父がまた手術をすることになった。でも、今度、手術すると、死ぬ可能性もあるとのこと。でも、父は、すっきりしたいので、死ぬ覚悟で、手術したいとのこと。一日一日、一時間一時間、一分一分が、貴重に感じられる。
時間が重くなると、今度は、どうしたらいいのか、わからないくて、時間が流れるのを、眺めてしまうことになる。
どのみち、人生とはそうなのかもしれない。
人は、自分に心地よいことで動くという生き物だ。お金がもらえる、異性と(あるいは同性と)仲良くできるといった基本的な欲望の次に、名誉を感じられる、自慢できる、良い人に見られる、何かを得る為に学べる、チャンスを得られる、かっっこいい気分を味わえる、人の上に立てる、自分のセンスを磨ける、自分独自のモノの見方をためすことができる、共犯者になる、などの他、「面白い」にはいろいろなニュアンスがあるが、どちらにせよ、とんがりたい気分とつながっている。誰もが楽しめる、といったことに、あまり興味がないのが、本当のアート好きだと確信している私。味わうには、集中力や経験、想像力のたくましさを求められるようなものに、ぴんと来る、喜び。スノッブさが必要だと思っている。ミーハーよりスノッブ。簡単に見えてしまうものでは、満足しない。
自分の作品。台湾で行ったもの。
目で見ずに、指の感覚だけで、駒を返してゆく。
最後には、すべてYesにしたが、本当は、どちらでも良い。ゆっくり混ざって行く過程が大事だと思う。床には、陰陽のマークが描かれている。白い脚立は、オノヨーコの「Ceiling Painting」の主なツール。わたしは、登って、虫眼鏡ではなくて、双眼鏡を使う。yesだろうが、黒だろうが、どちらでも良いというのが、わたしの方法。21世紀的だと思っている。