昨日は、知り合いの、脳梗塞から生還したばかりの、あるギャラリーオーナーに誘われて、ある、大きな展覧会のオープニングに行った。
客観的に、アーティストという存在を眺めていて、思うのは、アーティストって、まじめな人たちだということ。一般に、アーティストって、変な人たちだと思われている節があるが、実際のところは、社会に迎合せず、人間らしさを維持した、ストレートな存在だと思う。ヤマっぽいことを言ったとしても、作品はこつこつ作るしかなく、そのリアクションは、ダイレクトに個人のハートに戻ってくるので、案外、現実的で、嘘が少ない。
変な人々というのは、そのアーティストのまわりにいて、本格的にヤマっぽいことを言っている人々の方。そう言ったら、その生還した知り合いは、「あ、それおれのことね」とうれしそうにしていました。アーティストで、その周辺をかねている人が少なからずいて、それの方が目立ったりするから、人は、「アーティストは変な人」と言うのかもしれない(ウォーホルなんかそうだ)。あるいは、社会のルールより自分のルールを優先しがちな、素朴でナイーブで、お子様チックなアーティストの行動を見て、「変な人」と言う場合もある。
どちらにせよ、変、というのは、実は、ある種の人間社会の真実をついている。バランスの悪い、真実というべきか。ヤマっていることが、ひとつの人間の真実っていうのかしら。欲望サイドについているというのかな。やっかいだが、無視するか批判するか愛するか、それはあなた次第なのよ。
要望としては、できるだけ、変な人は、自覚していて欲しいというのは、あります。変なことは、大事なことなのだから。くだらなくもあるし。
30.7.08
身体という牢獄、あるいは物物交換
ちょいと暗いタイトルになってしまったね。
フに落ちない。腑に落ちないという言葉も変だけど、つまり、そういう制限を、おもしろがりたいということなんだ。
まだ、暗く聞こえる?
一生懸命鍛えているアスリートを見るとご苦労さんって、言いたくなる。自分の身の限界に迫っている。
勝手に他人に思い入れる。愛、かよ。だらしない、考え。想像力。これもだらしない。そのだらしないのも、いいのでは、と思う。
写真は最近見かけた、樹。彼/彼女はどこにも行けない。それを面白いって思ってしまうのって、失敬なんだけど、想像力ってそういうものだ。
でもこれは事実なのだ。
10年くらい前に、バイトでお世話になっていた女性が、白血病にかかって、入院。手紙を書いたりして、景色のこととか、鳥のこととか、花のこととか、そう言う事しか、書けなかったからそれを書いたんだが、彼女は電話してくれてひとこと「でも、さきちゃん。わたしは、元気に生きられる身体とこれを代えて欲しいだけ」と言った。
だからって、絶望ではない。
だけど、わたしも2年くらい前から、ひたすら、体力が落ちて、今日の元気が、明日の保証にはならないような感じ。病気があったから、手術したけど、かえって、体力が落ちた。いろいろな体操をしてみて、今は、ボクシング。ちょっとブームらしい。精神との関係があると思って、面白げなことがよかろうと思った。でも、2週間に1度しか、レッスンがないから、毎日は、自主トレ。なわとびとシャドー(って言うのかな)をしている。4週間目になったけど、何か、変わったかな。
物物交換は、欲しいものと代えてもらうための相手を探すのが大変だ。だから何でもと、交換のできる貨幣ができたという話。でも、お金を払っても、知りたい情報は、なかなか見つからないね。売りたいものと、欲しいものが、一致することすら、本当はめったにないのだ。
「身体という牢獄」というのは、実は、また別の話。
他人の立場など、本当は、想像することはできない、という意味だね。また、その逆。
身体のことは、宗教にもなりがちだから、いやなんだ。希望なんかと混ぜたくない。イメージの遊び、それがせいぜいというものだ。80歳になっても筋肉トレーニングをするというのは、変態だと思う。心が受け止められる早さの老化がいいな。ないものねだりだな、それも。第一、病気で死ぬ時、痛みが伴うのは、なぜなんだと思う。殺すつもりなら、痛めなくたっていいではないか。
フに落ちない。腑に落ちないという言葉も変だけど、つまり、そういう制限を、おもしろがりたいということなんだ。
まだ、暗く聞こえる?
