今年前半を振り返ってみて。
人と関わることについて、改めて考えています。
できるだけ、チャンスがあれば関わった方がいいに違いありません。しかし、エモーショナルな部分に振り回されないことが、私には大事かな。
しかも、そこそこ、というのが、大事。ついサービス過剰になってしまう。過剰になるとこっちはサービスのつもりでも、相手には、そうは映ってないでしょう。
明日から23日まで、かなだ、バンクーバーに行ってきます。
最初の2日は、しっかり町を歩いて、人の話を聞いて、そこでできることを見定めたいと思います。
以下のは2007年のジョグジャカルタでのもの。ある村で、エレガントなアクションを見せて欲しいと言って、やってもらっている。これらをプレゼンして、協力者を求める予定。
12.9.11
世界のへそ、バンクーバーバージョン
2008年に、港町往来ワンダララプロジェクトのプレイベントというのをしました。そして、プレだけで、本展はしませんでした。場所は横浜。世界の港町、グラスゴー、マルセイユ、香港、ボストンという4つの町からアーティストを呼んで、近代から現代の、各港の人間の生活、経済、文化のの推移をテーマとした展覧会にしたかったのです。しかし、アーティスト(プレなので、国内作家だけ)は参加してくれたけど、アーティストだけでなく、関わった人たちのほとんど誰もが、理解できないアイデアだとのたもうた、もうほんまに、ノイローゼになりそうな、企画でした。
今でも、どこが間違っているかさっぱりわかりません(笑)。でも、それは「企画」ではなくて、「作品」でするべきなんだろうな、と思うことにしました。
今週の水曜日から、私の仕事をしにゆくバンクーバーも、そういえば、港町なのだと言うことを思い出しました。まだ、明治になったばかりの頃から、日本からの移民が何日も船にゆられて、たどり着いた町なのです。港には、移民、そして失踪、失業者はつきもの。
約1週間で、あまり長い滞在ではありませんが、そこで2つの作品を作って来ようと思っています。準備は2つしておいて、現地で新しいものを思いついたら、3つやってしまうか、持って行くアイデアのうち、1つはやめて、2つにするか。行ってみないと条件が判らないので、準備は大事かなと思っております。
用意するのは、「We are Elegant」という、インドネシア、クロアチア、イスラエルでやってきたインタビュウ型パフォーマンス作品。これはたぶん、日系移民の町で女性たちを巻き込んで、面白そうな場所を選んで行なうかもしれません。結構、人気のある作品なんですよ〜。
もうひとつ用意するのは「世界のへそ」。これは、横浜のドヤ街、寿町で2006年に行なったワークショップ型写真作品で、別のところでは、まだしたことがありません。しかも、別にあまり評価されていません(笑)。バンクーバーでの、やりたい町は「ダウンタウンイーストサイド」。先進国最悪のスラムと言われているそうです。失業者、ドラッグ、などなど。通行する方たちに、おへそを見せていただき、デコレーションして撮影します。お土産に石けんを差し上げます。
どちらも、私の姿はあまり見えない作品です。いわゆる人がイメージするパフォーマンスアート作品ではないですね。
久しぶりに「世界のへそ」の資料を出しました。このポスターのだささが、好きなんです。
今でも、どこが間違っているかさっぱりわかりません(笑)。でも、それは「企画」ではなくて、「作品」でするべきなんだろうな、と思うことにしました。
今週の水曜日から、私の仕事をしにゆくバンクーバーも、そういえば、港町なのだと言うことを思い出しました。まだ、明治になったばかりの頃から、日本からの移民が何日も船にゆられて、たどり着いた町なのです。港には、移民、そして失踪、失業者はつきもの。
約1週間で、あまり長い滞在ではありませんが、そこで2つの作品を作って来ようと思っています。準備は2つしておいて、現地で新しいものを思いついたら、3つやってしまうか、持って行くアイデアのうち、1つはやめて、2つにするか。行ってみないと条件が判らないので、準備は大事かなと思っております。
用意するのは、「We are Elegant」という、インドネシア、クロアチア、イスラエルでやってきたインタビュウ型パフォーマンス作品。これはたぶん、日系移民の町で女性たちを巻き込んで、面白そうな場所を選んで行なうかもしれません。結構、人気のある作品なんですよ〜。
