25.12.13

「共同主義は自分自身からの逃避であり...個人主義は想像物にすぎない。」M.Buber

ブログを書き始めて、もう、6〜7年経つが3ヶ月も書かなかったのは初めてだ。
いろいろあった。ブラジルに行って、フィンランドに行った。状況のこともあり、それぞれで作った4つの作品は全部違う。その準備やら、なんやらで、ブログを書く余裕や、整理がなされていない。facebookの投稿で、少しずつ書いてはいたが、いきあたりばったり。変化しつつある、自分の方法について、自分自身整理すべきと思っている。少々、その変化が自分で不安でもある。でも、止まっていられない。
来年になっておいおい、それらの作品について報告しつつ、よく考えたい。
以下は、最近、facebookに投稿した文章。

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今月はバイトやら請負仕事やらをかけ持ってるし、悩みもあって、ほとんどの自分の作業がストップしている感じだ。その合間にいろいろな大事な人にも会っている。なんだか、乱世だ。正気を保つために、最近、とても心の糧にしている文章を書き写したい。睡眠時間よりも大切な言葉を。

「もし、個人という言葉が人間の一部を示すものであるとしたら、共同性とは人間の全体もしくは人間の集団を示すことになろう。個人性とは自分自身での方針決定ということにおいて、人間と関わるものだ。しかし、共同性は人間に関わるものでは全くなく、それは『社会』と関わるものなのだ。このどちらの生活上の要素も、同じ『人間性』の表現もしくは産物なのである。
 事体は広く社会的な問題となっているホームレスを始めとして、かつてない世界的な生活上の懸念や不安として顕在化している。孤立感からくる不安から逃れようとして、人は個人主義の賞賛というものへと逃げ込む。現代
の個人主義というものは想像の産物である。だから想像力というものが現実の状況に関わりのないものになってしまっている。
 現代の共同主義とは、自分自身に面と向かうことを避けたいがために、人類が打ち建てた最後の障壁ともいえる。共同主義では、個人的な裁量や責任といったものに対する権利は放棄されている。
 しかしいずれにしても、躍進的解決を図れる能力などがあるわけがない。真に人間的であってこそ、真の相互関係が成り立つと言うことだけなのである。相互関係を打ち立てるには、ひとりひとりが抵抗をしめすより他に選択すべき道はないのである。大いなる不満が、人類の真の歴史のすべての過程がそうであったように、ゆっくりと地平線の彼方から現れて来ている。
 人々は、以前は一般的でないことを好み、一般的と騒がれていることには反旗を翻したものが、今はそうではない。しかし共同性の獲得については、その誤った実現化には、正しい方向性を求めて闘うにちがいない。
 人々は事実の歪曲に対しては真実を求めて闘う。その第一歩は「個人主義か共同主義か」という誤った二者択一的選択を打ち破ることなのである。」


Martin Buber 「人類の課題」1948  (「都市と建築のパブリックスペース、ヘルツベルハーの建築講義録」1995 鹿島出版会より抜粋)













21.9.13

プチ日記 文学と記憶


プチ日記。

 この数日、ちょっとテンパって準備していたブラジル入国ビザの申請を終える。実は、予想よりずっと遅くビエンナーレからの飛行機のチケットが届いたこともあり、その後にビザを取ろうとしたら、手間および日程が結構かかることに気づき、結果、日程の変更を余儀なくされた。変更しても、なおも、ぎりぎりの日程なので、今日、滑り込まなくちゃ、やばかった。間に合った、安堵感。
 領事館は五反田にある。申請に来ている人の9割は、日本に滞在しているブラジル人のようだ。みんないろいろ勝手な要求を、係員にしているのを見るのは面白かった。

 ブラジル滞在は、結局、10月2日から14日までとなる。パフォーマンス、パブリック型のを2つする。参加型。それから、映像作品を1つ作って(それもコラボ型)、東京で作ったのとあわせてカフェで上映する。 
 
 それから、恵比寿に行って、写美で、米田知子さんの展覧会を見る。前々から疑問に思っていたことが、つのってきた。場所に、歴史上の記憶が住み込んでいるかどうかの問い。それは、新聞の日曜版のトップストーリーにあるカラー風景写真のドラマチックなキャプションを連想させる、ある意味、風景に対するベタな文学的トランスレーションではないかと。写真は文句なく美しい。情報を通した思い入れ。経験ではない。勿論、たぶん、個人の経験ではないところが味噌なんだと思う。歴史的記憶が写真に見えるかどうか。眺める。装置としては、面白いかもしない。風景には、物理的痕跡は、むしろないのだから、想像力を刺激するかもしれない。妄想は豊饒なものかもしれない。写真が素敵だから。でも、なんだか、ちょっと、何かに逆行している気がする。あえてか?映像の部屋から、流れているドラマティックな音楽も、なんだか、ステレオタイプな印象。
  あるいは、「風景に実際には何も宿ってはいない。けれど、人はそこに想像力を働かせる」ということをテーマとしているのかもしれない。かも。

