31.12.09
Wish on Art
きのうは、どうしても東京に行かなくてはならなかったので(東京に住んでいないことがこっそりバレる)、ついでに「医学と芸術」展を見た。博物館のノリで、面白いと言えば、面白いし、別にこじつけたな〜、という気持ちもおこりながら、見た。総体としては、面白かった。ロンドンのサイエンスミュージアムと、ウエルカム財団(国際市場で第2位の製薬会社)のコレクションからの出品が中心的。サイエンスミュージアムからは、わりと正当派な身体にまつわる医学資料が来ていて、ウエルカム財団(まったくなんて名だ!)からは、ちょっと変質的な資料があったという印象。現代美術の作品も、森美さんだから、ありました。どちらかというと、ギャグみたいなのが、多かった中、忘れがたい印象を残した作品は、が、4人程の人の、生前と死後の顔のアップのモノクロの大写し写真。アーティストの名前を忘れてしまいました。たぶん、生前の写真は、亡くなる数ヶ月以内、亡くなる宣告を受けた人だと思います。きわどいけれど、大変、まじめで、かつ美しい作品で深く深く印象に残りました。発想としては、特にユニークなわけではないが、いろいろな意味で、丁寧な作品でした。ヨーロッパのアーティストだと思う。一緒に見た人がメモしていたので、名前がわかったらのせます。他にどんな作品を作っているのか、知りたいもんね。写真のモデルは、初老の男性、赤ちゃん、アジア系の女性、年配の女性だったと思います。それから、久しぶりに見たブラザー・クエイの作品も楽しかった。
個人的に、できすぎてると思う「出来事」は、私が、展覧会を見ている間に、ありました。保険会社から携帯電話にコールが入り、後で、かけ直したけど、......つまり、父の「高度障害保険」が、入金されたというお知らせが、入ったのです。高度障害保険とは、死亡保険を生前に払うという保険です。身体が相当ガタ来ていて、回復の見込みがないと判断された場合に、払われます。これをもらうと、もうその保険会社との契約は切れます。独特の、明るく響く声の担当者で、とても親切でした。たぶん、そのような声であるのが、正しいのだと思います。
わたしが、医学と芸術を関連づけて作品を作るとしたら、保険に関することになると思います。とても、興味深い、残酷で、役に立つ(こともあるし、捨てているに等しい)システムですね。社員は結構良い給料です。21世紀に発展する業界は、保険とセキュリティ関係でしょう。Drillで、少し、触れています。YouTubeには、出してない部分。もっと早く興味を持ちたかった。
頭の中で、何度もすでに行っているパフォーマンスは、保険会社のカウンターに、棺をかついで入り、そこで、しんみりと(あるいは陽気に)お葬式の儀式をするというものです。歌などを歌います。棺を担いで、丸の内あたりを歩きたいけれど、棺をどう用意するのかしらと思う。オノヨーコじゃないからさ、たった1つだって、用意に困るのだ。頭の中でやってみるパフォーマンス。
「Wish on Art」は、スイスの若いアーティスト、ミロスラブがさっき送ってきたメール。彼のプロジェクト。よくわからないけど、いろんな写真に、スタンプを押しているみたいです。お願いの、お守りみたいな感じに見えて来る。スタンプにあるメルアドに何か、書き送ってくれっていうわけなんだと思います。送ってみます?
Have a nice year-end.
個人的に、できすぎてると思う「出来事」は、私が、展覧会を見ている間に、ありました。保険会社から携帯電話にコールが入り、後で、かけ直したけど、......つまり、父の「高度障害保険」が、入金されたというお知らせが、入ったのです。高度障害保険とは、死亡保険を生前に払うという保険です。身体が相当ガタ来ていて、回復の見込みがないと判断された場合に、払われます。これをもらうと、もうその保険会社との契約は切れます。独特の、明るく響く声の担当者で、とても親切でした。たぶん、そのような声であるのが、正しいのだと思います。
わたしが、医学と芸術を関連づけて作品を作るとしたら、保険に関することになると思います。とても、興味深い、残酷で、役に立つ(こともあるし、捨てているに等しい)システムですね。社員は結構良い給料です。21世紀に発展する業界は、保険とセキュリティ関係でしょう。Drillで、少し、触れています。YouTubeには、出してない部分。もっと早く興味を持ちたかった。
頭の中で、何度もすでに行っているパフォーマンスは、保険会社のカウンターに、棺をかついで入り、そこで、しんみりと(あるいは陽気に)お葬式の儀式をするというものです。歌などを歌います。棺を担いで、丸の内あたりを歩きたいけれど、棺をどう用意するのかしらと思う。オノヨーコじゃないからさ、たった1つだって、用意に困るのだ。頭の中でやってみるパフォーマンス。
「Wish on Art」は、スイスの若いアーティスト、ミロスラブがさっき送ってきたメール。彼のプロジェクト。よくわからないけど、いろんな写真に、スタンプを押しているみたいです。お願いの、お守りみたいな感じに見えて来る。スタンプにあるメルアドに何か、書き送ってくれっていうわけなんだと思います。送ってみます?
Have a nice year-end.