もうひとつ用意するのは「世界のへそ」。これは、横浜のドヤ街、寿町で2006年に行なったワークショップ型写真作品で、別のところでは、まだしたことがありません。しかも、別にあまり評価されていません(笑)。バンクーバーでの、やりたい町は「ダウンタウンイーストサイド」。先進国最悪のスラムと言われているそうです。失業者、ドラッグ、などなど。通行する方たちに、おへそを見せていただき、デコレーションして撮影します。お土産に石けんを差し上げます。
どちらも、私の姿はあまり見えない作品です。いわゆる人がイメージするパフォーマンスアート作品ではないですね。
久しぶりに「世界のへそ」の資料を出しました。このポスターのだささが、好きなんです。
6.9.11
美術作家、そして、ほほえみの給食センター
美術作家という言葉を久しぶりに思い出しました。しかも、肯定的な意味で。
現在開催中の所沢ビエンナーレを見に行き、感じたことです。最近は、アーティストという言葉の方が聞かれることが多いし、私も使っていました。アーティスト、となると、アイデアやコンセプトを重視している感じがあり、美術作家というと、ものをつくる人たちという感じがします。ものをつくることで、思考している人たちだと思います。
所沢ビエンナーレは、前回は2年前くらいでしょうか? あまり、良かったとは思えなかったです、正直。80年代のモノが空気なしで、そのまま、運ばれてきた感じがありました。80年に活躍した美術作家たちが、集まって、企画したものだと聞いています。現代の流行物に危機感を感じ、抵抗して、創られた展覧会という感じでした。だけど、なんか、負けているように思いました。でも、今回は、いろいろと楽しめました。なぜでしょう?
その理由は、展示場所から来る条件の違いではないか、とふと思いました。作家の選び方が変わったから、というのは、もっぱらの理由らしいですが、作品の1つ1つと言うよりは、場所の違いにより、展示の方法も違ったのだと思います。
現在開催中の所沢ビエンナーレを見に行き、感じたことです。最近は、アーティストという言葉の方が聞かれることが多いし、私も使っていました。アーティスト、となると、アイデアやコンセプトを重視している感じがあり、美術作家というと、ものをつくる人たちという感じがします。ものをつくることで、思考している人たちだと思います。
所沢ビエンナーレは、前回は2年前くらいでしょうか? あまり、良かったとは思えなかったです、正直。80年代のモノが空気なしで、そのまま、運ばれてきた感じがありました。80年に活躍した美術作家たちが、集まって、企画したものだと聞いています。現代の流行物に危機感を感じ、抵抗して、創られた展覧会という感じでした。だけど、なんか、負けているように思いました。でも、今回は、いろいろと楽しめました。なぜでしょう?
その理由は、展示場所から来る条件の違いではないか、とふと思いました。作家の選び方が変わったから、というのは、もっぱらの理由らしいですが、作品の1つ1つと言うよりは、場所の違いにより、展示の方法も違ったのだと思います。
30.8.11
顔から火
今月は、話をする、という仕事が2つありました。
ひとつは、ヨコトリ2011を見て、気に入った作品について話すというもので、横浜の市民メディア「Take Art Easy!」の企画。録画されたものが、編集されて、そのうち、インターネット上に上ります。これは、まあ、わたし自身「しゃべる」のの素人ながら、ディレクターの高橋さんとさんざんお話をして準備をしたので、まあ、つまんなかったら申し訳ないですが、それほど、ご迷惑はかけてないのではないかと思います。だと、良いです。もしかして、私が思ったことを話した作品の作者が、「失敬だ」と思うことがあるかもしれません。でも、それはアーティストとして、ある程度は、覚悟しているでしょう。「Take Art Eazy! (Taez!)」の方の編集力でなんとかしてくれるでしょう。よろしくお願いします。これは、8月21日に収録されました。なかなか、訓練させられる経験でしたが、楽しかった。