 面白いけど、私は、何かステレオタイプに、閉じ込められた気持ちがする。私なら、むしろ、「みんなの視線」では、気づかないような別の世界観を引き出したいけどな。何か「開く」ということが、私には大事なことだと感じている。

 ある種の文学的解釈が、人々の心の健康をむしばむ気がする。「歴史」や「家族」についての説明はほとんど文学だ。もちろん「感動」もそこから来ると思う。でも、「感動」もどんなもんかしら、と私は思っている。心理学も文学だ。心理的問題に陥った人は、別の「物語」を作り出すことにより、当初の問題を解決する。
 だが、私は、物語の罠から出ることの方が、心身の健康にいい気がする。たとえば、ビジュアルアート的思考センス(直観、表層的、構造的)によって、認識を変えることができると思う。世間は、あまりに、文学的すぎる。(なかには、全然、そうではない人がいて、変人扱いされているだろう)

 それから、渋谷に行って、ワンダーサイト。ここには「文学」があまりないから(文学クセって、世代か? 年取ると、人生に意味を見いだそうとするから?)、私は、結構、居心地がいい。他、いろいろ思ったけど、感想はここでは省略。去年の私のプロジェクト、パブリックダブルのことをちょっと思い出したりした。一方、ここでは、若いアーティストの勝ち負けのゲームが見えてきたりする。それを感じると、少し、しんどくなる。がんばれ、さきこ。
それにしても、この建物の前って、小さなスクランブル交差点なのよね。

 歩き回って、疲労困憊して家に帰った。このごろ、ハイテンションな時と、電源切れはじめた後との差が激しくて、困る。それでも、帰ってジムに行って、トレーニングをした。
 夜は早く寝る。でも、ちょっと起きて、これを書いた。


祖父と姉(赤子)と母(身体半分)。私のパジャマの膝にのせて撮った写真。




 

5.9.13

人の腕は1人あたり2本しかない。



9月1日に、3つのスクランブル交差点で、パフォーマンスを行った。なんか、こう、このごろは一回一回やるごとに、初めてするかのような気がしている。

<町の空間>
 私自身が町、つまりパブリックスペースでのパフォーマンスを多くするようになった理由は、ちょっとした偶然だったかもしれないが、今は、必然的になってきた。今、まさにの、今的意味がある。町の空間を、カタカナで、パブリックスペースと呼ぶことが多くなって来た、そのこと自体に、それは顕われていると思う。昨今、特にこの数年、建築を作ること、都市計画することについて、活発な議論がなされている。それらの空間が象徴する、民主主義はどう解釈されてゆくのか、その再考が迫られている。

 対立構造は本当にあるのだろうか?
 それが私の第一の問いである。当然のようにある、と言ってしまうと思考スタイルがベタになる。そして、対立関係をわざわざ、見えないようにしようとする動きと、よりいっそう、見えるようにしようとする動きとある。後者は目立つので、すぐ、吊るし上げられるが、前者は静かに確実に進行しつつある。社会学、建築論が一体になって、この情報化社会で、いかに、市民の活動を掌握し、まとめ、経済効果を生みつつ、「幸せ」感が増すように(感じられる)社会にできるかと研究とそのデモンストレーションが、活発になされている。
もともと、民主主義とは、不備だらけで、恣意的な解釈のできる「主義」なんだと思う。それもあって、誤解もされている。「他より」まし、と言われている。
私たちは、そのディスカッションに参加するために(閉め出されないために)、知力、体力、感覚を磨く必要がある。アートはそのひとつのツールだと思う。私にとって、ではなくて、私の作品に関わった人が開かれた気持ちになるといいと思っている。

 私が、ATMで昼寝する、といったような、アウトサイダーでややプロテスト型に見える表現はやめて、いまだ挑発的ではあるが、「参加する」方向のアクションに変更したのは、そのことに気がついたからである。2009年ごろからだ。その必要性が感じられた。たぶん、プロテストできるのは、社会がある程度、自信を持っている場合までだと思う。基盤がぐにゃぐにゃになった。甘えてられないと思った。
 再考、する。