27.12.09
年の瀬川柳
26.12.09
Greeting Card 2010
年末になるとあちこちから、様々なGreeting Cardが、メールで届けられて来ます。それに、Thank you で返事するより、カードで書いた方がよいかと思い、きのう夜中にがんばってつくりました。なんだか、品よくできて、パフォーマンスの途中だとは、思わない人もいるかも。
けさ母が、父の入院している病院から帰って来て「ついに、あの人、しゃべらなくなった」と、肩を落としていました。それで、今日、午後に行ってみると、ぐうぐう寝ていて、看護士さんが「きのう遅くまで興奮してましてね、夜中ほとんど寝てないみたいでした」と。「でも、今、また寝ていると今晩も眠れなくなるので、起きていてもらってください」。きのう夕方わたしが行った時「もうやすらかに死なせて欲しいよ。......こんなこと、言うからって、悲しまないでね。」と言ってしまったからかもしれません。それで、思いついて、父の最大の趣味であった(仕事でもある)川柳の本を取りに帰り、持って行き、読んであげることにしました。なかなか面白い本で、戦後の復興から現代までの間の時事川柳を集めたもの。聞いている?と聞くと、うなづくけど、どうしても、目が開かない。手を握って「面白いときは、きゅって指を動かしてね」と言いました。そうしたら、時々、ちょっと動かす。何か聞くと「しっている」くらいは答える。昭和30年頃はやった歌「バナナボート」の話があったので、どんな歌だっけと聞くと、歌い出した。「デ〜オ〜デ〜〜オ〜」まあ、つまり、おっくうで動きたくない、という状態です。あしたも行って読もうと思います。小説なんかと違って、ひとつひとつが短いから、ずっと聞いていなくても大丈夫なのです。
ブログって、日記形式だけど、日記でない、ということに今日はじっくり気がついた。これらをプリントアウトするのも、ばかばかしいし、つまりは消えてしまうもの。つまりは、読んでいる少数の人にむけたエッセイのようなものだね。
時々、殴り書きのように、思いのたけを書いてしまうことあるけど、あまり良くないなと思いました。特に、わたしのブログは、若い人たちも読んでいて、書いていることをあまり理解できないまま、不安な気持ちになったりするかもしれない。気をつけて書こうと思うのであります。
.......でも、昨日の、燃えちゃってるツリーは、いいでしょう? キリスト教の人はあまりいないだろうから、道徳的な不快はないとおもうのよね。
けさ母が、父の入院している病院から帰って来て「ついに、あの人、しゃべらなくなった」と、肩を落としていました。それで、今日、午後に行ってみると、ぐうぐう寝ていて、看護士さんが「きのう遅くまで興奮してましてね、夜中ほとんど寝てないみたいでした」と。「でも、今、また寝ていると今晩も眠れなくなるので、起きていてもらってください」。きのう夕方わたしが行った時「もうやすらかに死なせて欲しいよ。......こんなこと、言うからって、悲しまないでね。」と言ってしまったからかもしれません。それで、思いついて、父の最大の趣味であった(仕事でもある)川柳の本を取りに帰り、持って行き、読んであげることにしました。なかなか面白い本で、戦後の復興から現代までの間の時事川柳を集めたもの。聞いている?と聞くと、うなづくけど、どうしても、目が開かない。手を握って「面白いときは、きゅって指を動かしてね」と言いました。そうしたら、時々、ちょっと動かす。何か聞くと「しっている」くらいは答える。昭和30年頃はやった歌「バナナボート」の話があったので、どんな歌だっけと聞くと、歌い出した。「デ〜オ〜デ〜〜オ〜」まあ、つまり、おっくうで動きたくない、という状態です。あしたも行って読もうと思います。小説なんかと違って、ひとつひとつが短いから、ずっと聞いていなくても大丈夫なのです。
ブログって、日記形式だけど、日記でない、ということに今日はじっくり気がついた。これらをプリントアウトするのも、ばかばかしいし、つまりは消えてしまうもの。つまりは、読んでいる少数の人にむけたエッセイのようなものだね。
時々、殴り書きのように、思いのたけを書いてしまうことあるけど、あまり良くないなと思いました。特に、わたしのブログは、若い人たちも読んでいて、書いていることをあまり理解できないまま、不安な気持ちになったりするかもしれない。気をつけて書こうと思うのであります。
.......でも、昨日の、燃えちゃってるツリーは、いいでしょう? キリスト教の人はあまりいないだろうから、道徳的な不快はないとおもうのよね。
24.12.09
所有権
ちょっとだけ知り合いの人が企画したライブイベントに行った。少し遅れて行ったということもあって、席がない。友達は少し先に来ていて、やはり、もう場所がなくて、どうしようということになった。飲み物の注文だって15分くらいかかるし、食べ物などを注文したら、大変なことになりそうだった。知り合いのパフォーマンスをひとつだけ、見て帰ることにした。その知り合いのパフォーマンスは、なかなか生かしていたので、それで、けっこう、満足だね、と友達と言い、調布駅の前のホルモン屋で、食事をして帰った。できたら、予約制にして欲しかったなと思ったけど、おもいがけず、たくさん、来てしまったのだろう。恨みはないけど、途中から抜けた、後ろめたさはあります。ごめんね。でも、お腹すいていたし、騒音は、耐えられん。でも、ウイリアムさんのパフォーマンスをついに、見られてよかった。
今月中はもうひとつ(別の)行くかどうか、思案中。自分の人生が大変すぎて、抜け出せるか、あやしい。
ライブって、本当に、厚い層があるんだってわかったが、たぶん、日本ではパフォーマーって地位が低い。美術家とたいして変わらないと思うが、そうなる。どうしてなんだか。