もうひとつは、「5750分展」という、埼玉県の中高校の美術の先生たちの勉強会のようなところに、ゲスト参加しました。というこちらの方は、もしかしたら、大変、迷惑だったかもなあと、今、顔から火がでそうです。8月27日のこと。
今、中学校では、一週間に1時間しか、美術の時間がないそうです。それを3年間合わせると、5750分。それはおよそ4日間。なので、先生たちは、夏休みに4日間集まって、美術教育の研究をしています。その第3年目。その3日目のプログラム。
ひとつは、ヨコトリ2011を見て、気に入った作品について話すというもので、横浜の市民メディア「Take Art Easy!」の企画。録画されたものが、編集されて、そのうち、インターネット上に上ります。これは、まあ、わたし自身「しゃべる」のの素人ながら、ディレクターの高橋さんとさんざんお話をして準備をしたので、まあ、つまんなかったら申し訳ないですが、それほど、ご迷惑はかけてないのではないかと思います。だと、良いです。もしかして、私が思ったことを話した作品の作者が、「失敬だ」と思うことがあるかもしれません。でも、それはアーティストとして、ある程度は、覚悟しているでしょう。「Take Art Eazy! (Taez!)」の方の編集力でなんとかしてくれるでしょう。よろしくお願いします。これは、8月21日に収録されました。なかなか、訓練させられる経験でしたが、楽しかった。
もうひとつは、「5750分展」という、埼玉県の中高校の美術の先生たちの勉強会のようなところに、ゲスト参加しました。というこちらの方は、もしかしたら、大変、迷惑だったかもなあと、今、顔から火がでそうです。8月27日のこと。
今、中学校では、一週間に1時間しか、美術の時間がないそうです。それを3年間合わせると、5750分。それはおよそ4日間。なので、先生たちは、夏休みに4日間集まって、美術教育の研究をしています。その第3年目。その3日目のプログラム。
27.7.11
ワークショップさまざま
昨年から、なぜか、ワークショップの仕事が続いている。まとめてみた。リンクしてください。
→ http://sakikoyamaoka.com/workshopJ.html
「いっしょにやるアクションパフォーマンス」もワークショップに似ている。あまり大きな区別はないが、あるとすれば、そこに私が参加しているかどうかの違いだけだ。
やはり,作品として行なっているという感覚でいるのが、正しいように思う。
→ http://sakikoyamaoka.com/workshopJ.html
「いっしょにやるアクションパフォーマンス」もワークショップに似ている。あまり大きな区別はないが、あるとすれば、そこに私が参加しているかどうかの違いだけだ。
やはり,作品として行なっているという感覚でいるのが、正しいように思う。
仁川の新興小学校での「トリオの力」
上の3つは「ことの運び」。スペイン、ジローナにて
上のは、エルサレムでの「足のために避難」
上のふたつは、秋葉原で行なった「モバイルティーパーティ」
上のは、東京経済大学での「足のための避難」
25.7.11
エルサレムのWe are Elegant 2/2 パフォーマンス
We are Elegantという作品。
2007年にインドネシアで始めて行ないました。
詳しくは、この前の投稿を参考に。
→エルサレムのWe are Elegant ストリートインタビュー
エルサレムでの"We are Elegant" は、東エルサレムのムスララという町で行ないました。ムスララというのはパレスティナの言葉です。1967年以前は、完全にパレスティナの町だったのだと推察します。そして、その中でも「ムスララ」は、ユダヤ人の左翼活動家のグループ「ブラックパンサー」の根城となっていたエリアだそうで、大変イワク付きらしい。今は、見た目は美しい「閑静な住宅街」。欧風の家の立ち並ぶ町ですが、この撮影をしたところはそのはじっこあたりで、「その昔」の空気が残っているようです。4枚目の写真に石造りのビルが見えますが、ここは所有権が、ややこしい事になっていたものを、このたび、ようやく、めでたく(?)メディアアートのスクールが校舎として使うことになったそうです。
