僭越ながら、同じく上演芸術を行う者として、非常に興味深く見た。他人に振りつけられるダンスや演劇と違って、自分ですべての選択をしなくてはならない、という点において、学び、共感することができた。(もちろん、伝統であるということ、テキストはおおよそできているという違いは、大きいけれど)
司会者のふたりのちんぷんかんぷんな質問に対して、適当に合わすことなく、違和感を、やんわり表す、コサンジさん。受けてなんぼの芸人というより、わたしには、芸術家に近いと思った。たぶん、テレビの芸人さんと、高座の芸人さんの違いかも。つまり、目の高い観客を相手にやってきた人であるということ。たぶんね。個人のパーソナリティの問題かもしれないけど。
師匠のコサンに、「面白くない」と言われたこと。自分のまじめな性格、明るくない性格、病気がちの身体に、コンプレックスがあること。その自分の身体が持つ特徴は、いくらハナシを稽古しても、隠しようがなく、どうやって、使いこなすか。声がかれて、出ないとき。高座に上がっても、ハナシが浮かばないとき.......。
以前、わたしが料亭でバイトしていた時、落語家さんたちの大宴会があって、その時の、コサンジさんの様子を思い出す。ほとんどしゃべらず、針金みたいに、固く、座って、ニコニコもせず、淡々としていた。かなり、他の人たちと違っていた。
そういう彼に、親しみを覚える、わたしなのだった。わたしも、まじめすぎるのが、コンプレクスだから。