さて16日(月)のパフォ。良かったか悪かったよくわからないが、とりあえずやった。うれしかったのは、私が出したアイデアで、他の4人が何か共有、シンクロできるように様々なネタを用意してくれていたこと。突拍子もないのではと思ったのに、皆の心に、ぴんと来るものがないわけではないかった、というか、あったようだということだ。このことはすばらしい。アーティストどおしのセンスの協力はいいものだ。
だが、20分経つと、開場は勝手に暗転にされてしまう。レンタルシャワーみたいなシステム。ニパフだって、15分が持ち時間と言われていても、実際のパフォーマンスを、途中で切ることはない。その上、今回は、かなりたくさんの観客がいて、アーティストからも参加料をとっているので、たぶん、企画側は儲かっているということがわかった。わたしたちは、5人で割っているので、ひとり2400円ですんでいるけど、ひとりで踊った人は、なんとしてもチケットを売らないと、高い買い物になる、という寸法。わたしたちは、暗転のあと、ゴミを拾うのに忙しくて、観客に挨拶もできない。ゴミもほとんどは、わたしが作ったんだけど。パフォーマンスのあとゴミが少々残るのは、わたしの常識なのに、紙くずひとつでも、舞台監督が難色を示した意味がその時わかった。
おこっちゃいない。感心するのである。これは、パースペクティブエモーションの時間制限とは、意味が違う。結局、フライヤーは、手元に来なかったので、今日、記念に持って帰りました。
ところで、他のアーティストのパフォーマンスの仕方に面白いものを感じた。たとえば、なんか、じらすんだよね。すかして、じらす。面白いところは、是非、学ばせていただきます。
せっかくアイデアで共有できそうなので、次回は、時間制限のないところでやりましょうということになる。どこまで、共有できるか。
16.2.09
対立ばかりでなく
15.2.09
パープルハート
月曜日の神楽坂ディプラッツ「畳半畳」(開場19:00 入場料2000円)のために、ペンタゴンのホームページから、最近の「ヒーロー」を5人ほど選び、その受賞理由を翻訳した。彼らがいかに勇敢で、奉仕の精神に富み、かつ、普通の人でもあることが書かれている。けっこう笑ってしまうものもある。兵士をたたえるキャンペーンだ。専門用語らしき単語もあったので、ちょいと面倒だったが、超訳もあり。これを読む若者は、軍隊に入りたいと思うのだろうか?パープルハートと言う言葉を覚えた。名誉の負傷と言う意味らしい。写真はパープルハート勲章。LSDの名前でもある。
その5つのエピソードを他4人とのパフォーマーとの関係で効果的に使えるかどうか、それを考えるのが明日の仕事。単純な観客には「反戦思想」と思われたり「ウヨク」と思われたり、わけのわからないやつになりそうだ。だが、「そのまま、ずばり」がきらいなわたしとしては、どうしても、そうなる。
他の4人への迷惑にならないようにそれも配慮する。
なぜか、サエグサさんは、「ありがとう」を大きな声で歌うそうだ。どういう意味になってしまうのかしら。マキメさんが、世界各国の国歌のCDをかけたいと言ったことには、わたしなりに丁寧に、思いとどまってもらいたいとメールに書いた。そうすると前世紀的になってしまいそうだから。相良さんは、いつもどおり、とても優雅なんだろうか。直方平君が、決めてくれるのかな。
まあ、このようにポリティカルなものへの態度がまちまちで、おずおずしているものは、日本でしかやれないし、日本ならでものものかもしれない。
その五角形は、最後に6角形になる。六つ目の地点でわたしは何を行おうか? あくまで、美術。エンゲキでもダンスでもないことで何ができるか、がミソ。
谷中の時みたいに、呆然とするだけのお客に会うのかと思うと、悩んでしまうけど。
しかし、やはり、いきあたりばったりにイベントに参加していると、自分の方針が見えなくなるような気がする。短いエピソードを作るというのが、わたしの一つの技術だけど、やらなくてはならないと思っているのは、違う事のような気がするんだ。これは、日本の観客に慣れる経験といったらいいのだろうか。
10.2.09
web改修工事
私の作品や活動のホームページ
改修工事しました。
2008年の活動について、ちょっと詳しくしました。こちら
古いデータよさようならです。物好きな人は楽しんでくださっていたかもしれない「竜巻プロジェクト」「ガネーシャ商会」はwebからは消えました。
か〜。そういう季節です。人生の改修工事です。
何せ、前世紀末のホームページ作成のソフトなので、ばかなことに時間がかかります。その上OS9にしか使えないので、やはり、前世紀のPCで作業します。早く、GoLiveにしたい。