以下はパフォーマンス写真の一部。参加者は、エルサレムのアカデミーのパフォーマンスアートのクラスの女の子たち。通行人も若干参加しています。よく見てみてね。後半は、フェスティバルに出ていた露天のフードショップのキッチンの中です。みんな興奮しました。店のおじさんたちも楽しかったらしく、あとで、握手を求めてくれました。お店の人に喜ばれるって本当にうれしいですよ。
2007年にインドネシアで始めて行ないました。
詳しくは、この前の投稿を参考に。
→エルサレムのWe are Elegant ストリートインタビュー
エルサレムでの"We are Elegant" は、東エルサレムのムスララという町で行ないました。ムスララというのはパレスティナの言葉です。1967年以前は、完全にパレスティナの町だったのだと推察します。そして、その中でも「ムスララ」は、ユダヤ人の左翼活動家のグループ「ブラックパンサー」の根城となっていたエリアだそうで、大変イワク付きらしい。今は、見た目は美しい「閑静な住宅街」。欧風の家の立ち並ぶ町ですが、この撮影をしたところはそのはじっこあたりで、「その昔」の空気が残っているようです。4枚目の写真に石造りのビルが見えますが、ここは所有権が、ややこしい事になっていたものを、このたび、ようやく、めでたく(?)メディアアートのスクールが校舎として使うことになったそうです。
以下はパフォーマンス写真の一部。参加者は、エルサレムのアカデミーのパフォーマンスアートのクラスの女の子たち。通行人も若干参加しています。よく見てみてね。後半は、フェスティバルに出ていた露天のフードショップのキッチンの中です。みんな興奮しました。店のおじさんたちも楽しかったらしく、あとで、握手を求めてくれました。お店の人に喜ばれるって本当にうれしいですよ。
以下はおまけ。お店のおじさんたちと、後で写真におさまる。二人は、とても楽しんでくれた。イタリアマフィアみたいな二人はどうやら、双子らしい。
エルサレムの We are Elegant 1/2 ストリートインタビュー
もう一月以上経ってますが、アップしていなかったので、ご報告します。
たぶん、私の5月のエルサレムの滞在中に行なった3つのパフォーマンスのうち、これが一番楽しかった。
「We are Elegant」という作品は知っている方もおられると思いますが、2007年にインドネシアのジョグジャカルタの郊外の村で行なったのが、最初です。村を歩き、インタビューし、「あなたにとって、エレガントとはどんなポーズですか?」と聞いて回りました。そのインタビューのスケッチをもとに、6つのポーズを選び、パフォーマンスの日に、参加したい観客とともに、村の墓地で、そのアクションを行ない、写真におさまりました。
さて、
エルサレムです。東エルサレム。1967年以前は、パレスティナの人たちが住む場所でした。聖地をわけ合っている「オールドタウン」の一部や、町外れのでこぼこした所に行くと、パレスティナの人の家を見ることができますが、きれいに整備されたビルや家のある中心街は、明らかにユダヤ人の町です。(たぶん)
”We Are Elegant. Jerusalem 2011"ストリートインタビューの映像から静止画像を紹介します。作品としては、映像の方になる予定です。
日本に、舞踏留学していたザッハというかわいい女性にインタビューのアシスタントを頼みました。以下、ビデオで撮ったものから、スティルイメージを取り出したものです。
質問の仕方が始めは、あまりうまくいかず、拒否されたりしましたが、慣れたら、どんどんポーズを見せてくれました。空色のスカーフを着ているのがザッハです。
次の投稿で、パフォーマンスの方をご紹介します。
たぶん、私の5月のエルサレムの滞在中に行なった3つのパフォーマンスのうち、これが一番楽しかった。
「We are Elegant」という作品は知っている方もおられると思いますが、2007年にインドネシアのジョグジャカルタの郊外の村で行なったのが、最初です。村を歩き、インタビューし、「あなたにとって、エレガントとはどんなポーズですか?」と聞いて回りました。そのインタビューのスケッチをもとに、6つのポーズを選び、パフォーマンスの日に、参加したい観客とともに、村の墓地で、そのアクションを行ない、写真におさまりました。