今日の動画は、わたしの承諾なく勝手にiTuneなどの広告が付け加えられているのにも、かかわらず、わたしのアカウントには、「他人が所有権を持つコンテンツが含まれている可能性があります」と警告されている動画。なんか、図々しいと思う。googleさんとYoutubeさんよ。
今月中はもうひとつ(別の)行くかどうか、思案中。自分の人生が大変すぎて、抜け出せるか、あやしい。
ライブって、本当に、厚い層があるんだってわかったが、たぶん、日本ではパフォーマーって地位が低い。美術家とたいして変わらないと思うが、そうなる。どうしてなんだか。
今日の動画は、わたしの承諾なく勝手にiTuneなどの広告が付け加えられているのにも、かかわらず、わたしのアカウントには、「他人が所有権を持つコンテンツが含まれている可能性があります」と警告されている動画。なんか、図々しいと思う。googleさんとYoutubeさんよ。
23.12.09
さようなら0S9
ということで、OS9のアップルの君、ついに、呼吸が止まってしまいました。スーツケースを押し入れにしまうために、少し、動かしたら、その後から、息が絶えてしまいました。近頃、息絶え絶えでしたが。それで、プリンター君も、スキャナー君も、OS9対応なので、古墳に埋葬される埴輪のように、ともに、生きながら、役目を終えます。新しい王OSX様は、皇太子として、すでに実際の実務のほとんどは、執り行っていましたから、今後の国政に影響はありません。彼専用の配下として、プリンター+スキャナー君が、新たに入閣しました。
それととも、へやが模様替えされます。ホームページもしばらく、アップできません。あれも、OS9の君のお仕事でしたからね。HTMLをやっぱりやんなくてはならん。できるかな、できるかな。
本日の映像は、Sun Raにします。アフリカ系アメリカ人ジャズではなくて、アフリカ人ジャズ。最近知ったばかりだけど。
それととも、へやが模様替えされます。ホームページもしばらく、アップできません。あれも、OS9の君のお仕事でしたからね。HTMLをやっぱりやんなくてはならん。できるかな、できるかな。
本日の映像は、Sun Raにします。アフリカ系アメリカ人ジャズではなくて、アフリカ人ジャズ。最近知ったばかりだけど。
21.12.09
20.12.09
作品が他人の作品に混ざる時
こんなのあった、そういえば。ほんとに、ワルシャワ大学に忍び込んで、ロケした。ここではあまりわたしの作品はまざってない。一応、アクトレスとして、行った。
以下は、アクトレスとして、名前を出すのは、やめて欲しいと、パベルに言ったので、名前がないです、こっちでは。わたしの作品だもん。剽窃じゃん。コラボレーターとなら、名前をのせてもいいけど。
パベルのサイト。さなぎの家も映っているんだ。
こっちは、わたし。
以下は、アクトレスとして、名前を出すのは、やめて欲しいと、パベルに言ったので、名前がないです、こっちでは。わたしの作品だもん。剽窃じゃん。コラボレーターとなら、名前をのせてもいいけど。
パベルのサイト。さなぎの家も映っているんだ。
こっちは、わたし。
19.12.09
誕生日だったので
なぜだか、今年は、Facebookがらみで、たくさんの「おめでとう!」メールが来た。Facebookの「奨励」によるものだと思うけど、楽しいもんだ。
昨日の午前中父が退院して、昨日の夜の11時すぎに、また、病院へ戻った。一旦、あきらめた(危険だから)手術をやはり受けることになる。「もうご自宅に帰れないことになるかもしれませんが、ご承知下さい。もちろん、ベストを尽します。」と先生は言い、私たちは書類にサインした。夜中12時過ぎに、わたしの誕生日だからと、母と安ワインをあける。ほとんど、わたしが飲んだかも。今日は、完全に爆死したまま過ごした一日だった。安いお酒は、本当に身体に悪い。
添付は、ポーランドのダリウスが送ってきた季節のごあいさつ。
昨日の午前中父が退院して、昨日の夜の11時すぎに、また、病院へ戻った。一旦、あきらめた(危険だから)手術をやはり受けることになる。「もうご自宅に帰れないことになるかもしれませんが、ご承知下さい。もちろん、ベストを尽します。」と先生は言い、私たちは書類にサインした。夜中12時過ぎに、わたしの誕生日だからと、母と安ワインをあける。ほとんど、わたしが飲んだかも。今日は、完全に爆死したまま過ごした一日だった。安いお酒は、本当に身体に悪い。
添付は、ポーランドのダリウスが送ってきた季節のごあいさつ。
18.12.09
ICCと世界銀行情報センター
今日は、ICCと世界銀行の情報センターというところへ行った。
なかなかイカした組み合わせ。
ICCでは、コープヒルメンブラウの展示とオープンスペースの一部に作品をみる。
コープは、建築の話。都市計画は、雲のようであり、建築は身体の神経系統ようなものだという理念にもとずく建築を作っているらしい。
ところで、展示作品がインタラクティブと言ったって、それほど、知覚に特別な経験があるわけではない。心臓音が、変換されて映像になって、バルーンに照らされたり、など。まあ、建築家の話だ。妄想も、常識の範囲。
それから、オープンスペースの『メトロノームと無響室のための作品』は、楽しかった。音を楽しんだ。エンターテイメントだね。何か、なぞがあるわけではない。『ミッションG』は、ちょっとあたしの頭には、むづかしい。だいたいの説明は、以前、四方さんが話しておられたので、まったくわからないというわけではないが、私の能力の限界。残念。
『続基礎情報学』という本を買った。読めるかな(笑)。
世界銀行情報センターは、富国生命ビルにある。なるほど面白い。でも、センターといっても、携帯売り場のショップみたいなかわいらしい場所なのは、意外だった。そこでは「アフリカの開発とアート」展でという小さな展示があり、今日は「現代アートを通して見る東アフリカ社会」よいう吉田栄一さんのトーク(レクチャー)を聞く。世界銀行という場所で、どういうスタンスなのかな、と思った。なかなか微妙で面白かった。興味深い視線を持った人だなと思った。アフリカのアーティストの多くは、外国人に売れるから、作品を描いている。人気があるのは、動物の絵、色鮮やかな絵、政治・社会問題を扱ったもの。でも、売れなくても、自分の描きたいと思うものを描こうという人も出てきている。アフリカにある画廊は、ほぼすべて、ヨーロッパ人の作ったものだそうだ。美術館でも売っている。ポストカルチュラル、と言ってしまえば、それまでだけど。