一生懸命鍛えているアスリートを見るとご苦労さんって、言いたくなる。自分の身の限界に迫っている。
勝手に他人に思い入れる。愛、かよ。だらしない、考え。想像力。これもだらしない。そのだらしないのも、いいのでは、と思う。
楽に行こうぜ。
写真は最近見かけた、樹。彼/彼女はどこにも行けない。それを面白いって思ってしまうのって、失敬なんだけど、想像力ってそういうものだ。
26.7.08
品川でサキコされたの巻
サキコされた=先越された
おとといだったか、キャノンに用があって、品川駅東口のビル群へ行きました。すんごいところです。人は黙々と歩いています。わたしに関係がありそうなのは、スタバとタリーズコーヒーくらいかな。タリーズでコーヒーを飲んで、熊沢書店で本を買いました。いつの間にかああいうところがあったのね。まあ、幕末太陽伝の舞台が、品川であることを考えると、因縁というべきか。
おとといだったか、キャノンに用があって、品川駅東口のビル群へ行きました。すんごいところです。人は黙々と歩いています。わたしに関係がありそうなのは、スタバとタリーズコーヒーくらいかな。タリーズでコーヒーを飲んで、熊沢書店で本を買いました。いつの間にかああいうところがあったのね。まあ、幕末太陽伝の舞台が、品川であることを考えると、因縁というべきか。
キャノンへ行く途中に、三菱重工本社ビルがありました。すっかりうれしくなって(!?)、ひとりで町を歩く時は、三脚を背負って出なくちゃね、と思って残念に思いました。ところが、この看板。


う〜ん、これほど、警戒しているとは。こういうものは、たとえば、キャノンのビルにはなかったです。三菱重工の本社ってまさに日本一の標的なのね。あたしは別に爆破しようと言うわけではないのだけどね。サキ読みされたと思ってしまいました。せめてものことを、と思って、ガラスの外から、結構長いこと中を覗いて立っていました。警備員が、じっとこっちを見るのは、退屈だからだと思います。あたしと、品川心中、してみる?
一方、キャノンでは、コンパニオンみたいなきれいなおねえさんに囲まれて、あれこれ、教えていただきましたが、なんかうすっぺらな情報でした。
見た目ばっかりの町だなあと思ってしまった。
以下は、あるところにあったある貼紙。なんかイカしたレイアウト。
22.7.08
「ニッポン無*任時代」と「幕*太陽伝」
この4〜5日、打ち合わせや人に会う用事で,毎日のようにでかけて、暑さも手伝って、ちょっとへとへと。
今日は、地元のスカラ座で、映画「ニッポン無責任時代」(1962)と「幕末太陽伝」(1957)を見ました。これは、文化庁と東京国立近代美術館フィルムセンターの主催で、全国の様々な公民館などで行われている優秀映画鑑賞推進事業、なんだそうです。わが町には、スカラ座がある。
どちらも楽しかった。特に幕末太陽伝の方は、かなりシュールで、気に入りました。「居残り左平次」「品川心中」などの落語がベースとなっているそうです。「ニッポン」の方は、無責任でありながらも、人情に厚かったりするけど、「幕末」の方は、なんのために彼がそれをしているのか、わからない。一応、チップをもらうためなんだけど...。全員、勝手な人ばかりで、笑いもブラックです。それから主演のフランキー堺の身のこなしの敏捷さにびっくり。ほとんど魅了されました。また、出演しているほとんどの俳優、女優が、もう引退している中、菅井きんだけが、この1957年の映画とまるで、かわらない感じで、今も活躍していることにも、驚きました。
夕方、あまりに体力がなくなっていたので、高い国産うなぎと安いゴーヤを買って帰り、夕食としました。お財布、空になる!!