<参考>
We are Elegant, Jogjakarta 2007 Youtubeへのリンクは以下。
さて、
エルサレムです。東エルサレム。1967年以前は、パレスティナの人たちが住む場所でした。聖地をわけ合っている「オールドタウン」の一部や、町外れのでこぼこした所に行くと、パレスティナの人の家を見ることができますが、きれいに整備されたビルや家のある中心街は、明らかにユダヤ人の町です。(たぶん)
”We Are Elegant. Jerusalem 2011"ストリートインタビューの映像から静止画像を紹介します。作品としては、映像の方になる予定です。
日本に、舞踏留学していたザッハというかわいい女性にインタビューのアシスタントを頼みました。以下、ビデオで撮ったものから、スティルイメージを取り出したものです。
質問の仕方が始めは、あまりうまくいかず、拒否されたりしましたが、慣れたら、どんどんポーズを見せてくれました。空色のスカーフを着ているのがザッハです。
次の投稿で、パフォーマンスの方をご紹介します。
20.7.11
北武蔵野を考える その1
所沢に住んでいる友人が、急に私の住んでいる川越市にやってきて、「この辺いいわよね〜。所沢も案外いいのよ〜」。地元を見直そうというわけ。私もそれに賛成することにした。
それで少し今の感覚を確認しておきたい。
世間の「地域社会」ムーブメントとしては、かなり、遅い出だしだ。しかし、それには理由がある。彼女も私も、地元の人間ではなくて、両親の都合で、引っ越して来て、そのまま、というタイプ。地元で、学校に行ってないし、知り合いが全くいないのだ。転勤族の第2世代の苦悩って、判る?だが、ふと考えると、たぶん、今後もここで暮らすという可能性が大になってきた、ということ。
地元志向という動きは、世間では盛んであるけど、ぎくしゃくもしている。横浜寿町にでかけると、ヘルパーさんに「あんた、地元にもあるでしょう?」と言われ、「しょば」荒らしだと誤解されたことがあった。小金井でも「地元はどうですか?」って聞かれた。もっと以前には、川口で「よそ者は、やりたいことだけやって帰って行けるからいいよね」と言われた。「地域振興」には、丸いものが必要なので、別の意味で、今度は「守り」に入ったりしているかもしれない。どこも居心地が悪いというのが、私の正直な気分だ。行政主導の「地域おこし」も、マフィアなネットワークに見える(すみません。誤解だったら、許してね)。
さて。
川越は、かなり特徴的な場所である。
なんと言っても、地元のデパート「まるひろ」がある。人が想像するような、廃れたデパートではなく、今も、他の商店よりも「高級感のある」ものを売っている場所であり、それなりに、最先端を目指していると思う。「まるひろ」は、この地域の主要な場所の地主でもあるらしく、駅ビルや、ユニクロ・紀伊国屋書店・ソフマップの入っているビルのオーナーである。
川越は、商人の町だ。大抵の他の「武蔵野エリア」では、農家の地主のパワーがなんと言っても強いのと比べると、川越は、異色である。城下町でもあり、門前町でもある。つまり、観光地である。
しかし、「近代的な意味での文化」の町とは、言いにくい。
近代的文化の町の条件は、たぶん、「本屋」と「カフェ」だと思う。いい古本屋がある町には、かならず、いい「本読み」がいる。安易な図式かもしれないが、古本まで探して本を読む人々というのは「近代的」に言って文化的生活を送っている人々、を意味するだろう。以前、一人暮らししていた市川にはいい古本屋があったし、最近よく出かける用のある小金井にもあるよね。市川には「蛍明舎」というコーヒーがおいしくて、そして「静かに読書ができる」喫茶店がある。小金井には「フロンティア」がある。
川越は、東京の通勤圏としては、少々遠かった。市川は、浅草や銀座にすぐに出られる町であるが、川越から出るのは、池袋である。池袋西武が、「文化」を発信しだしたのは、80年代になってから。我が家族も、その頃、やってきた。その後の「文化」といえば、ご存知のように「泡」しかなかった。「西武」は、沿線に文化は創らなかったんだね。
