代々木公園を歩く人々 |
ここのところ、日本滞在中のアーティスト、チ・トウさんの日本脱出逃亡企画展覧会(勿論、冗談)の計画にいそしんでいて、ちょっと手が離れると(ひとりで準備しているのではないので)あれあれ、自分は何者だったっけと思い出せなくなってみる。
ええと。
それで、自分のホームページを見て、ああそうでした、と思い出しました。
ちょっと自分を離れて、他人の作品に没頭してみるのは、いいことなのか、無駄なことなのか(笑)、よくわかりませんが、そうは悪くないと思う。きのう、彼と話していて、ああ、世代なのかと思ったのは、彼等はまず、自分をむしろ進んで商品化して、キャラクターを定めることがアーティスト活動のあり方だと考えているようだ。日本のお兄さんたちもそうだね。でも、自分はどういう者かということが、20歳代でわかっちゃうんだろうか?
う〜ん、わたしには無理だ。
私のホームページで、コンセプトを読んでいると、「extra sense」というのがある。なるほどな、という感じがしないでもないけれど、このごろのフィーリイング(甘っちょろい言葉だ)で言うと、ぴんと来ない。こんな余ったセンスやら、オルタナティブなセンスやら、ではないな、実のところ、ど真ん中、一番目のセンスだと考えている(こっちの方がずっとタフじゃん)。たぶん、あれを書いたころは、世間様に随分エンリョをしていたんではないだろうか。2006年?ふ〜〜ん、なるほど。複数のファンデエションから、助成金をもらっていたころだ。ふん。弱い人間だ。
今度、チ・トゥさんの日本脱出記念展(と言ってもいいかも。やつは早く帰りたいと言っておる)のタイトルは「疑問の状態」である。これは、キュレーターのエマさんのアイデアもある。一番当初の彼女のプランでは、私もアーティストとして参加する予定だったので、このお題には悩まされた。
私は、実のところ、アートに関しては「まずは全面肯定」派なのである。
そして、あれあれ、これはチ・トゥさんのためにあるタイトルではないか?と思い、彼の個展にすることをおすすめした。
彼は、ステイトメントに「鑑賞されたいと思わない。私のやってきたことへの皆様からの尋問、そして、私の目的そのものに問いを発してもらいたいと思っています。」と言っている。それで、ぐるぐる考えて、愛すべき「知・問う」君の作品やコンセプトについても、頭を45度Cくらいに傾けて、ぐらぐらさせて考えてみた。そうなれば、思いっきり、前向きに「疑いでいっぱいに」なってしまえる、私なので、その調子で準備しようとしていたところなんだか、身体の調子が悪くなってきた。軽い胃炎?お粥か、バナナしか食べられない日が3日くらい続いて、頭45度Cはやめました。まあ、一人くらい弁護士がいないと、彼が胃潰瘍で帰国できなくなると困る。
彼はもともと、面白い、楽しげなことを思いつくのが好きだというアーティストらしい。にもかかわらず、もし、「このネタ」のせいで、シリアスになってしまうのだとしたら、それもまた、本当かもしれない。自分で行き詰まってしまうような問題設定をするなんて、笑えると言ってもいいかもしれないが、しかも、ここのところで、悩まない人間なんてつまらない。
今は、私は全面的に彼の味方であり、彼が自ら否定している部分にも、肯定的に否定してあげようと考えている。そう考え直せば、なかなか、気持ちはよい。たとえ、観客の皆さんが、どれほど厳しく彼にダメだしをしようともそれがちゃんとした、会話の始まり、そして、創造的なアイデアのネタとなるように運びたい。う〜ん、確信はないが。
それで、そうそう。自分に戻らなくては。
あしたは、行田でパフォーマンスをします。
メキシコの蛇と、アメリカ生まれのねずみさんを使います。詩的なパフォーマンスです。