あした、また打ち合わせにでかける。できれば、しばらく、自宅で、制作に励み、内向きのパワーを蓄えたいです。
写真は、5月にフランクフルトの駅前で撮った写真。ワインやビールを飲ませる屋台が並ぶ中、薫製のお魚を売るお店があり、こんな風に、お魚がぶら下がっていました。
今日は、地元のスカラ座で、映画「ニッポン無責任時代」(1962)と「幕末太陽伝」(1957)を見ました。これは、文化庁と東京国立近代美術館フィルムセンターの主催で、全国の様々な公民館などで行われている優秀映画鑑賞推進事業、なんだそうです。わが町には、スカラ座がある。
どちらも楽しかった。特に幕末太陽伝の方は、かなりシュールで、気に入りました。「居残り左平次」「品川心中」などの落語がベースとなっているそうです。「ニッポン」の方は、無責任でありながらも、人情に厚かったりするけど、「幕末」の方は、なんのために彼がそれをしているのか、わからない。一応、チップをもらうためなんだけど...。全員、勝手な人ばかりで、笑いもブラックです。それから主演のフランキー堺の身のこなしの敏捷さにびっくり。ほとんど魅了されました。また、出演しているほとんどの俳優、女優が、もう引退している中、菅井きんだけが、この1957年の映画とまるで、かわらない感じで、今も活躍していることにも、驚きました。
夕方、あまりに体力がなくなっていたので、高い国産うなぎと安いゴーヤを買って帰り、夕食としました。お財布、空になる!!
あした、また打ち合わせにでかける。できれば、しばらく、自宅で、制作に励み、内向きのパワーを蓄えたいです。
写真は、5月にフランクフルトの駅前で撮った写真。ワインやビールを飲ませる屋台が並ぶ中、薫製のお魚を売るお店があり、こんな風に、お魚がぶら下がっていました。
ト*ース・エレメ*ツとア*ト・スコー*
おととい見た2つの展覧会。
ト*ース・エレメ*ツ。オペラシティアートギャラリー。写真や映像の、日本とオーストラリアの若手作家たち。
個人的には、入り口すぐのところにあった志*理江子というアーティストの作品を気に入りました。はじめは、どうなっているのかわからなかったけど、いくつか見ているうちに、わかったし、その技法が表そうとしていることもわかったような気がします。ちょっとSF的だったりや霊の存在を示唆してみたり、本気なのかイメージだけなのかわからない微妙なあたりで作画しており、わたしは、想像力をかきたてられました。元の写真が古いものなのか、古そうにしているのか、わからないけど、わたしにはどちらでもいいのです。
他のアーティストの作品も楽しめたけど、あまりに美学や技巧を、誇っているようなものは、わたしはあまり好きになれませんでした。最後のところにあった、アレックス・*ィビスの作品は、ややもすると、ディズニーランド的な理解や利用をされてしまいそうに思いましたが、そっけなく作ってあるし、映像や写真の、本質に触れるテーマが、面白いと思います。ここに、どういうものだったか、書いてもいいけど、長くなるし、書いてもわからないかもしれないので、省きます。
ア*ト・スコー*2007/2008。原美術館。ドイツの車メーカーで あるダイムラーのファンデーションの交換プログラム。日本から2人、ドイツから2人。去年はドイツで滞在、展覧会。今年は、日本に滞在、展覧会、というプログラム。1970年生まれ前後の人たちだが、日本の作家の方が、経験や、それぞれの国のアートシーンでの地位が高いのではないかと思いました。ドイツはたくさんの、活動しているアーティストがいるから、チャンスがぐるぐる回るのではないかな。日本は、一握りのアーティストが、活躍という事情。
照*勇*さんの作品は、もう本当に、アイデアにも美しさにもユニーク性にも驚くばかり。繊細な作りで、これほど、スケールを感じることができるものかと感心するばかりです。見た目だけで終わらせないで、知的な操作とか、意外な取り合わせ(本物の蝶がガラスの中にいたり)をためしたりなど、どんどん発展させておられていいなあ。