川越の場合は、古本屋は「ブックオフ」、喫茶店は「スターバックス」が3つ、ドトールがたぶん「3つ」。店はたくさんあるけれど、たいてい、大資本によるチェーン店だ。観光地である「大正ロマン通り」には、喫茶店があるけれど、プチ観光のおばちゃんたちが、きゃあきゃあうるさい。地元の本屋はバブル期〜バブル以後につぶれてしまった。今は、紀伊国屋書店とビブロ。そういう町だぜ。観光エリアに喫茶店増えてきたけど、どうなんだろう。
一方、川越祭りは、間違いなく、すばらしい。近年、ますます、磨きがかかってきた。誇ってよい。これがあれば、この町には、アートはいらないと思う。福祉なら、別の方法があるじゃんと思う。埼玉の他の町でやっているような「アート」がこの町にやってくるのは、あんまり、歓迎しない。あの祭りのある町として、相応しい「センス」のものではなければ、先人に恥ずかしいと思う。
今、私がこの辺で惹かれているのは、小川と草と樹木とほこらと小さな古墳群。北西に行けば行くほど、あやしいところがたくさんある。一人で延々散歩をしていて、飽きない。江戸時代以前からある、人間の暮らしや、想像力の痕跡。
アートが「クリスチャン」の影たっぷりな文化である以上、この「感覚」は、「カウンターカルチャー」の立場に違いない。しかも、「繁栄」とは違ったものだ。だが、これは、大事にしたい。今のムーブメントである「アートで町おこしを」というのは、こういうことを、潰しかねない気がする。「きたなくて、暗くて、怖い」とか言われそう。
安っぽい「おされ」なものや、子供っぽい「しつらえ」のものは、どうもしっくりしないんだ。だからって「レキ女」もどうかと思う。
高齢化の町である。「若いエネルギーを」と言うのは、高齢化している人たちを、疎外するだけの話。
アートと土地愛は、どちらも、誇りに、大いに関係がある。
サイトスペシフィックな表現を、主なテーマにしている私としては、安易に「面白そう〜」なんて関わりはできない。
それで少し今の感覚を確認しておきたい。
世間の「地域社会」ムーブメントとしては、かなり、遅い出だしだ。しかし、それには理由がある。彼女も私も、地元の人間ではなくて、両親の都合で、引っ越して来て、そのまま、というタイプ。地元で、学校に行ってないし、知り合いが全くいないのだ。転勤族の第2世代の苦悩って、判る?だが、ふと考えると、たぶん、今後もここで暮らすという可能性が大になってきた、ということ。
地元志向という動きは、世間では盛んであるけど、ぎくしゃくもしている。横浜寿町にでかけると、ヘルパーさんに「あんた、地元にもあるでしょう?」と言われ、「しょば」荒らしだと誤解されたことがあった。小金井でも「地元はどうですか?」って聞かれた。もっと以前には、川口で「よそ者は、やりたいことだけやって帰って行けるからいいよね」と言われた。「地域振興」には、丸いものが必要なので、別の意味で、今度は「守り」に入ったりしているかもしれない。どこも居心地が悪いというのが、私の正直な気分だ。行政主導の「地域おこし」も、マフィアなネットワークに見える(すみません。誤解だったら、許してね)。
さて。
川越は、かなり特徴的な場所である。
なんと言っても、地元のデパート「まるひろ」がある。人が想像するような、廃れたデパートではなく、今も、他の商店よりも「高級感のある」ものを売っている場所であり、それなりに、最先端を目指していると思う。「まるひろ」は、この地域の主要な場所の地主でもあるらしく、駅ビルや、ユニクロ・紀伊国屋書店・ソフマップの入っているビルのオーナーである。
川越は、商人の町だ。大抵の他の「武蔵野エリア」では、農家の地主のパワーがなんと言っても強いのと比べると、川越は、異色である。城下町でもあり、門前町でもある。つまり、観光地である。
しかし、「近代的な意味での文化」の町とは、言いにくい。
近代的文化の町の条件は、たぶん、「本屋」と「カフェ」だと思う。いい古本屋がある町には、かならず、いい「本読み」がいる。安易な図式かもしれないが、古本まで探して本を読む人々というのは「近代的」に言って文化的生活を送っている人々、を意味するだろう。以前、一人暮らししていた市川にはいい古本屋があったし、最近よく出かける用のある小金井にもあるよね。市川には「蛍明舎」というコーヒーがおいしくて、そして「静かに読書ができる」喫茶店がある。小金井には「フロンティア」がある。