アートって、ウイルスだなと思う。文化とイコールではない、もちろん。なら、なくてもいいものなのかも、と思ったが、もう知ってしまった以上、その感染した身体で、生きて行くよりないし、それが、まあ、アートなんだな。ねじねじにねじれている。今日来ていた人の中には、それらを(売って)ひと稼ごうかしらという人もいたみたいだ。描く方の気持ちはあんまり考えてない感じ。そういう金脈があるんだったらって感じだ。開発には、セットとして、教育ってのもあって、それって、おしつけがましい(笑)わけなんだけど、良いことだと信じている人は、良い仕事をしていると思っているし、たぶん、そうなんだろうと思う。その辺をとやかく言うのが、わたしの仕事ではなくて、そのことによって、できたねじれで、どういうアートが作られるんだろう、ということに興味がある。つまり、自分も、そういう場所にいるので。指は指差せないから、目だけでも遠くへ。
なかなかイカした組み合わせ。
ICCでは、コープヒルメンブラウの展示とオープンスペースの一部に作品をみる。
コープは、建築の話。都市計画は、雲のようであり、建築は身体の神経系統ようなものだという理念にもとずく建築を作っているらしい。
ところで、展示作品がインタラクティブと言ったって、それほど、知覚に特別な経験があるわけではない。心臓音が、変換されて映像になって、バルーンに照らされたり、など。まあ、建築家の話だ。妄想も、常識の範囲。
それから、オープンスペースの『メトロノームと無響室のための作品』は、楽しかった。音を楽しんだ。エンターテイメントだね。何か、なぞがあるわけではない。『ミッションG』は、ちょっとあたしの頭には、むづかしい。だいたいの説明は、以前、四方さんが話しておられたので、まったくわからないというわけではないが、私の能力の限界。残念。
『続基礎情報学』という本を買った。読めるかな(笑)。
世界銀行情報センターは、富国生命ビルにある。なるほど面白い。でも、センターといっても、携帯売り場のショップみたいなかわいらしい場所なのは、意外だった。そこでは「アフリカの開発とアート」展でという小さな展示があり、今日は「現代アートを通して見る東アフリカ社会」よいう吉田栄一さんのトーク(レクチャー)を聞く。世界銀行という場所で、どういうスタンスなのかな、と思った。なかなか微妙で面白かった。興味深い視線を持った人だなと思った。アフリカのアーティストの多くは、外国人に売れるから、作品を描いている。人気があるのは、動物の絵、色鮮やかな絵、政治・社会問題を扱ったもの。でも、売れなくても、自分の描きたいと思うものを描こうという人も出てきている。アフリカにある画廊は、ほぼすべて、ヨーロッパ人の作ったものだそうだ。美術館でも売っている。ポストカルチュラル、と言ってしまえば、それまでだけど。
アートって、ウイルスだなと思う。文化とイコールではない、もちろん。なら、なくてもいいものなのかも、と思ったが、もう知ってしまった以上、その感染した身体で、生きて行くよりないし、それが、まあ、アートなんだな。ねじねじにねじれている。今日来ていた人の中には、それらを(売って)ひと稼ごうかしらという人もいたみたいだ。描く方の気持ちはあんまり考えてない感じ。そういう金脈があるんだったらって感じだ。開発には、セットとして、教育ってのもあって、それって、おしつけがましい(笑)わけなんだけど、良いことだと信じている人は、良い仕事をしていると思っているし、たぶん、そうなんだろうと思う。その辺をとやかく言うのが、わたしの仕事ではなくて、そのことによって、できたねじれで、どういうアートが作られるんだろう、ということに興味がある。つまり、自分も、そういう場所にいるので。指は指差せないから、目だけでも遠くへ。
17.12.09
デイブ・ブルーベックたち
こういうところでは、ただの人に見えてしまう。デニーロも、ブルース・プリングスティンもね。大統領のかざり。どことなく、しょうがなさそうにしているのは、照れなのかな。
ケネディ賞受賞。なんか、とっても、政治利用。そういうものですね。
.......そんなこと気にしている場合でもない。
台湾レポートをまだ書いている私。近いうちに、アップしますね。
ケネディ賞受賞。なんか、とっても、政治利用。そういうものですね。
.......そんなこと気にしている場合でもない。
台湾レポートをまだ書いている私。近いうちに、アップしますね。
15.12.09
闇
13.12.09
定番
12.12.09
Drill
2006年のヘルシンキでの”Drill” アップしました。携帯電話機で有名なエレクトロニックカンパニーであるNOKIAの工場だった場所が、「ケーブルファクトリー」という名のアートスペースになっている、そういうところで行いました。レポートあります。
パフォーマンスとしては、ちょっと納得してない所もあったのだけど、今見ると、自分でわからなかった所の意味がつかめた。
..........とにかく、このビデオは8分くらいですが、実際は50分くらいであり、いかに、しつこく、「ドリル」していて、お客がどれほど、あきれ果てたかは、想像していただくしかないのかな。
あきれて果てる、というのが、大事なのかな〜
近代日本が、身体的に近代人になる過程を、ちょっと皮肉をこめて紹介しました。日本人だけでなく、20世紀はセカイ中で、拳をあげていた。ロックンロールも20世紀的な4拍子のマーチのひとつ。高いところで、手を降り、投げキスをする私は、ロックンローラーなのか?