加藤*さんも、まとめて数点見たのは初めてだったので、面白かったです。もうベテランという感じ。家族像ではない作品も作ってほしいと思うけど、たぶん、自分にまつわわることに感心のある人なんでしょうね。どちらの方も、原美術館の空間を、とってもうまく使っていてました。たぶん、キュレーターも優れているんでしょうが。
2階は2人のドイツのアーティスト。映像作品のエヴァは、面白かったけど、ビル・ヴィオ*の影響大なのが、気になりました。それでも面白くはありました。実は動いている、ということに気がつかないで、どんどん部屋からお客が出て行ってしまっていたのは、残念。もう一人の、アスカ*の作品は、ちょっと、わたしには、わからないです。ごめんなさいね。
原美術館のあの、お高いレストランに、人がいっぱいいて、小金持たちの3連休の中日を、ガラス窓ごしに、祝福いたしました。わたしは、品川駅前の、券売機も壊れている、陰気な立ち食いそば屋で、一服しました。
どちらもまだやっている展覧会なので、もし、これから行く人があれば、感想を聞かせてくださいね。
以下は、まったく関係ないですが、クラクフの町外れで見た、社会主義リアリズムな大げさなビル群の中にあった彫刻。ビル群や彫刻には、「力」「秩序」「科学」という言葉が浮かぶ、迫力があります。観光地に飽きて、ぶらぶら歩いていたら、見つけた町。面白かったです。面白さって、好きかどうかというのとちょっと違うようですね。

個人的には、入り口すぐのところにあった志*理江子というアーティストの作品を気に入りました。はじめは、どうなっているのかわからなかったけど、いくつか見ているうちに、わかったし、その技法が表そうとしていることもわかったような気がします。ちょっとSF的だったりや霊の存在を示唆してみたり、本気なのかイメージだけなのかわからない微妙なあたりで作画しており、わたしは、想像力をかきたてられました。元の写真が古いものなのか、古そうにしているのか、わからないけど、わたしにはどちらでもいいのです。
他のアーティストの作品も楽しめたけど、あまりに美学や技巧を、誇っているようなものは、わたしはあまり好きになれませんでした。最後のところにあった、アレックス・*ィビスの作品は、ややもすると、ディズニーランド的な理解や利用をされてしまいそうに思いましたが、そっけなく作ってあるし、映像や写真の、本質に触れるテーマが、面白いと思います。ここに、どういうものだったか、書いてもいいけど、長くなるし、書いてもわからないかもしれないので、省きます。
ア*ト・スコー*2007/2008。原美術館。ドイツの車メーカーで あるダイムラーのファンデーションの交換プログラム。日本から2人、ドイツから2人。去年はドイツで滞在、展覧会。今年は、日本に滞在、展覧会、というプログラム。1970年生まれ前後の人たちだが、日本の作家の方が、経験や、それぞれの国のアートシーンでの地位が高いのではないかと思いました。ドイツはたくさんの、活動しているアーティストがいるから、チャンスがぐるぐる回るのではないかな。日本は、一握りのアーティストが、活躍という事情。
照*勇*さんの作品は、もう本当に、アイデアにも美しさにもユニーク性にも驚くばかり。繊細な作りで、これほど、スケールを感じることができるものかと感心するばかりです。見た目だけで終わらせないで、知的な操作とか、意外な取り合わせ(本物の蝶がガラスの中にいたり)をためしたりなど、どんどん発展させておられていいなあ。
加藤*さんも、まとめて数点見たのは初めてだったので、面白かったです。もうベテランという感じ。家族像ではない作品も作ってほしいと思うけど、たぶん、自分にまつわわることに感心のある人なんでしょうね。どちらの方も、原美術館の空間を、とってもうまく使っていてました。たぶん、キュレーターも優れているんでしょうが。