川越は、東京の通勤圏としては、少々遠かった。市川は、浅草や銀座にすぐに出られる町であるが、川越から出るのは、池袋である。池袋西武が、「文化」を発信しだしたのは、80年代になってから。我が家族も、その頃、やってきた。その後の「文化」といえば、ご存知のように「泡」しかなかった。「西武」は、沿線に文化は創らなかったんだね。
川越の場合は、古本屋は「ブックオフ」、喫茶店は「スターバックス」が3つ、ドトールがたぶん「3つ」。店はたくさんあるけれど、たいてい、大資本によるチェーン店だ。観光地である「大正ロマン通り」には、喫茶店があるけれど、プチ観光のおばちゃんたちが、きゃあきゃあうるさい。地元の本屋はバブル期〜バブル以後につぶれてしまった。今は、紀伊国屋書店とビブロ。そういう町だぜ。観光エリアに喫茶店増えてきたけど、どうなんだろう。
一方、川越祭りは、間違いなく、すばらしい。近年、ますます、磨きがかかってきた。誇ってよい。これがあれば、この町には、アートはいらないと思う。福祉なら、別の方法があるじゃんと思う。埼玉の他の町でやっているような「アート」がこの町にやってくるのは、あんまり、歓迎しない。あの祭りのある町として、相応しい「センス」のものではなければ、先人に恥ずかしいと思う。
今、私がこの辺で惹かれているのは、小川と草と樹木とほこらと小さな古墳群。北西に行けば行くほど、あやしいところがたくさんある。一人で延々散歩をしていて、飽きない。江戸時代以前からある、人間の暮らしや、想像力の痕跡。
アートが「クリスチャン」の影たっぷりな文化である以上、この「感覚」は、「カウンターカルチャー」の立場に違いない。しかも、「繁栄」とは違ったものだ。だが、これは、大事にしたい。今のムーブメントである「アートで町おこしを」というのは、こういうことを、潰しかねない気がする。「きたなくて、暗くて、怖い」とか言われそう。
安っぽい「おされ」なものや、子供っぽい「しつらえ」のものは、どうもしっくりしないんだ。だからって「レキ女」もどうかと思う。
高齢化の町である。「若いエネルギーを」と言うのは、高齢化している人たちを、疎外するだけの話。
アートと土地愛は、どちらも、誇りに、大いに関係がある。
サイトスペシフィックな表現を、主なテーマにしている私としては、安易に「面白そう〜」なんて関わりはできない。
18.7.11
ホームページ改修中
ホームページ改修中です。
日本語インデックスページ。ワークショップ「足の為の避難」の写真が加わった。
http://sakikoyamaoka.com/indexJ.html
英語インデックスページ。こちらは大幅に改修。
http://sakikoyamaoka.com/indexEn.html
以下は、スペインでのワークショップの写真。
ワークショップと「いっしょにやるアクションパフォーマンス」との境界線は、かなり、薄い。私がやるか、やらないか、というのは、大きいようで、大きくないみたい。
日本語インデックスページ。ワークショップ「足の為の避難」の写真が加わった。
http://sakikoyamaoka.com/indexJ.html
英語インデックスページ。こちらは大幅に改修。
http://sakikoyamaoka.com/indexEn.html
以下は、スペインでのワークショップの写真。
ワークショップと「いっしょにやるアクションパフォーマンス」との境界線は、かなり、薄い。私がやるか、やらないか、というのは、大きいようで、大きくないみたい。
14.7.11
Instant God Service
大手町駅から歩く。陽はとても強いけど、風がふくので、気持ちいい。しかも、広々とした場所が、大好きな私は気分がいい。大手町駅から案外遠い。集合場所の桔梗門のところに10分遅れで着く。
遅刻したので、係の人に、小走りでマンツーマンにガイドしてもらいながら、ツアーグループに追いついた。このマンツーマンガイドが割とうれしかった。
でも、見学はあっという間に終わってしまった。1時間くらい?意外な短さ。
その後、一人で、江戸城跡を歩いて、北の門に向かう。本丸は完全な更地だ。篤姫のことを考えてみた。炎天下なので、ほとんど人が歩いてない。ひとりっていいな。妄想するのには、ちょうどいい。