金属をリンゴという身体に埋めていくのは、鍛錬と錬金術をかけた。無理矢理、近代化させられる身体が悲鳴をあげている、というイメージ。実のところ、にせものなんではないの?というわけ。
というテーマなんだけど、楽しんでいただけるかどうか。
パフォーマンスとしては、ちょっと納得してない所もあったのだけど、今見ると、自分でわからなかった所の意味がつかめた。
..........とにかく、このビデオは8分くらいですが、実際は50分くらいであり、いかに、しつこく、「ドリル」していて、お客がどれほど、あきれ果てたかは、想像していただくしかないのかな。
あきれて果てる、というのが、大事なのかな〜
近代日本が、身体的に近代人になる過程を、ちょっと皮肉をこめて紹介しました。日本人だけでなく、20世紀はセカイ中で、拳をあげていた。ロックンロールも20世紀的な4拍子のマーチのひとつ。高いところで、手を降り、投げキスをする私は、ロックンローラーなのか?
金属をリンゴという身体に埋めていくのは、鍛錬と錬金術をかけた。無理矢理、近代化させられる身体が悲鳴をあげている、というイメージ。実のところ、にせものなんではないの?というわけ。
というテーマなんだけど、楽しんでいただけるかどうか。
11.12.09
触れられる音
いたよね、ウィル・スミス、オスロに。ニュースでちらっと見たけど、説明もなかったので、自分で探した。(ヒマなんだ、わたしは)
ところで、C&Mは、東京でも新しいメンバーが入ったし、台湾のメンバーも入った。どう進化するか、楽しみ。よくあるスタイルの交換イベントだけはやりたくない。花火のように終わってしまうからね。 来年は、大学を卒業するメンバーも多くて、これから必ずしも、学生対象にはならなくなるでしょう。それでも、「自主研究」である柱をすてずにいたい。イベントなら、世の中たくさんある。それに、芸術家になるだけが、人生の選択ではない、という方向でいたいとも思っています。わたしは、もう方向転換できないけど、若い人たちは、様々な方向があるべきだと思う。それに.......一番、大事なことは「アートはアーティストのためだけではない」ということかもしれない。なんてね。
父の病気のこともあるので、今年から来年にかけては、じっくりした日々を送りたいとも、思っています。
写真は、スティービー・ワンダーの指。たぶん、まだ彼が20代のころ。後ろにある白っぽいのは、誰の指か知らない。ビデオからとったので、次の映像と混ざっているけど。見えない人が、音を「触れられるもの」のように感じているかのような、感じに、関心があります。辻井君にもちょっと注目。
ところで、C&Mは、東京でも新しいメンバーが入ったし、台湾のメンバーも入った。どう進化するか、楽しみ。よくあるスタイルの交換イベントだけはやりたくない。花火のように終わってしまうからね。 来年は、大学を卒業するメンバーも多くて、これから必ずしも、学生対象にはならなくなるでしょう。それでも、「自主研究」である柱をすてずにいたい。イベントなら、世の中たくさんある。それに、芸術家になるだけが、人生の選択ではない、という方向でいたいとも思っています。わたしは、もう方向転換できないけど、若い人たちは、様々な方向があるべきだと思う。それに.......一番、大事なことは「アートはアーティストのためだけではない」ということかもしれない。なんてね。
父の病気のこともあるので、今年から来年にかけては、じっくりした日々を送りたいとも、思っています。
写真は、スティービー・ワンダーの指。たぶん、まだ彼が20代のころ。後ろにある白っぽいのは、誰の指か知らない。ビデオからとったので、次の映像と混ざっているけど。見えない人が、音を「触れられるもの」のように感じているかのような、感じに、関心があります。辻井君にもちょっと注目。
9.12.09
それは冷やしてはいけない
きのうは、午後に、ひさしぶりに、LeeWenに会い、喫茶店でお茶を飲みながら、近況を話しあう。もう、10年のつきあいだと、「古い」友達の領域だ。ありがたいものだ。
それから、ICCに行こうとしたけど、もう時間が遅かったので、あきらめて、渋谷で、御飯をひとりで、食べて、Kと待ち合わせ。彼女は、この夏からの友達。ここでも近況を話しあって、それから、いっしょにイメージフォーラムに行き、イトウタカシ氏のフィルムをいくつか見る。やはり、Spacyのインパクトがすごい。Spacyの面白さは、どんなセンチメンタルもないところなんだ。すっぽり抜けている。ばかばかしいようなセットが良い。Ghostもいいけど、中味や風味がありすぎかも。
あ、わたしのDrillもアップしょう。
以下は、イトウさんのDVDの宣伝用。これでは知らない人には、わからないかも。DVD用の効果と間違われるかも。この宣伝用動画の中では、倉庫みたいなところを、行ったり来たりするとことが好きだな。わたしみたいだから(すまない)。
ところで、見に来ている人々は、そろってむさ苦しいにいさん、おじさんばかりであった。やはり、カップルでは見ないタイプのものらしい。
Kさんと、近くのワンコインバーで、赤ワインを一杯だけ飲んで、いろいろ話して帰る。赤ワインが、冷えていたので、苦くなっていた。渋谷も田舎なんかな。赤ワインは、決して冷やしてはいけん。