2階は2人のドイツのアーティスト。映像作品のエヴァは、面白かったけど、ビル・ヴィオ*の影響大なのが、気になりました。それでも面白くはありました。実は動いている、ということに気がつかないで、どんどん部屋からお客が出て行ってしまっていたのは、残念。もう一人の、アスカ*の作品は、ちょっと、わたしには、わからないです。ごめんなさいね。
原美術館のあの、お高いレストランに、人がいっぱいいて、小金持たちの3連休の中日を、ガラス窓ごしに、祝福いたしました。わたしは、品川駅前の、券売機も壊れている、陰気な立ち食いそば屋で、一服しました。
どちらもまだやっている展覧会なので、もし、これから行く人があれば、感想を聞かせてくださいね。
以下は、まったく関係ないですが、クラクフの町外れで見た、社会主義リアリズムな大げさなビル群の中にあった彫刻。ビル群や彫刻には、「力」「秩序」「科学」という言葉が浮かぶ、迫力があります。観光地に飽きて、ぶらぶら歩いていたら、見つけた町。面白かったです。面白さって、好きかどうかというのとちょっと違うようですね。

21.7.08
ター*ー賞展
先週から、あちこちでかけて、いろいろなものを見てきた。
先週のことから。森美術館。「ターナ*賞展」最終日に滑り込み。前の日から、暗い話題のものに触れていて、世をはかなんでいた、わたしであったが、この展覧会で、救われた。楽しい。ウイットネスとユーモア。感情に対して距離を置く事。わたしが、なぜアートが好きか、思い出す事ができた。
タ*ナー賞については、おおよその知識しかなかったけど、説明パネルでよく知る事ができた。サッチャー政権下のイギリス。様々な公営事業が、つぎつぎと民営化され、また民間の起業が推進されていた1984年。これによって、富裕層が増えたが(だそうだ)、一方、芸術に対する国家の援助はカットされていたので、その富裕層を含むテートギャラリーのパトロンたちが芸術振興のために、「新しい美術のパトロン」という協会を設立したんだそうだ。それによって、生み出されたのが「ターナー賞」。不景気でできなかった1990年以外は、ずっと続いている。昨今は、イギリス人以外でも、賞をとれるようになった。..........そうです(知ったかぶりではなくて、メモって来た)。
有名な、デミア*・ハーストの作品「母と子、分断されて」は、ショッキングな面ばかり強調されているが、実際の生で見ると、非常に興味深い作品であった。生命の実体についての興味と、そういった物質が、決してそれではないと感じるはぐらかしが、逆に生命とは何かを伝えてくれる。博物館のオブジェとはやはりアプローチが全く違っていて、何より、大変、美しかった。
その横にあったデミアンの、カラフルなドットによる平面作品も、気に入った。完全に、偶然性によって、色配置されているらしい。劇的な人生なんて、ここでは関係ない。突き放した感じが、わたしには、たまらなく、心地いい。デミアンは、めちゃくちゃに頭とセンスがいいのだろう。
一番最近の受賞作品、マーク・ウオリ*ジャーは、本人が熊のぬいぐるみを着て、ベルリンのナショナルギャラリーの中をうろうろするところを、監視カメラのようにビデオで撮ったもの。どこか、すかすかした感じに作っておきながら、「監視」という最も現代的な問をテーマに、気づく人には、ぞっとする緊張感を与えているのは、やはり、秀逸な作品かな。ドイツの美術館って、ばかでかくて、いつも国威発揚って言葉を思い出してしまっていたので、ちょっとうなずける。最近の日本の美術館も、そうだ。なんじゃありゃ。
誰もが気がつく訳ではないということが、現代的だと思う。そこに、賭けることができるのが、やはり、アートなんだ。誰にでもわかることなんて、いやだという、スノッブがアートをやっている。(とわたしは思っている)
それにしても、理性が、ぴんと立っていることが、わたしに大事な救いであり、勇気をもらえると思う。
また、あらためて言うのもなんだけど、雑誌やネットの情報で見るのと、実際に目で見るの違いに、わたしは驚きました。