北の門を出るとすぐそこにある、国立近代美術館で、クレー展を見てきたお客さんを眺める。彼らの頭の中にはクレーの印象が残っているんだろうな。これから、見ようとしている人たちとの表情を比べてみる。わからないけど、クレー展から出て来た人たちは、クレーグッズに群がっている。女性がなんたって多い。背後の気配には、あまりに無防備だ。これが、文化か〜と、眺めてみた。欲望に燃えているときこそ、背後を思ってみようぜ。別に私はスリではないけれど。
そういう自分も、売店で少し本を買ってしまう。
毎日新聞社のビルでランチ。サンマルクカフェとスタバとマクドナルドが並んでいた。サンマルクカフェで、サンドイッチとカレーパンを食す。
それから、大手町の方へ歩き、銀行本社街のビルを楽しみながら、銀行絡みの新しいシリーズ作品を考える。ATMに寝るプロジェクトはもうフィニッシュなので、もう少し、陽気なアクションをしたい。
もう一度、桔梗門に戻る。それから、正門へ行く。観光客がたくさんだ。
「インスタント***サービス(Instant God Service)」という作品を考えている。条件とか、段取りとか、日程とか。8月末までにやる。
単なるお笑いにしたくない。
誰のことも侮辱したくない。
そして、「ビジュアルイメージ」そのものが、なんと言っても大事だ。
人々が、「してしまうこと」に関心がある。
なぜ、日本人は天皇を神格化するに至ったか。そして、どうしてたった一度のお正月の詔で、あっというまに、「彼」に「神様」やめられてしまったのか。
経緯については、いろいろと調べた。
皇居前の、広々とした場所は、エルサレムの「嘆きの壁」のある広場を連想する。このような「聖なる場所」こそが、軍隊や警察が儀式をする場所だ。
エルサレムで私は、天皇の「人間宣言」の話を、カトリックである親友のチェコ人のマルティン・ツェットに話した。彼はとってもびっくりしていた。そして、笑った。「日本人って変わり身が早いね。」と。そして、テルアビブでは、ユダヤ教徒のプレムシャイに話してみた。彼は、ちょっと軽蔑したように、眉をしかめ「いったい、誰が彼を神と決めたのですか?、なぜ、彼自身が神ではない、と自分で言うことができるんですか?」と言った。
一神教の人々にとって、日本の天皇のことは、たぶん「あきれる」ことなのだと思う。
もちろん、日本ではそれを、悪ふざけでやったわけではない。
調べたところ、神格化されるに至った過程は、複雑だった。明治政府で、どのようにそれを、「採用」したのか、そして昭和の戦時に、その意味がどれほど、拡大単純化したのか、その辺は難しい。
そして、あっけなく、それは本人によって、否定される「形式」を取らされた。
わかっているのは。。。。
世界の「大航海時代」の始まった16世紀頃にさかのぼる。
人々が移動する、欲望が移動する、支配欲、カトリックとともにやってきた商人、そして、占領、植民地化。近代ナショナリズムは、一神教とともにやってくる。
そして、「日本」というまとまり=アイデンティティが求められ始めた(日本という言葉はまだなかった)。「それ」が入り込む隙を与えないために。江戸時代の国学者たちは、キリスト教も研究していた。彼等にやられないためにはどうしたらいいのか。聖なる「まんなか」を作り出すために、頭をひねってひねって、ひねり出した。それでも江戸時代は、それは「学問」「哲学」でしかなかったと思う。そして、明治政府の誰が、政治として「西洋列強に肩を並べるためには、日本オリジナルの選民的一神教を持たなくては」と思い、動いたのだろうか?
カトリックは「世界宗教」を目指したが、ユダヤ教は「ユダヤ民族に限る」。日本人は、それを意識したのだろうか?
チェコのカレル・チャペックの書いた小説『山椒魚戦争』に出てくる「山椒魚」は日本人だという説がある。
私は、それを「批判」ではなくて、「それはなんなんだろうか」ということを、カトリックのシスターの立場に成り代わり、考えてみたいのだ。自分たちには、必要不可欠と思い詰めたことが、他人によって、笑われる。軽蔑される。そして、そこで、カトリックこそが「批判」されるべきなのだ。
スタイルは、ユダヤ教の路上で行っていた「奉仕」活動をまねてみる。

