Kさんには、オセロの作品(Ceiling Painting)の話をしたら、大変、おもしろがってくれた。京都の寺院でやって欲しいと言っていた。陰陽道にはまっていくのか、わたしらは。
それから、ICCに行こうとしたけど、もう時間が遅かったので、あきらめて、渋谷で、御飯をひとりで、食べて、Kと待ち合わせ。彼女は、この夏からの友達。ここでも近況を話しあって、それから、いっしょにイメージフォーラムに行き、イトウタカシ氏のフィルムをいくつか見る。やはり、Spacyのインパクトがすごい。Spacyの面白さは、どんなセンチメンタルもないところなんだ。すっぽり抜けている。ばかばかしいようなセットが良い。Ghostもいいけど、中味や風味がありすぎかも。
あ、わたしのDrillもアップしょう。
以下は、イトウさんのDVDの宣伝用。これでは知らない人には、わからないかも。DVD用の効果と間違われるかも。この宣伝用動画の中では、倉庫みたいなところを、行ったり来たりするとことが好きだな。わたしみたいだから(すまない)。
ところで、見に来ている人々は、そろってむさ苦しいにいさん、おじさんばかりであった。やはり、カップルでは見ないタイプのものらしい。
Kさんと、近くのワンコインバーで、赤ワインを一杯だけ飲んで、いろいろ話して帰る。赤ワインが、冷えていたので、苦くなっていた。渋谷も田舎なんかな。赤ワインは、決して冷やしてはいけん。
Kさんには、オセロの作品(Ceiling Painting)の話をしたら、大変、おもしろがってくれた。京都の寺院でやって欲しいと言っていた。陰陽道にはまっていくのか、わたしらは。
7.12.09
C&M 少し進行
多摩美でのサウンドミーティングの後、休眠していたC&Mは、新たな展開をはじめています。まだ、言えないけど。
毎日、ジミにメールを書き合って、相談です。 テルアビブのプレムは、本当にいいコーワーカーです。
彼が、今年キブツでのセミナーで書いた論文が送られてきました。戦争とアート、というそのものずばりのテーマです。20世紀に、戦争のイメージがアートの中でどう表現されてきたか、という内容ではないかと思います。面白そうです。
別件だけど、ワンダララ計画で、呼ぶ予定だった、マリリンが、台湾でしたレクチャーの原稿も送ってもらいました。こちらは、パフォーマンスアートのイントロダクション。まるで、知らない人向けの紹介ですが、「観客の役割」というチャプターもあってよさそうです。
わたしの頭の中でも、論文を書いています。
芸術におけるウエスタンスタンダードを受け入れながら、スタンダードの中にいない者の劣等意識でなく、スタンダードの外にいるからこそ、総じた立場で見ることができる、という強みについて。文化は政治なのであります。政治を動かすのではなくて、すでに政治の一部。
毎日、ジミにメールを書き合って、相談です。 テルアビブのプレムは、本当にいいコーワーカーです。
彼が、今年キブツでのセミナーで書いた論文が送られてきました。戦争とアート、というそのものずばりのテーマです。20世紀に、戦争のイメージがアートの中でどう表現されてきたか、という内容ではないかと思います。面白そうです。
別件だけど、ワンダララ計画で、呼ぶ予定だった、マリリンが、台湾でしたレクチャーの原稿も送ってもらいました。こちらは、パフォーマンスアートのイントロダクション。まるで、知らない人向けの紹介ですが、「観客の役割」というチャプターもあってよさそうです。
わたしの頭の中でも、論文を書いています。
芸術におけるウエスタンスタンダードを受け入れながら、スタンダードの中にいない者の劣等意識でなく、スタンダードの外にいるからこそ、総じた立場で見ることができる、という強みについて。文化は政治なのであります。政治を動かすのではなくて、すでに政治の一部。
6.12.09
こんなことも、あった
写真は、ジェレミー・コールマンによる。忘れた頃に送ってくれるナイスな写真家。最初の3枚は、去年だっけ、桜木町で、寝たやつ。わたしは、律儀に、白いところに寝ているのに、他の人は、適当なのが、気になる。どうして、話を聞いてないのか、と思ってしまうが、まあ、こういうこともある。
後半は、2006年の12月。トキアートスペースで、いろはにほへとを、歌った。最後のは、トキアートスペースの近くのそば屋でイルマと飲みながら、話している。イルマは、いろはにほへとの歌が、なぜか、とても気に入って、教えてくれと言うのである。エンドレスで歌い続けてしまう歌。このころから、わたしの声が通るようになったと思う。けっこう、こっそり、練習したもん。狂言風に。だれも狂言風だとは、気がつかなかったみたいだけど。
この作品は、楽しんだ人も多かったが、いやがった人もちょっといた。
さっき、友達が携帯メールで、わたしが、阿部寛に似ているのではないかと書いてきた。そうかな。
後半は、2006年の12月。トキアートスペースで、いろはにほへとを、歌った。最後のは、トキアートスペースの近くのそば屋でイルマと飲みながら、話している。イルマは、いろはにほへとの歌が、なぜか、とても気に入って、教えてくれと言うのである。エンドレスで歌い続けてしまう歌。このころから、わたしの声が通るようになったと思う。けっこう、こっそり、練習したもん。狂言風に。だれも狂言風だとは、気がつかなかったみたいだけど。