先週のことから。森美術館。「ターナ*賞展」最終日に滑り込み。前の日から、暗い話題のものに触れていて、世をはかなんでいた、わたしであったが、この展覧会で、救われた。楽しい。ウイットネスとユーモア。感情に対して距離を置く事。わたしが、なぜアートが好きか、思い出す事ができた。
タ*ナー賞については、おおよその知識しかなかったけど、説明パネルでよく知る事ができた。サッチャー政権下のイギリス。様々な公営事業が、つぎつぎと民営化され、また民間の起業が推進されていた1984年。これによって、富裕層が増えたが(だそうだ)、一方、芸術に対する国家の援助はカットされていたので、その富裕層を含むテートギャラリーのパトロンたちが芸術振興のために、「新しい美術のパトロン」という協会を設立したんだそうだ。それによって、生み出されたのが「ターナー賞」。不景気でできなかった1990年以外は、ずっと続いている。昨今は、イギリス人以外でも、賞をとれるようになった。..........そうです(知ったかぶりではなくて、メモって来た)。
有名な、デミア*・ハーストの作品「母と子、分断されて」は、ショッキングな面ばかり強調されているが、実際の生で見ると、非常に興味深い作品であった。生命の実体についての興味と、そういった物質が、決してそれではないと感じるはぐらかしが、逆に生命とは何かを伝えてくれる。博物館のオブジェとはやはりアプローチが全く違っていて、何より、大変、美しかった。
その横にあったデミアンの、カラフルなドットによる平面作品も、気に入った。完全に、偶然性によって、色配置されているらしい。劇的な人生なんて、ここでは関係ない。突き放した感じが、わたしには、たまらなく、心地いい。デミアンは、めちゃくちゃに頭とセンスがいいのだろう。
一番最近の受賞作品、マーク・ウオリ*ジャーは、本人が熊のぬいぐるみを着て、ベルリンのナショナルギャラリーの中をうろうろするところを、監視カメラのようにビデオで撮ったもの。どこか、すかすかした感じに作っておきながら、「監視」という最も現代的な問をテーマに、気づく人には、ぞっとする緊張感を与えているのは、やはり、秀逸な作品かな。ドイツの美術館って、ばかでかくて、いつも国威発揚って言葉を思い出してしまっていたので、ちょっとうなずける。最近の日本の美術館も、そうだ。なんじゃありゃ。
誰もが気がつく訳ではないということが、現代的だと思う。そこに、賭けることができるのが、やはり、アートなんだ。誰にでもわかることなんて、いやだという、スノッブがアートをやっている。(とわたしは思っている)
それにしても、理性が、ぴんと立っていることが、わたしに大事な救いであり、勇気をもらえると思う。
また、あらためて言うのもなんだけど、雑誌やネットの情報で見るのと、実際に目で見るの違いに、わたしは驚きました。
18.7.08
手紙を書こう!!
ある町を歩いていたら、15年くらい前に歩いた町を思い出した。三重県尾鷲市の坂道の町。坂を上ったところに布団屋さんのスズキのおじさんが住んでいた。思い出して、家に帰るとすぐに暑中見舞いを書いて投函した。それがおととい。そしたら、今日、電話がかかった。なぜ、この番号がわかったの?15年前は、わたしは、千葉に住んでいたのに。ミステリー。
でも、電話はつながった。うれしかった。15年前の気分になって、おしゃべりをした。タイムトンネルのひとときでした。
夏になると思い出す。みんなで行った尾鷲とその隣町の海山町。お魚がすごくおいしい。海山のプロジェクトと言ったっけ。
でも、電話はつながった。うれしかった。15年前の気分になって、おしゃべりをした。タイムトンネルのひとときでした。
夏になると思い出す。みんなで行った尾鷲とその隣町の海山町。お魚がすごくおいしい。海山のプロジェクトと言ったっけ。
友達ってものが、普通に存在していて、ただ、「旅行いこう!」と言えば、「うん」と言える気軽な関係。今は、相手の都合やら、興味やらを考えないと動けない。
でも、こういう記憶を持っているのは、うれしい。
そして、今回程、暑中見舞いの意味をかみしめたことはありません。
手紙を書こう!!