 私の強みとしては、屋外でのパフォーマンス表現に関して、他の人の追随を許さない感覚だ。1枚、はいだところに居ることができる。これまで、いろいろ、スゲエ人は見て来たけど、これについては、わたしほどの人はいない(ジャン!)。でも、それがどこなのか、判る人も少ないだろうな。見えないとわからないから。そこで、わたしは落ち着ける、そういう場所なんだ。自宅のベッドと同じ位、落ち着いている。

 町のありさまへの私の興味。変わりゆく町も、変わらない町も良い。それぞれ理由があるのが面白いと思う。どんな方向にせよ、ちょっと「あれ、この動き、なぜかな」「これイカしてる(へんな)空間になっているぞ」「入り込めるぞ」という所を発見するところから、始め、想像力の可能性を開く方向で行こうと思った。用意された空間を、人々がどのように利用しているか、私がどう利用できるか、このことをリサーチするところから、作品が生まれる。

<出会い、について>
 町とアクションという関係は、今、間違いなく、新しい。今年の私は、「出会い」という、言葉をキーにしている。平凡な概念だけど。映像に関心のあるこのごろなので、映画なども、その視点で意識的に見るようにしている。人が出会うシーンは、どこで、どのように、どんな目つきで、どんな角度で、とかね。いい映画かどうかは、あまり、関係ない。

 ある友人が、町でのパフォーマンスを、アングラだと言ったけれど、その意味では勿論、終わってる。確かに、かつては、そういう場所(社会)では、どのように「個人の立場」を守れるか、ということが、アートや文学の課題だった(だいたい60〜90年代半ばくらい?)。けれども、それから、町おこし(コミュニティという言葉が使われる以前)という動きが起きる。町の青年グループなどが企画して、その知り合いのアーティストが呼ばれたりした。外から、人を呼び(アーティストと観客)、町を賑やかにしたいということだったと思う。それから、コミュニティアートという動きが起きる。それらは一見似ているけど違う。そこでは、外の人を集めるのではなく、コミュニティの中での人的交流(つながりを回復する)が目的となった。それらは、なぜだか、公的サービスに近いものが多い。そして、それらは「地域サービス」のケーススタディになっていく。「サービス」のりなので、ちょっと「福祉」に似てくるかもしれない。サービスを受ける人々は、子供か、若者か、老人か、女性か、病気か、健康か、日本人か、外国人かの区別がされる。そんな気がする。市民を、どうアイデンティファイするかから、始まっている、ように見える。

 市民サービスによる、市民のアイデンティファイの方法は、ステレオタイプになりがちだ。そんな中での様々な「出会い」は、どれも同じ意味しか見いだせないように思う。勿論、各自ではいろいろな出会いをしているに違いない。しかし、それが「美談」的にしか、出て来ない(感じがする)。たとえば、コミュニティイベントの写真って、たいてい、たくさん人が写っていて、多くはニコニコしている。誰にでも、オープンで、そこでは、誰もが受け入れられていますよ、とアピールされているのだろう。しかし、何かが、その写真に消えている。消えているものはなにか?
たとえば「出会い」のエッセンスが、漂白されている。

人ともに生きるということが、誰にとっても大事になっている。政治との関わり方も、再考する時期に来ている。慣れない人、意見の違う人を避けていると、狭いコミュニティになってゆく。一人にもなるかもしれない。

 「あなただけよ」について。私は、そのニュアンスが大事な気がする。人とは、愛を糧にして生きる。博愛は、愛とは大分違う。たとえば、自殺しようとしている人に「あなたの人生は他の人と同じく価値があるんですよ。神は総ての人に機会を与えているんです」と言ったって、死ぬ気がなくならないだろう。そういうのをウソだと感じているから、死にたいのだもの。そうではなくて、躊躇なく、がばっとその人をつかみ、「ちょっと!あんた。死んでる場合じゃないよ。あなたこそが私に必要なのよ!」と言った方がいい。(ル・コントの映画「橋の上の娘」は、まさにそれだ。投身自殺をしようとしている娘のところに、ナイフ投げの的になる女を捜していたオトコが登場し、仕事にスカウトする。それでも川に飛び込んだ娘の後を追って、オトコは飛び込み、命がけで助ける。それで娘はその男と働いて生きることにする。それからの展開はどうだったっけ。)