音楽のカセットテープのコレクションも、何回かに分けてゴミにしております。お部屋の物たちも重すぎて、新しいものが入りません。で、処分です。頭の中もそうできると良いのだが。
今月16日に畳半畳に出ます。また、詳しく書きますね。ダンスとパフォーマンスアートを同時間同場所で、ひとつの上演としてやるなんて、強引です。アート系パフォに欠かせない「コンセプト」「構図」を持ち込む予定です。
今日の画像は、昨年とても美人なお客さんが買って下さった作品。今は、練馬区のある新築のダイニングに飾ってあるはずです。
7.2.09
夢の私の町
たとえば、昨年訪れたトロントでは、オーガナイザーをしているアーティストたちは、少なくとも20年くらいはそのダウンタウンに住み、お互いずっと顔見知りで、たとえば10年前にこの店は彼女の画廊で、その地下に彼女は住んでいたんだよ、僕は向かいのビルの4階でボーイフレンドと暮らしていたんだ、とかなんとか。ボストンでも、みな20年から30年はその町に住み、ともに、アートの場所を作ってきた。地元の様々な分野の人たちと連携を持ちながら、独自のイベントをいろいろとやっている。
チェンマイやバンコクでもそうだった。うらやましい。ケルンもデュセルドルフも安い家賃で、アーティストにスペースを貸している。それは町にアーティストを呼び込むためだったそうだ。日本でもたまにそういうところがあるが、関係者のコネがないと入れないのが、現状。その上、2年くらいでやめてしまう。祭りをやりたいだけらしい。
わたしはわたしの町が欲しいと考えていた。アーティストと呼べる人たちが、わくわくと活動している町を、夢見ていた。むずかしいゆめばかり見てきたようだ。
もう、きっとわたしには、それは、みつからない。動かなくなった父の左手と同じだ。もしかしたら、声も失うかもしれない。寝たきりになるかもしれない。だからって、その代用を簡単にみつけようとも思わない。滅びたって、自分の感性を崩すようなことはできない。父は、あいうえおの印刷してある文字盤を、右手の指でなぞる方法で、ギャグをかましてくれる。残念ながらスピード感がないが、おそろしく鈍いのが、またとてつもなく、おかしい。
わたしも、ある意味、そういうふうに、生きることにしました。自分のやり方を通すということ。不具ならば、不具としての武器を使って。
2.2.09
人物が描かれた絵
最近、パフォの新作がないから、すてきな画像がアップできない。それで、ちょっと古い、パンツの子、の絵をアップしておきます。2006年に描いたものです。
今日は、絵を描くのに、妙に没頭したけど...........よくわからない。ものすごく、くだらない時間を過ごしただけかもしれない。ちょっと休んだ時に見たくなる絵は、春信か、あるいはインドの細密画。なんていうのか、絵が絵である理由と言うものがそこにある。というか、線がくっきりしている、変な格好をしている、ということで、参考にしているんですが。
春信の画集の解説を見ると、芸術の解説ではなくて、骨董的なのりなんだな。エロっぽいとか、どうとか。ふ〜ん、という感じ。芸術と骨董。実は大して変わらないんではないかと思う。言葉にしたときに、違うことを言っているだけのことではないかな。私は他に、クレメンテも大好きなんだけど、彼のことは「彼はありとあらゆる宗教に通じていて........」なんて解説されていて、すごく高尚かのように言われているけど、どうなんでしょう?ピロスマニはどう?
絵に描いてある人物を見て、人が感じることって、そりゃ、人によって違うだろうが、高尚でもあり、下世話でもあるのかと思っている。その両方に、またがりたいなと、図々しいことを思う。両方の要素を持つのではなくて、なんていうか、ななめにすっとばしたい。
今日は、絵を描くのに、妙に没頭したけど...........よくわからない。ものすごく、くだらない時間を過ごしただけかもしれない。ちょっと休んだ時に見たくなる絵は、春信か、あるいはインドの細密画。なんていうのか、絵が絵である理由と言うものがそこにある。というか、線がくっきりしている、変な格好をしている、ということで、参考にしているんですが。
春信の画集の解説を見ると、芸術の解説ではなくて、骨董的なのりなんだな。エロっぽいとか、どうとか。ふ〜ん、という感じ。芸術と骨董。実は大して変わらないんではないかと思う。言葉にしたときに、違うことを言っているだけのことではないかな。私は他に、クレメンテも大好きなんだけど、彼のことは「彼はありとあらゆる宗教に通じていて........」なんて解説されていて、すごく高尚かのように言われているけど、どうなんでしょう?ピロスマニはどう?
