27.7.09

「だれもわかってはおらぬ」

といったようなタイトルのオペラがあったような気がする。

ロウケンには預けていられないと母が言うので、自宅介護に切り替えるべく、役所、地域包括センターなどに連絡をする。みな、違うことを言う(笑)。制度が、まだ、定着していなくて、皆、手探りなのだ、というのは、わからないでもない。でも、どのくらい経ったんだっけ?

父が、家に帰れば、母が毎日のようにヒステリーの声を上げるのが目に見えている。「わたしでなければ世話できない」「わたしがやってあげる」と、考えているようだが、それが一番、危ないって気がついてないみたいだ。でも、誰が止めることができよう。
まわりが、思うように動いてくれないから、「では、わたしがやるよ」と、引き受ける性格が、わたしに遺伝している。それで、うまくいく、という話だって世の中にある。でも、わたしはだいたいうまくいかない。全部引き受けるのは、絶対にだめだと感じている。

では、たよりになる人がどこかにいるのか?

いない。その場合は、出会いを待つしかないし、出会うように動くのだろうと思っている。だけど、どうしても相容れない人、言っていることとやっていることがかけはなれている人はやっぱ、だめだよね。やっていることで、人は見よう。

この理屈でいえば、介護業界の人々の言っていることがまちまちなのは、それほど、問題ではないのかもしれない。
実際を行いながら、ってことだ。

うむ。