それは友愛ではない。友情と愛は、つなげて言うと意味が、ぼやける。ここで言う、愛、とは、ビビットな一本の出会い、つかみ、関わり。腕をぎゅっとつかんで、ひっぱるもの。人の腕は、2本しかない。一本は出会うために、もう一本は? 支えるためかしら。たくさんの人をいっぺんにつかむことができない。その身体の限界と、「愛」は関係があると思う。

 出会いの質、人と人の個人の膜がぷちっと破れる場所。世界で一番、ロマンチックな瞬間かもしれない。それは瞬間だけに起こる。そして、それは、様々な質がある。赤いもの、黄色いもの。尖ったもの、柔らかいもの。ざらざらしかもの、つるつるしたもの。暖かいもの、クールなもの。四角かったり、丸かったり。はっとしたものだったか、じみじみっとしたものだったか。消えては現れるものだったり、続くものだったり。そういうニュアンスが、「みんな一緒に」の写真には、表現できない。測りようがなく、証明のしようのない感覚。そして、そういうニュアンスこそが、アートでできることだし、アートが表わしたいこと。そして、人間に必要なこと。

左はパフォーマーの永井可那子さん。右腕に絵を描くさいとうかこみさん。

<ターゲットされたハイタッチ>
今回、わたしたちがやったパフォーマンスは、交差点で、対角線にいる人を見て、わたしたちがこの人ぞ、と決めた(ターゲットした)「通行人」へ、一直線に足を進め、「ハイタッチ」(激励)をするというアクション。ハイタッチのための右腕は、ボディペイントの絵の具で、あらかじめ、素敵に花などが描かれている(イラストレーターのさいとうさんによる)。派手な入れ墨といった感じ。それらを「トライアングルチーム東京」という3人のパフォーマーで行なった。直方平さん、永井さん、そして私。
 ハイタッチ(英語ではハイファイブ)というアクションは一般に「激励」し合う時に行なうものだと思われる。でも、実際のところは、パフォーマンスでは、パフォーマーのその通行人への提案は「受け入れてもらうか、拒否されるか」の挑戦をしている、と言った方が正確かもしれない。それでも、進んで受ける人もいる。もしかしたら、ちょうど、面接試験の前の人がいて、「おっ、これは激励か?」と感じたかもしれないと思う。そういうことも起こりえる。
 見た人(参加した人)たちは「一瞬、個人の空間が破れて、別の個人(パフォーマー)とのコンタクトがある様子が、不思議で面白い」と言っていた。この視点がとても大事だと思った。
 もちろん、ここでの「あなただけよ」はシンボルでしかない。でも、ウソではない。

 地味な表現である。でも、私は次からは、一人でやって行ったらどうかと思っている。チームは楽しかったが、コンセプトにフォーカスするためには、一人がいいのかもしれない。まず、みつめる。そこの視線を感じてもらう。パブリックスペースで、それは、異物に違いない。
 できたら、気が収まるまで、続けてみようかと思う。この、「シンボルでしかない。でも、ウソではない」というのが、なぜなのか、考えたい。アートができることの限界と可能性も一緒に考える。

<観客について>
 見る人、について。観客という概念。私のパフォーマンスでは、しばしば、観客は巻き込まれる。「いっしょにやるアクションパフォーマンス」というシリーズもある。視るだけでなく、その行為を自らやってみることで、「目」で考える以上のことがわかってもらえると思っている。9月1日のパフォーマンスでも、案内に「参加もできます」と書いておいたら、「参加します」と言って、若いカップルがやってきた(赤ちゃんも)。腕にペイントをするだけでもよいですが、一緒に歩くこともできます、と説明したら、しばらくして、彼等も歩き始めた。

このごろのわたしは、誰かが1人何かをしていて、多くの人がそれを見つめるという光景よりも、複数の人が何かやっている光景が面白い。それが単に「だれでもが参加できる集まりです。」になっては、さっきの前段で述べたように、つまらなくなる。一種の「賛同できる」「共有できると感じる」メンバーであること。一時的でもいいから(一時的である方が面白い)、共同体であること。そして、その関わりに、個人差があって良い、そのような風景。
 
 知っている人は知っている話だが、90年代中頃にフランス人のキュレーター、ニコラス・ブリオーが「関係性の美学」という美術評論を書いた。そこには、観客の参加で作品が発展したり、完成したりするタイプの(90年代の段階での新しい)アートが紹介されている。紹介されたということは、その前から、その傾向が目立ち始めていたというわけだ。つまり、90年代以降、世界中で、観客とアーティストとの関係の変化のある作品が現われ始めた。それは、私が、パフォーマンスアートを始めた頃と、まったく一致している。確かに、その頃、見ていたパフォーマンスアートの作品に、しばしばそれは、見受けられた。というか、もともとはパフォーマンスアートのほとんどがそうであった。元祖、リレーショナル・アートなのだ。それが一端、薄らぎ(80年代に)、90年代になって、ジャンルを越えて、各方面で現われ始めたのだと、私は思う。