--------------------------
そして、今回程、暑中見舞いの意味をかみしめたことはありません。
手紙を書こう!!
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17.7.08
14.7.08
i-sakikoになる
i-sakiko
になってみる。
ものの名前の前に、一文字、小文字のiをつけるだけで、誰が見ても、どこの商品かわかり、品質保証をしているみたいな、アイデアって、ちょっとすごい。なるべく、ブログには、ネガティブな言葉を書かないように、気をつけ始めているので、「すごい」としか、言えない。
「えらい」とも言える。実際、誉めていもいるし、ジェラシーなのかもしれない。ものの名前の前に、一文字、小文字のiをつけるだけで、誰が見ても、どこの商品かわかり、品質保証をしているみたいな、アイデアって、ちょっとすごい。なるべく、ブログには、ネガティブな言葉を書かないように、気をつけ始めているので、「すごい」としか、言えない。
それで.........というのも、なんだけど、わたしの名前の前にもつけてみた。で、どうだっていうか、わからないけど、もし、この名前で、世間に流通したら、アップルコンピューターは、わたしを訴えるかしら。
写真は、額縁の中で、横たわり、光をあびる i-sakiko。
ちょっとキリストの気分。アップルは、原罪のシンボルでもある。
11.7.08
太陽の下の風
「わたしは生きている、植物も生きている、ゆえに、わたしは植物である。」
これは、境界人格障害の人のことを書いた書物で見つけた、あまりに芸術的な認識の「間違い」の例です。確か、木村敏さんの書かれた本です。(あまりに芸術的な、と形容したのは、木村先生だったと記憶しています。)
わたしは、その間違いを体験してみようと、天気のいい日中、4時間、2日間、植物になりきって、太陽を向いて、風になびきながら、
過ごしました。写真のふたつの椅子は、「あなたもなってみませんか」と人間に誘いかけています。学生さんが、随分、トライしてくれました。植木鉢の観用植物は、人間界になれすぎたわたしの仲間、話し相手として、置きました。風が強いと、倒れちゃうのですが、通行人がいつの間にか直してくれます。鉢の水は、時々飲みます。
この間、気がついたことは、太陽は、とても速いということです。はじめの1時間くらいは、ゆっくりだと感じましたが、植物になりきってくると、追いかけるのが、やっとです。そして、人や車の音はほとんど記憶になく、風の音の変化のことだけが、思い出されます。
はじめてのデュレーションパフォーマンスは、思いのほか、すてきに過ごせました。
見た目はどってことないですけどね。この経験を元にした、作品を室内のギャラリーで行いました。それはまた別の日に。


これは、境界人格障害の人のことを書いた書物で見つけた、あまりに芸術的な認識の「間違い」の例です。確か、木村敏さんの書かれた本です。(あまりに芸術的な、と形容したのは、木村先生だったと記憶しています。)
わたしは、その間違いを体験してみようと、天気のいい日中、4時間、2日間、植物になりきって、太陽を向いて、風になびきながら、
過ごしました。写真のふたつの椅子は、「あなたもなってみませんか」と人間に誘いかけています。学生さんが、随分、トライしてくれました。植木鉢の観用植物は、人間界になれすぎたわたしの仲間、話し相手として、置きました。風が強いと、倒れちゃうのですが、通行人がいつの間にか直してくれます。鉢の水は、時々飲みます。
この間、気がついたことは、太陽は、とても速いということです。はじめの1時間くらいは、ゆっくりだと感じましたが、植物になりきってくると、追いかけるのが、やっとです。そして、人や車の音はほとんど記憶になく、風の音の変化のことだけが、思い出されます。
はじめてのデュレーションパフォーマンスは、思いのほか、すてきに過ごせました。
見た目はどってことないですけどね。この経験を元にした、作品を室内のギャラリーで行いました。それはまた別の日に。




