくるかのように、見える。しかし、作品であることと、オーガナイズはやはり、別だとわたしは考えるので、切り替えは、是非必要。作品とは、連続の1ページではなくて、集中した1つの箱だと、やはり思っている。以上の話では、どちらでもわたしは作品を行ったり、レクチャーを行ったりする。
その辺が「プロセスが美しければ、結果は美しい」とは、言うことができないなあ、わたしには。その「プロセス」のことは、Twitterでも少し、考察してみた。まだ、煮え切ってない。

1.6.10

美しい校門プロジェクト 報告

以下、お世話になっている方々にきのうの夜、送った「仁川滞在/ Gate Project」参加に関する報告です。
文中の、120年の歴史と言ってピンと来る人と来ない人がいるに違いない。およそ120年前、1876年に日本との条約が結ばれて、1883年に、仁川という港が開かれたこと。
また、これを読んで、それぞれの仕事、人生に関係があると感じる人はあまり多くないかも。
特に、アーティストたちには、ぴんと来ないだろうな。




でも、こういう仕事もっとしたいなあと思っているところです。


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韓国インチョン(仁川)市のパブリックアートのプロジェクト「Beautiful Gate Project」に行って仕事をしてきました。これまでパブリックアートに全く無縁だったわたしが、どう関わったか、少しだけ、ご報告させてください。

これは小学校の「校門」をアートの発想で「美しく」つくり直すというプロジェクトでした。企画はリー・タルさんというマルチメディア系のアーティスト。これまでにすでに3カ所で実現しており、インチョンの芸術文化財団がサポートしています。アーティストインレジデンスの形をとっていて、私を含む海外からのゲストはアートプラットフォームインチョンう新しいアートエリアのゲストハウスに3週間泊まりました。近くに、かつての日本の銀行の建物があったり、中華街があったりで、横浜とよく似ています。120年近い歴史をじっくり、感じさせられるところでした。丘の上には、ダクラス・マッカーサーが英雄として銅像になり、立っています。こちらは朝鮮戦争の話。 今回、関わった小学校は、そこから歩いて10分ほどのところにある新興初等学校というところです。1890年に日本人学校として設立された、伝統のある学校でした。近所のインタビュウなどもいたしましたが、非常に興味深い地域です。かつて、日本人の住宅であったとおぼしき木造の家が、あちこちに見受けられました。現在は、地元の人たちの住宅として、手直しされて、利用されています。


さて、そのGate projectは、大変、興味深いものでした。 2つの理由において、です。 まずは、門と言っても、プロジェクトで扱うのは、門そのものというより門とその空間なのです。韓国では、学校が終わるころに、親や親族が迎えに来て、つぎの塾などに連れゆくことがよくあるそうで、つまり、門とは、待つための場所でもありました。このプロジェクトはこれまでに3箇所の校門をすでに作っていて、そこでは、親や親族以外の近所の人たちの休憩場所、おしゃべりの場所になっていました。それを見て、わたしの目がぱっと開きました。単にデザインということではなく、地域社会や子供たちの楽しみ、教育的な配慮も考えるという意味なら、わたしでも、議論やプランになんとかうまく参加できるのではないかと思ったのです。私がサイトスペシフィックな視点に町でパフォーマンスを行ってきたことと無縁ではないと思いました。
「美しい校門」というタイトルでしたから、最初にディレクターに会った時、「美しい」の定義は何か、聞いてみました。するとすかさず「単なる見た目ではない」と。



もうひとつ興味深い理由は、これまでの彼らの実績である3箇所の校門が比較的普通のプロセスで作られたのとは違い、今回は、そのプロジェクトをたてる、そのプロセスがユニークだということです。「美しい」の定義は「プロセスが美しい」ということなのだとディレクターは言いました。
日本、トルコ、フランス、フィリピンから招待された4人のアーティストたちは、まったく別々のアプローチのアーティストたちで、かつ、パブリックアートの経験もないし、ディレクターとも知り合いではない。プロジェクトのディレクターは、そのまったく違った発想のアーティストたちを巻き込んで、プロジェクトメンバーが思いつかないような発想、展開が起きることを期待していたのです。ディレクター自身もかなりどきどきしていた模様で、不安そうにしている姿を時々見かけました。ディレクターも、建築家でもデザイナーでもなく、アーティストです。アシスタントディレクターも画家でした。韓国側スタッフは他にコーディネーター兼通訳があと3人。会話の時間を止めない、それが大事だったようです。ミーティングルーム、食堂、カフェ、ノレバン(カラオケ屋)、など様々なところで、話しあいました。場所の検分も何度も。皆、そんなに英語が得意ではないのですが。疑問を集めることが、彼らスタッフの仕事だったように見えました。厳しい指摘にも前向きです。ちょっと不満を言うと、翌日には解決されていたりして、びっくりしました。最後の週には、私たちアーティストは、新しい門のプランを出しました。
6〜7月中に、韓国のプロジェクトメンバーは、私たちのプランから実際に使える案をアレンジして、8月に施工することになっています。

3週間の滞在で、私は、はじめの半分の間にはその意図がなかなかつかめなくて不安だったこともありましたが、理解してきたら、どしどしやってみようではないか、と思うようになりました。子供たちとのワークショップもうんと楽しかったです。とても元気で積極的です。実際、大変、楽しませていただきました。鍛えられたのかもしれません。また、今まで、考えもしなかったアイデアが自分にあることを知り、驚いたりしました。ひき出してもらったことに感謝しています。

わたしは、スケッチとコンセプトを色鉛筆で描いたスケッチでまとめ、提出してきました。プラットフォーム仁川もそうですが、やはり、赤れんがが、港の町の特徴なようなので、是非、使って欲しいと思いました。それから、地域の高齢化や、子供が減っていると言うこと、地域の誇りを取り戻したいということを聞きました。校門が、ランドマーク的なコミュニティとして、人が行き来する場所になれば、と思います。すでに毎朝、近所のお年寄りが通っていて、体操をしているそうですが、もっと利用してもらうためにその仕掛けをいろいろと考えました。かつて干潟だった仁川の海には、希少種の野鳥の生息地もあります。そのことも、考慮してみました。
その「美しい」プロセスはなんらかの形で、記録公開されるのだと思います。「美しい」は、韓国語で「アルンダウン」と言います。 スケッチは提出してきてしまい、コピーをまだもらえていないので、手元にはありません。 日本でもそういうプロジェクトがあったら良いなあと思いました。

完成までに時々やりとりはあるはずなので、また、お知らせできたらいいと思っています。