 目への刺激は、80年代ごろから、あふれかえるビジュアルイメージの時代が飽和状態となっていた。広告や映画の経験から、刺激の強い快楽、見た目だけの美意識の追求が進み、思考麻痺が始まっていた。その限界をこえるためは、体験が選ばれ始めていたのだと思う。

 それ以前から、つまり、20世紀以降、演劇や映画というのは、「大衆を教化する」メディアとして、政治的にも利用されていた。部屋に入れて、暗くして、目と耳だけを使わせ、いっぺんに様々な情報をドラマ仕立てで見せる。本などは読めない/読まない人々を思想化するのに便利だった。座ったまま、限られた時間で「目玉」と「耳」だけで得られる情報には、かなりの限界がある。ゆえに、コントロールもされやすい。スペクタルを求める「目の欲求」、心地よさを好む「耳の欲求」の「快不快」が、何かを深く知るのの、壁になっている。
もし、本気で、民主的に何かをわけ合うのであったら、椅子に括り付けてはならない、のかもしれない。

 アーティストと観客が厳然と別関係であるものに慣れている、今の中高年には、なかなか、関わり慣れない方法かと思う。いろいろな感覚を使う、と言うこと自体が、煩わしいと思うだろう。幼稚園めいたものと感じるだろう。しかし、関わると、実は責任や所有の気持ちが出て来て、頭のいろんな部分が動き始め、言葉力も増す。たぶん、自分の言葉というものは、関わったことが「他人事」でなくなったとき、紡ぎ出されると思う。


<まとめ>
 「パブリックスペース」と「観客」のこと。どちらも、民主主義への再考、とともにあると思う。上にも書いたけれど、「他の社会システムよりもまし」という民主主義であるからこそ、その問題点について、試し、議論するために、私の作品があればいいと思う。本当の意味での「アイ・オープナー」になれればいいと思う。リクツや理論よりも、体験により、はっと感じること。快く、開けて来る感覚。
 
 非力なので、小さい作品しかできない。でも、それを続けていきたいと思う。重ねて行くことで、規模が生まれると思う。応援が欲しい。質問が欲しい。参加して欲しい。バクスイレンというディスカッション、トーク、散歩の集まりでもそれはトライしていきたい。






6.8.13

図式を疑うことを、自分にも

人は、何かを考えたり、感じたりするために、図式が必要である。意識してなくても、それを使っている。
たとえば、環境に関係なく、誰にでも備わっているのが、「快・不快」の感覚だと言われている。それは、教育心理学の第一ページめあたりに書いてあることだし、世間でも多くが言っているので、あまり疑う人はいない。だが、それは、まさに「図式」である。二項対立型の図式だ。私も、特に今のところそれには異論はない。しかし、こういうことは「自然」とこの世にある「事実」ではなくて、一種の解釈だということは、謙虚に意識したい。解釈は解釈であって、決して事実のことではない。事実の見方の「一例」にすぎない。それから、一応、書き添えておくけど、図式は、二項対立だけではなくて、様々あるし、3次元的構造のものを持つものもあると思う。そして、それが悪いというのではない。なくては、やっていけないし、第一、なしでは、いろいろとつまらないだろう。

(...もちろん、原理的に言えば、「そこに石が転がっている」ようなことまでもが、だんだん怪しくなってくる。だけど、今は、そこまで言わない。一方、昨日が月曜で、一昨日が日曜だということも、今は、疑い始めるつもりはない。それは、とりあえず、お約束。)

与えられた図式の中で、能力を発揮して行く人は、いわゆる、優等生だ。ぐだぐだ言わない。個性的な考えなど持つ時間が惜しい。優等生は、図式の飲み込みの早さを競うのだ。残念ながら、私はそれにはなりそこねた。この50年間、いつもいつも、「そうかなあ」と思い続けて来たのだった。絵が好きで、美術の勉強をしたのだけれど、どちらかというと、その「そうかなあ」グセの方が強くて、絵を描くのに飽きてからもアートをやっている。あんまり、何にでもひねりすぎて、なかなか、共感はされにくいみたいだ。

しかし、この年齢(知る人ぞ知る)になると、私だって、与えられた「図式」をいくつも使っていることに気づく。特に、20世紀後半的倫理観ってあると思う。そんな「かさぶた」みたいのを、同世代とシェアしている。自分で、うざくなる。なので、まずは、自分を疑う。

