わたしは、文学が、パフォーマンスに入るのが、きらいである。身体から、文学を追い出せ。
感情は、文学的に表現されることが多い。感情のことをはなす人は、なんとなく、詩人(できそこないの)気分だ。
でも、感情は、言葉だけではない。
仲の良いアーティストであるアディーナは、自分の作品を「感情の構成」と言った。わたしは、はっとした。感情というのは、垂れ流しか、あるいは、制圧するもののどちらかだと思っていたから。だから、わたしは作品で、感情も制圧するばかりだった。
だが、今は少し、感情を、構成してみたいと思っている。文学ではなく。制御できないものとしてではなく、構成することのできる素材として。コレオグラフではなくて、美術的な構成。
演技ではなく(演技は文学だから)、視覚芸術として。
甘いナルシスに陥らず。つまり、「わたしの」感情としてではなく。
時々、気になって、心理学、精神医学方面の本を読むことがあるが、たいていは、不満に陥る。甘いと思う。何かにかけている。経験則からだけで、そのコントロールをはかろうとするのは、何か弱い。
感情をどうするか。