この作品は、楽しんだ人も多かったが、いやがった人もちょっといた。
さっき、友達が携帯メールで、わたしが、阿部寛に似ているのではないかと書いてきた。そうかな。
5.12.09
誰かな〜
このブログを書いている人。わたしのこと、少し、知っている感じ。そんな風に、読むこともできるのか〜、と感心する。
地球の歩き方、銀座編
これはどういうこと? オートマチックに組み込まれたのではないでしょう? ビデオを撮った木村さんの投稿かもしれない。
地球の歩き方、銀座編
これはどういうこと? オートマチックに組み込まれたのではないでしょう? ビデオを撮った木村さんの投稿かもしれない。
4.12.09
手術、のことなど
父がまた手術をすることになった。でも、今度、手術すると、死ぬ可能性もあるとのこと。でも、父は、すっきりしたいので、死ぬ覚悟で、手術したいとのこと。一日一日、一時間一時間、一分一分が、貴重に感じられる。
時間が重くなると、今度は、どうしたらいいのか、わからないくて、時間が流れるのを、眺めてしまうことになる。
どのみち、人生とはそうなのかもしれない。
人は、自分に心地よいことで動くという生き物だ。お金がもらえる、異性と(あるいは同性と)仲良くできるといった基本的な欲望の次に、名誉を感じられる、自慢できる、良い人に見られる、何かを得る為に学べる、チャンスを得られる、かっっこいい気分を味わえる、人の上に立てる、自分のセンスを磨ける、自分独自のモノの見方をためすことができる、共犯者になる、などの他、「面白い」にはいろいろなニュアンスがあるが、どちらにせよ、とんがりたい気分とつながっている。誰もが楽しめる、といったことに、あまり興味がないのが、本当のアート好きだと確信している私。味わうには、集中力や経験、想像力のたくましさを求められるようなものに、ぴんと来る、喜び。スノッブさが必要だと思っている。ミーハーよりスノッブ。簡単に見えてしまうものでは、満足しない。
自分の作品。台湾で行ったもの。
目で見ずに、指の感覚だけで、駒を返してゆく。
最後には、すべてYesにしたが、本当は、どちらでも良い。ゆっくり混ざって行く過程が大事だと思う。床には、陰陽のマークが描かれている。白い脚立は、オノヨーコの「Ceiling Painting」の主なツール。わたしは、登って、虫眼鏡ではなくて、双眼鏡を使う。yesだろうが、黒だろうが、どちらでも良いというのが、わたしの方法。21世紀的だと思っている。
時間が重くなると、今度は、どうしたらいいのか、わからないくて、時間が流れるのを、眺めてしまうことになる。
どのみち、人生とはそうなのかもしれない。
人は、自分に心地よいことで動くという生き物だ。お金がもらえる、異性と(あるいは同性と)仲良くできるといった基本的な欲望の次に、名誉を感じられる、自慢できる、良い人に見られる、何かを得る為に学べる、チャンスを得られる、かっっこいい気分を味わえる、人の上に立てる、自分のセンスを磨ける、自分独自のモノの見方をためすことができる、共犯者になる、などの他、「面白い」にはいろいろなニュアンスがあるが、どちらにせよ、とんがりたい気分とつながっている。誰もが楽しめる、といったことに、あまり興味がないのが、本当のアート好きだと確信している私。味わうには、集中力や経験、想像力のたくましさを求められるようなものに、ぴんと来る、喜び。スノッブさが必要だと思っている。ミーハーよりスノッブ。簡単に見えてしまうものでは、満足しない。
自分の作品。台湾で行ったもの。
目で見ずに、指の感覚だけで、駒を返してゆく。
最後には、すべてYesにしたが、本当は、どちらでも良い。ゆっくり混ざって行く過程が大事だと思う。床には、陰陽のマークが描かれている。白い脚立は、オノヨーコの「Ceiling Painting」の主なツール。わたしは、登って、虫眼鏡ではなくて、双眼鏡を使う。yesだろうが、黒だろうが、どちらでも良いというのが、わたしの方法。21世紀的だと思っている。
3.12.09
共犯感覚
皆さん、お元気ですか。わたしは元気です。身体は、あちこち痛くて、がたがたですが、気力はばっちりです。(年寄りみたいだ)
いろいろなことがありました。「ぴちぴち行動展」のパフォ『Wind from Sky 2』。まあまあです。喜んでくれた人が何人かいたので、それで、良いと思います。銀座でのが、私的にはベストなんだけど、場所が広くなると、いろいろ条件が変わるし、わたし自身の欲も出てきます。ラストは、今回の「ターナーギャラリーバージョン」固有の展開があって、良かった。固有の展開が、大事。課題は、同じテーブルクロスでも、滑りの悪いテーブルというのがあって、グラスがテーブルから落ちる前に、テーブルの上で倒れてしまうことを、どう扱うかです。前できたことを同じことをしようとしても、それは無理だ。台湾の時も、そう。テーブルが大きいという問題もあります。どちらにせよ、楽しくやれれば、何でも良いのだ。
もうひとつ意外だったのは、床が、危険+汚れまみれになること、若い人たちは「面白い」と感じていること。やっているわたしですら、「汚くなった、やばい」と思っているのに、彼らは、そのまま、残したいと思うらしい。なので、当日は、掃除をしないで、その後ずっと、ガラスをジャリジャリ踏みながら、イベントを続けました。酔っぱらいがでると危ないなと思ったけど、最近の若者は、泥酔しないみたいです。飲み物より、食べ物の方が、あっという間になくなります。彼らが、健全であるゆえ、ドロドロが、かっこ良く見えるのかな。もしや「やばい」の意味が、世代で違っているのと、同じような理由かもしれない。