何かを見て(聞いて)、なんか良いいなあと、感じた場合は、疑ってみることにしている。素直に感動できない、つまんない人みたいな感じでもあるけれど、「単純に面白い」ものが、最も怖いと思う。どこか心の怠慢につけ込まれている気がする。また、「単純に憎らしい」と感じる時もヤバいかもしれない。ストレスを何かに転嫁したいという欲望が刺激された可能性がある。というか、被害者意識を捨てたまえ。

今、私は、2つの作品の準備中だけど、すでに、疑いを、自分で突きつけている。
エラそうに聞こえるけど、正直、しんどい。でも、それをしないと、頭と心が、死んでしまいそうだから(笑)。そうやって、確信的な部分を磨こうと思う。


以下、近況的スナップ。

Open Sky 3.0という八谷さんの展覧会での写真。このような展示方法があるのかあ、と思って撮った。展覧会は、八谷氏の個人的な「夢」(1人乗り用の手作り飛行機をつくる)をスタッフや仲間と共有し(10年かけて)、さらに、展覧会という方法で、公に共有している。その方法が、「頭よくて」感心した。丁寧をやりすぎないし、親切はほどほどに。趣味と教育とエンターテイメントを手際よく、まぜてる。「個展」と書いてあるけど、「個展」に見えない。あるいは「個展」の概念を無視、あるいは、わざとずらしている感じ。こういう傾向は、最近、少なくはないね。@3331

作品の見せっぱなしは、むしろ、罪だと思う。



先週のバクスイレンというイベントで偶然見つけておとずれた「Hane-cafe」というカフェにて。旅客機マニアの人が開いているカフェらしい。奥には、ルフトハンザのグッズがたくさんが、祭壇みたいに配置されて展示されていた。壁にもいろいろ。それらは、撮影禁止だったので、このコーヒーだけ、撮った。


「社会にエンゲイジしていくアート」(菊池宏子さんのトーク)というイベントで紹介されていた洋書。表紙には、単にアイデアを形にしたり、表すだけではなく、それを「コト」にしてゆくのが、アーティストのリアルなチャレンジである、と書いてある。読みたいけど、読めるか? @アート&ソサエティ

自分の家とスーパーマーケット以外で、バナナをみつけたら写真を撮ることにしている。@国分寺駅



14.7.13

身体に「ラベル」をつけるということ、場所のこと

「風の音が聞こえない」というイベント(三田の家、7月13日)で行った私のパフォーマンスを紹介します

誰もがよく知っているある文章の「前文」を27のフレーズに分け、その中の大事な単語をあえて記号の◎で伏せ字にしてラベルにし、参加してくださった方々(私を含めて5人)の身体のいろんな箇所に張りました。そして、それらを私たちは、声を出して読みました。と言っても、◎◎の部分は、「ムーフー」と読むしかありません。大切な言葉は、あまりくり返し口にすると、言葉はすり減ってしまいます。だから、字にしない、口に出さないということを考えました。耳タコ状態になることで、それを考えなくなるのが恐ろしいから、です。身体を折り曲げ、覗き込んだり、複数のメンバーで協力しながら、それらは読まれました。皆さんのご協力のおかげで楽しかったです。それから、観客と参加者の皆さんには、気に入ったそのラベルを1〜2枚、持って帰っていただき、路上や公共空間に、(こっそり)貼って/置いていただくようにお願いしました。


「国体」は英語では、Body Politicsと言います。国をどう考えるか、というのは、私たちの身体の問題なのです。憲法の前文くらいは、国民として、暗記しておいたほうがいいかもしれませんね。 
参議院選が近くて、憲法の改正もひとつの争点になっています。そのような状況もあり、このネタをとりましたが、単に、時事ネタ、というわけではありません。


身体に文字を書いた紙を貼るということは、どんな印象だったでしょうか?まずは、ビジュアル的にはポップな印象があると思います。吹き出しのある、漫画の、実写版見ているような感じ。一方、コンセプトとしては、「社会的身体がどのような思想の元に生かされているのか?」を表したいと思いました。そして、人の身体が、「ラベル」化されるということも。政治が決めた様々な条件を、国民は逃れようもなく、貼付けられた場所に生きているということ。

そのようなコンテキストを読み込むには、そのように読み込まれるに相応しい「印象」の作り方/読み方も、昨今のアートには大事なんだろうと私は思います。どのようなコンテキストでその表現がなされたか、も、その内容の理解に、影響します。コンテキストには、場所のことも大事です。私は、特に、場所を考えます。


