11.11.08

ボストンでの「横浜で失踪中」
























写真は、ボストン美術館の日本美術展示室の、快慶作弥勒立像のうしろのキャプション。天心の写真と説明。クリックすると読めるサイズになります。

ところで。

今日はちょっとした大決断をした。それについては、今はまだ書けない。その報告を書いている時間は、およそ1時間だったと思うけど、あまりのことに、その時の時刻が夕方なのか、夜中なのか、しばらくわからなくなった。まだ、昼前だった。

今は、何もかもが、変わりつつある時期だと思う。2005年くらいから、迷い込んでいたところから、出て来れたのかもしれない。まさに、Missing in Yokohamaだったと思う。このプロジェクトもきちんと、整理したテキストを書かなくては。ボストンのアートスクールでのトークで、Missing in Yokohamaの話をした。ヒロイン(私)の背景を語り、その後で、「これのほとんどは、嘘です」というと、一番前に座っていたジュリーが、のけぞって、やがて出て行ってしまった。これは、「真実感」を追求しすぎるパフォーマンスアートへの挑戦なのだ。若い学生は、特に違和感はないようだった。ボストン美術館の学芸員と話したとき、ボストン美術館にある、多くの仏像は、横浜から船で出て行ったものに違いないからと「Missing in Yokohakma」のことを話したら、なるほどと深くうなづいていた。ヨコハマは、何もかも、通過する場所。とどまることができない。
あまりにも、増殖する話が多いのが、このプロジェクトである。フラクタルなプロジェクト。エピソード集を買った人が「これをじっくり読むと、一つの筋の通った話が見えてくるんですね」と聞いた。まだ、そういうことを考えている人もいるんだな。記憶と歴史の整合性を、壊すのがこの目的である。

話は変わって。ボストンのマリリンに、「宗教はある?」と聞いたら、しばらく考えて「ヒューマニズム」と彼女は答えた。うそばっかり!! 信じない。もしかしてアーティストの多くはそうなのかしら?
わたしの作品、Wind from Skyは、フェミ系の人にちょっと人気があった。「まさに女性の作品だわ。あなたを招待したのは、大成功。ありがとう」と言われて、始めはあまりぴんと来なかったけど、その後に、エゴイズムの話になって、いい線言っていると思った。わたしの行ったのは、エゴイズムである。それから、ギャラリーの近くにあるパブで知り合った男性が「あんた、皆殺しってこと考えながらしていたでしょう?」と聞いた。えらい!! 「そうよ、ゆっくりゆっくりじらしながら、殺すのよ」と返事する私。一般客の柔軟な頭に乾杯。暗い情熱で、何が悪いって感じ。しばらくは、そんな感じで行こうかと思っている。