台湾でも聞かれたけど、「発想はどういうところからですか」「コンセプトは?」という質問には、「すべて何もかもをのものを、めちゃくちゃに壊し尽してみたいという欲望って、誰にもあるでしょう?」と私は、まず、言います。すると、聞いた若者は、私の目をじっと見て、用心深そうにうなずきます。決して、勢い込んで、うんうんとは言わない。わたしは、それを見ると、胸がきゅんとなる。おおっぴらに認めては行けないことだと思っている、のか? たぶん、開き直ってはいけないことなんだね。その、やさしさ、臆病さが、好きです。それから、その瞬間、私たちは、共犯者の心になる。それも胸きゅんだ。
銀座で、みんなで寝るパフォーマンスも、共犯感覚だった。わたしのパフォーマンスは見ている人と場所を共有して、欲望や興味を共有することになりがちである。それって、ちょっと、共犯なのかなと思う。反社会的なことを、疑似体験するってカンジ。あくまで、アートの文脈で、それを行うというのが、わたしのスタンス。なので、銀座であれをしても「格差社会」に、問題提起できたとは思わない、通行人にインパクトを与えたいとも思わない。ほんとに、社会の中で、暴れたい、あるいはメッセージをしたい人とは、別だ。
今日は、別のネタを書くつもりだった。今日、書く予定だったことは「類は類を呼ぶ」ということと、人間関係の話ばっかりする人々について、文句をたれようと思っていたけど、まあ、いいや。あしたにしようっと。
腕については、整形外科で、何枚もレントゲンをとって、骨の異常がないということで、痛み止めだけもらう。異常がないって? 骨盤が「ダンス中」みたいに、右上がりなのは、お医者には、「問題ない」らしい。しょうがないから、今度は、整体師だ。ダンスは、ダンスのときだけで良いのであります。ダンスを休もう。
いろいろなことがありました。「ぴちぴち行動展」のパフォ『Wind from Sky 2』。まあまあです。喜んでくれた人が何人かいたので、それで、良いと思います。銀座でのが、私的にはベストなんだけど、場所が広くなると、いろいろ条件が変わるし、わたし自身の欲も出てきます。ラストは、今回の「ターナーギャラリーバージョン」固有の展開があって、良かった。固有の展開が、大事。課題は、同じテーブルクロスでも、滑りの悪いテーブルというのがあって、グラスがテーブルから落ちる前に、テーブルの上で倒れてしまうことを、どう扱うかです。前できたことを同じことをしようとしても、それは無理だ。台湾の時も、そう。テーブルが大きいという問題もあります。どちらにせよ、楽しくやれれば、何でも良いのだ。
もうひとつ意外だったのは、床が、危険+汚れまみれになること、若い人たちは「面白い」と感じていること。やっているわたしですら、「汚くなった、やばい」と思っているのに、彼らは、そのまま、残したいと思うらしい。なので、当日は、掃除をしないで、その後ずっと、ガラスをジャリジャリ踏みながら、イベントを続けました。酔っぱらいがでると危ないなと思ったけど、最近の若者は、泥酔しないみたいです。飲み物より、食べ物の方が、あっという間になくなります。彼らが、健全であるゆえ、ドロドロが、かっこ良く見えるのかな。もしや「やばい」の意味が、世代で違っているのと、同じような理由かもしれない。
台湾でも聞かれたけど、「発想はどういうところからですか」「コンセプトは?」という質問には、「すべて何もかもをのものを、めちゃくちゃに壊し尽してみたいという欲望って、誰にもあるでしょう?」と私は、まず、言います。すると、聞いた若者は、私の目をじっと見て、用心深そうにうなずきます。決して、勢い込んで、うんうんとは言わない。わたしは、それを見ると、胸がきゅんとなる。おおっぴらに認めては行けないことだと思っている、のか? たぶん、開き直ってはいけないことなんだね。その、やさしさ、臆病さが、好きです。それから、その瞬間、私たちは、共犯者の心になる。それも胸きゅんだ。
銀座で、みんなで寝るパフォーマンスも、共犯感覚だった。わたしのパフォーマンスは見ている人と場所を共有して、欲望や興味を共有することになりがちである。それって、ちょっと、共犯なのかなと思う。反社会的なことを、疑似体験するってカンジ。あくまで、アートの文脈で、それを行うというのが、わたしのスタンス。なので、銀座であれをしても「格差社会」に、問題提起できたとは思わない、通行人にインパクトを与えたいとも思わない。ほんとに、社会の中で、暴れたい、あるいはメッセージをしたい人とは、別だ。
今日は、別のネタを書くつもりだった。今日、書く予定だったことは「類は類を呼ぶ」ということと、人間関係の話ばっかりする人々について、文句をたれようと思っていたけど、まあ、いいや。あしたにしようっと。
腕については、整形外科で、何枚もレントゲンをとって、骨の異常がないということで、痛み止めだけもらう。異常がないって? 骨盤が「ダンス中」みたいに、右上がりなのは、お医者には、「問題ない」らしい。しょうがないから、今度は、整体師だ。ダンスは、ダンスのときだけで良いのであります。ダンスを休もう。