この「風の音が聞こえない」というイベントが、三田の家という場所で行われたことを考えてみます。
パフォーマンスアートが好きで関わっている人々というグループ、それと、三田の家という慶応大学の社会学の研究に関わっている人々(先生と卒業生たち)という、グループ。そのかなり違ったタイプの人々が、混ざり込んだシチュエーションでした。どんな雰囲気だったでしょうか。ちょっと分断していて、ちょっと解け合っている感じかな? 普段、地域の方達も出入りしていると聞きます。それが場所を柔らかくしているのだと思います。

そして、人は誰でも、どのように自分を「見せかけるか」の努力を、しています。パフォーマンスは、見せかけつつ、現れるものだと言われています。
態度や表情に、その人たちの様々な部分が表れます。見えたものはどう解釈されるでしょう? 様々な「印象」や「想像」がうずまきます。それも表現の一部なんでしょう。
身体にその人の社会的位置が現れます。その特徴をむしろ強調して、作品に引用している人もいます。私は、アーティストという社会性を、使っているつもりです。アーティストとして、社会に対して、何をすることができるのか。今回は、かなり意識的に考えました。そして、アーティストの定義が、日本の社会の中で、どうなっているのかと思います。観客のおひとりが「きっと、普段は固いご職業なんでしょうね?」と、私に聞きました。気になりますよね。

教員をしながらアーティストである人、ビジネスをしながらアーティストである人、勤め人でありながらアーティストである人、アルバイトをしながらアーティストである人。収入を得る仕事が、その人の、社会的立場を表すのでしょうか?

このパフォーマンスは、憲法のことよりも、もっと、広い意味での社会における「ラベル」のことを表したいと思って行いました。私は、それに対し、じれったい感情を持っています。



立ったのは5人です。この写真は、私がまだ、入ってない状況。五角形を見るとどんなことを連想しますか? 私は、ペンタゴンを思います。もし、私と同じように、ペンタゴンを連想する人があれば、その人には、ここで使われた文章が、アメリカのGHQによってもたらされたものであることが、私の頭の隅にある、ということをお伝えします。

参加アーティストの花上さんと永井さんが協力してくださいました。反対側にいらっしゃるのは、渡邉さんという三田の家に関わっている慶応大学の卒業生です。もう1人の方も、その方面の方だったと思います。ご協力、感謝します。

互いに、あるいは、観客の方たちと協力して、27枚のラベルを身体の色々な箇所に貼りました。逆さや、斜めという具合に、身体をよじらないとよく読めないだろう、ように貼りました。


渡邉さんの背中。

花上さんの頭。

そして、声に出して、それが読める位置にある人々とともに、読みます。◎◎部分は、とりあえず、ンーフーと読みます。英語を話す時に、合いの手として、言う、あの言い方です。

私の脇腹。


どの手が誰の手で、どれが誰の足なのか?

永井さんの背中。


以下は、お持ち帰りいただいたラベル。パフォーマンスは、皆さんが帰る時間まで続きました。ラベルを取り分け、それぞれの方に、どこか、路上に残したり、こっそり貼ってくださるようにお願いしました。

岡原先生。後で、田町駅に貼ってくださったそうです。



帰宅途中の北山さん。

帰宅後にラベルをつけたまま、寝入ってしまったらしい永井さん。

永井さんは、朝起きて、家の郵便ポストに貼ったそうです。

1.7.13

Public Art Magazine vol.4 社会にエンゲイジしていくアートとは?

Art & Societyというパブリックアートの研究所が出している、Public Art Magazineに、記事を書きました。
「アーティストランプロジェクトの展望」というタイトルのインタビュー記事。堂々カラー4ページ。ストックホルムとロッテルダムで、3種類のアーティストのグループにインタビューしました。私の作品の写真もちょろっと載ってます。


取材は、昨年の5月なのですが、ようやく、日の目を見ました。実は、昨年夏に、私のブログや、横浜のTake Art Eazyというサイトにも、出させていただきています。


マガジンのテーマである「エンゲージ」。パブリックアートの基本ですよね。Part1ということは、次回に続くのねかしら。

マガジンをご希望の方は、以下へお問い合わせください。
http://www.art-society.com/report/20130621.html


視線の彫刻 Sculpture of Eye Contactという作品のプロジェクト

実のところ、パフォーマンスアートをはじめた、1991 年の時に、同時に、映像作品も作りたいと考えていました。いくつものことを同時にやれない性分なので、思い立って、20 年が経ってしまいました。