絵に描いてある人物を見て、人が感じることって、そりゃ、人によって違うだろうが、高尚でもあり、下世話でもあるのかと思っている。その両方に、またがりたいなと、図々しいことを思う。両方の要素を持つのではなくて、なんていうか、ななめにすっとばしたい。
28.1.09
驚く事柄に耐えるために
このところ、えっと驚く、絶句してしまうようなことが続いて、それらをどう理解するか、そしてそれらに潰れてしまわないように、人生には、何が必要なのかということを考えています。
そのひとつとして、世界は、有限なことだけではない、ということを、人間として知るために、芸術があるのではないかと思ったりします。どうでしょうか。
きのうは、オバマの就任式関係で見た写真で作ろうと思っていてコラージュを、やっと作る事ができました。そして、今日は、絵を描いています。
わたしにはそれが、わたしの仕事であり、本当は、すぐにお金になることを何か始めなくてはならないのだけど、他のとりあえずお金がもらえる仕事のすべては、むしろ、逃避のような気がするのです。
でもこれこそが、逃避なのかな。やはり、お金にすることを考えなくてはならないことも事実。
それから、料理ということを、とても毎日考えています。何かの命をもらって、私たちの命を生き生きさせるのだから、彼らを美しくいただくことは、大事なのだと思うのです。冷凍食品になった、鳥のつくねなどは、かわいそうで食べるのがいやです。せっかく食卓に載せるなら、楽しいプロセスの、美しく、愛のある盛りつけにしたい。そのことは、ずっと前から思っていたけど、今はもっと、思います。
人生は短く、芸術は長いと言ったものです。ですが、わたしの精進が、甘いので、人生より短い芸術を作っているのではないかと、日頃思い、とても辛くもあります。
写真は、ジョージ・ワシントン像の下のBest Place to Sleep
27.1.09
距離Distance
いろいろな距離のために。
左は大統領就任後のダンス。ワシントン、建築博物館。
右は、ちっぽけなアーティストの旅の記録。マサチューセッツ州議事堂の中で。
興奮は、居眠りあるいは昏睡の始まり。

左は大統領就任後のダンス。ワシントン、建築博物館。
右は、ちっぽけなアーティストの旅の記録。マサチューセッツ州議事堂の中で。
興奮は、居眠りあるいは昏睡の始まり。

この作品は、サークル/円であるという類似、ダンスと居眠りという対比のことだけでなく、オバマ氏のあの歴史を想起させる演説を意識すれば、この2枚の写真は、アメリカの政治の原点の中の重要な場とも言える、18世紀に建てられたまだローカルだった頃のアメリカのマサチューセッツの議事堂と、今のワシントンでのグローバル化した政治のシーンとの間の、時間の厚み(distance)を感じさせるイメージとなると思いました。また、多くの大統領や政治経済の中心にいる人たちは、ボストンつまりハーバード大学の出身なので、ボストンは、今のワシントンの政治の場の、背景とも言える場所なのではないかと思います。そういう様々な関係性を、思い描く為の、装置(作品)です。
もちろん、わたしという場所と大統領就任という場所の距離を考えるというのが、メインテーマでもあります。わたしは、案外近いんだと思うのです。
23.1.09
医療とアメリカ
身近の知り合いのmixiなどのブログを見ると、驚くくらい、大統領の就任式に関心がないらしい。関係ない? そうかもね。でも、なんだか、もやもやした感じがするんだ、それは何だろうかと、考える為に、私はいろいろを見ている。
ところで、私が書いた「医者につけるくすり」の件、友達に随分、心配されて、いろいろな人が、いろいろアドバイスをくれた。まさに、遠くの親戚より、近くの知人と言う感じ。ありがとうございます。
事情を知らない方へ。
病人なのは、わたしではなくて、父なのだ。父は、脳梗塞をわずらって、これまでに2回発作があったが、2回とも、すぐに救急車で運ばれて処置があり、全く麻痺もなく、回復しました。ところが、今度(12月中旬より入院中)は、大腸がんの手術中、あるいは手術後1〜2日以内に発作を起こし、「病院内」で手遅れになったのです。植物状態は逃れましたが、日ごと、力がなくなっていて、ベッドに寝たきりです。
今、家族はばたばたと、転院をしようと情報を集めているのだけど、どうやら当人は、医者への、義理立てにこだわって、動く気がないようです。「あいつの顔を立てる」とまで、言いました。院長は、父に「元通りの身体にしてあげる」と言ったその日に、私たちには、「寝たきりになる可能性が高い」と言いました。日々、力がなくなっているのを、座視しておれと言われている気がしました。
東京の近くとはいえ、埼玉県は、いかにも田舎で、インフォームドコンセントもセカンドオピニオンも、常識からはほど遠く、院長に説明を求めると、毎回、ごまかしの説明がなされます。聞くたびに、違う事を言います。追求すると、いやな顔をする。
わたしが納得できない院長を、信じると言う父。今は私は、それも、彼の人生かなと思うようになってきました。
わたしの友達は、皆、声を揃えて、「患者の主体性を」と言って励ましてくれるけど、父は誰かに預けてしまいたいらしいです。素人判断は、だめだと言う。本など読むなと言うのです。......それも彼の「主体性」のうちかな。
少し。父と話し合って、みます。どうしても、それでいいなら、わたしは、母の人生を守ることを優先しようかと思います。もちろん、わたしのもねっ。男どものメンツの尻拭いを、女がやる、なんてのを、目の前で見たくないからね。
なぜ、このことと、「アメリカ」をつないで、書いているか、ちゃんと理由があるんだよ。
20.1.09
医者につける薬
人の身体、命を扱う職業は、厳しい試練が必要だが、たいていは、科学者の中でも最も、アホの部類だろう。美容師くらいの謙虚さか、殺し屋くらいの罪の自覚が欲しい。緩慢な殺人者よ。
ああ、医者にかからずに、死にたい。