最大問題は、自分がパフォーマンスしているときは、撮れないということです。センスの合う(いい)人がビデオを撮ってくれた時は、編集して、ドキュメントにしていました。結構、You tubeにアップしてます。最近の作品「天使の監視」(2011)と「Targeting Zigzag」(2012)は、編集し作品化することを前提に、岩田稔夫さんという方に撮っていただきました。それから、昨年暮れには、インタビューの動画もいくつか、制作しています。
https://sites.google.com/site/publicdoubleinterview/

現在取りかかっている「視線の彫刻Sculpture of Eye Contact」というのは、そういったパフォーマンスアートとはかなり違った物で、かなりのチャレンジです。門外漢なことをしている気がします。どういったものになるのか、正直、どきどきです。
発表は、10月に、ブラジルはクリティバというところです。クリティバでも撮影するので、東京で作ったものをどのくらい、そこで見せるかどうか、まだ決まりません。
以下のイメージだとドラマっぽいですが、全然、そうではないです。







はじめは、家にあるぬいぐるみを使って、動画をつくりました。



この犬の目は、人間以上になにか、語ってる気がしてしまいます。

30.6.13

バクスイレン2−8 ホームタウン2 開催しました。

バクスイレンの第8回、なかなか面白い話ができました。
ゲストに来てくれた、アーティストのリー(祐成)智子さんの、温かい陽気さ、前向きさ、そして、データもあり、説得力万全でした。
他人に伝える場合、数字や具体的な出来事、などがどれほど、大事か、学ばさせていただきました。
「どんぐりと民主主義」なかなか、しゃれた名称。
http://backsuiren2.blogspot.jp/2013/06/home-town-2.html

参加した方たちは、市民活動の経験や、便利さの問題、道路がもたらす空気汚染などの話を交えながら、かなり熱心に質問を入れてくださいました。

開催した、マルプギャラリーも緑がいっぱいです。以下は、マルプの看板のある風景。



私としては、智子さんのお話や、彼女の関わりには、感心かつほとんど賛同ですが、少しはつっこみが必要と思い、ちょっと本すじから、ずれているけれど、私は、あえて、気にかかることを言いました。場が、ひとつの方向に行ってしまうのをとどめるために。



16.6.13

T3というチーム

直方平ひろとさん、関谷泉さんと、T3というパフォーマンスアートのチームを作りました。Triangle Team of Tokyoの略です。
活動の様子は、facebookでアップしています。
https://www.facebook.com/TriangleTeamTokyo

年内に3回のパフォーマンスをします。各回ごとに、誰か1人が交代で、プラン、およびコンセプトや進行の方法などを、決めます。そのアイデアに沿って、意見交換しながら、本番に至ります。東京のパブリックスペースにて行います。

第一回目は、6月16日でした。直方平さんのプランでした。
場所は、六本木ヒルズ。3人が、互いを見失わないように、しかも、通行人の中でなるべく目立たないように、動き回ります。というか、あまり動かない。移動する。カフェでお茶をする。などを約2時間。ヒルズのエントランスの前にある、ルイーズおばさんの蜘蛛の彫刻の下から、最終方向は、毛利庭園でした。結局、庭園までは行きませんでしたが。
以下に少し、写真出てます。
https://www.facebook.com/events/492743610778920/

写真、まんなかの青いシャツの人は、通行人です。


30.3.13

他人の脳みそを借りる


実を言うと私は、このところ、進化したなあと思っている。自分。

15.3.13

バクスイレン2−6 Weという意識




ディスカッションを試みる研究会「バクスイレン2」はおかげさまで、6回目を迎えることができました。口コミなどを通して、固定メンバーも増え、研究会らしくなってきました。
イベントはどなたでも、ご参加、歓迎です。少人数制(10人まで)なので、ご予約ください。

次回のお知らせをいたします。

アートの前に「バクスイレン2−6」 テーマ:「Weという意識」
日時:4月20日(土)17:00〜20:00 

29.1.13

People who doubted us, you all were right. 私たちを怪しんだ人は正しい。



10月から11月にかけて参加したアートイベント、ディスロケイトの記録ブック(新聞)のために文章を書いた。

Public Service Center はらっぱ公園にて

11.1.13

BackSuiren 2-4 バクスイレン「私たちのアジア」Our Asia





Talk&Discussion "Performance" Event

バクスイレンvol.2「アートの前に」は、第4回目を催します。御興味のある方は、是非ご参加ください。小さな会です。