10月から11月にかけて参加したアートイベント、ディスロケイトの記録ブック(新聞)のために文章を書いた。
Public Service Center はらっぱ公園にて |
しかも、プロジェクトそのものは、地元の方たちへのビデオ・インタビューや小学生とのワークショップがメイン・メニューだったと思う。「ファイン」アートには、ステージもスペースもほぼないという過酷な状況。世界に人間が存在する限り「生活」はアプリ・オリにあるが、アートはさあね、いらないかもしれないんだぜ?さあ、そこのアーティストと名乗っている輩よ、何ができる?という挑戦状をもらった感じだった。
私は2つの作品を行った。ひとつは「パブリック・サービス・センター」というタイトルの地域の路上出没系パフォーマンスで、インドから参加しているアーティストのプライアスさんとのコラボである。もう一つは「パブリック・ダブル」といい、地域ものではなく、このイベントに関わった人々の「コモン・センス」についての作品である。
どちらも、「パブリック」という言葉がタイトルに入っている。この1〜2年、この言葉がひんぱんに聞かれるようになった。しかし、それを、人々がどれほど理解し、必要としているか、よくわからない。単なる流行なのだろうか?そこで、今回はいっそのこと、2作品ともに「パブリック」を付けてみようと、思った。明治の頃に、新しいものには何でも「電気」や、「文化」を付けたのと同じように。例:電気ブラン、文化包丁
「パブリック・サービス・センター」は、「パブリック」なサービスが行われるに相応しい場所に、出没する。ここでは「パブリック」は「公」の意味にはおさまらない。「公共サービス」は、行政サイドからのサービスである。受ける方は、サービス側の都合に合わせて、体勢や心構えを整えなくてはならない。はずれると簡単に「対象外」になってしまう。まるで宮沢賢治の「注文の多い料理店」のように、ルールが多くて、どっちのためのサービスなのか、わからなくなることもしばしば。しかし、私は「公共サービス」を批判するつもりはない。「公」には、限界があるのを前提に、他の方法で、市民側からサービスを作り出すのが良いと思う。そして、実際それをしている社会事業は、少なからずあるだろう。それらを「パブリック・サービス」と呼んでよいと思う。そして、その「アート・プロジェクト」も、最近は大流行である。
そして、私のプロジェクトでは、それらにも、さらに漏れてしまうような「需要」、つまり、「どうでもいいけど、あった方が絶対よい」ようなサービスをやってみたかった。私にとって「パブリック」とは、人が見捨ててしまうようなことを拾うことができる場所を意味している。私は、「みんな」が、笑顔を作って手を取り合い、盛り上がるというようなものにはあまり、関心がなかった。それは、誰か別の人が上手にしてくれるだろう。私は「みんな」というカテゴリーに入りあぐねている感性に、関心がある。
表立って口にしにくい要求、気分。特別なことではない。薄暗い夕暮れの上石神井の駅前で、ネクタイを緩めた中年男性がひとり、小さなもつ焼き屋に吸い込まれてゆく感じ。高校の帰りに公園の藤棚の下で、進学説明会のプリントを投げ出して居眠りしてしまう感じ。毎日のルーティンワークはちゃんとこなしているけれど、ちょっとだけ、おかしな気分を味わいたい感じ。社会での「居場所」という強迫的な言葉が喉につきささっている感じ。そういう「エスケープ」願望に、コミットしたかった。
折りたたみのテーブルセット、サービスメニューのサインボード、テーブルの上にはバナナとオセロとお茶の水筒。私たちは、コンビニの裏や前、公民館の横、公園などに、それらをセッティングして、その「はみ出た」需要に向かって、緑の明るいパラソルを開いた。その傘の下に、大柄な若いインド人男性が、日本の中年女性とともに、鼻の頭を赤く染め、ピンストライプのエプロンがけで仲良さそうに座っている図は、一見平和な住宅街の一角で、うまいこと「若干の」異空間になったと思う。鼻が赤いのは、少し、普通とは違うというニュアンスである。あるいは、冗談かもしれないから、ご心配なく、と言った?
Public Service Center セブンイレブンの駐車場にて |
ちなみに、コンビニに私たちがパーキングすることは、営業している人にとって、迷惑千万であることはわかっている。だが、「老若男女、良い人にも悪い人にも」平等に開かれた場所として成功しているコンビニの「パブリック」度のポテンシャルはとても高い。すぐ追い出されることはわかっていたが、私は、デモンストレーションとして、短時間でもやっておきたかった。まさに、そのたった1分しかパーキングできなかったあるコンビニの前で、偶然、私たちを見かけた人が、翌日の別の場所に来てくださった。彼女は「これこそが、本当にアートよ。とってもすばらしいわ」と言ってくれた。私としては、正直言ってアートかどうかは定かでなかっただけに、この若い主婦の発言には驚いた。若い世代には、確実に「アート」の意味は変わっているのだろう。
たった4日間であったが、この得体のしれないサービスを喜んで受けた人は、思ったより多かったと思う。私は、誰も来なくても、そういう場所が町のちょっとした場所に開いている事が良いと思った。様々な反応があった。たとえば、「ちゃんとビジネスにすべきだ」とアドバイスしてくれる人もあった。もちろん、公園管理事務所に通報した人もいた。
この「パフォーマンス」は、たったの4回ではなくて、たとえば、週一度くらいのペースで何年もやらないと、本当の成果は見えないと思う。そして、そうなると、通報どころか、様々なトラブルも起きるだろうと思う。
私がコミットしたいと考えた「需要」は、実のところ、新興宗教や、もっと危険な犯罪に関わるようなことへ開いている危険な「スキ」でもあるのである。だから、私たちを怪しんだ人たち、あなたたちは正しい。
もうひとつの作品「バプリック・ダブル」は、30才台の男子がテーマである。ディスロケイトには、2人のアジアからのアーティストが参加し、その2人がそうであった。私は、この全く私と違ったアイデンティティの人たちと何を「コモン・センス」として、協力関係を持つ事が出来るだろうかと思った。日本では、この世代と性別の人々との間には、私は、かなり大きな壁がある。彼らにとって、私のような女性は最も関心のない対象で、友達でも上司/先生でもないし、正直、面倒なんだろうなと感じることが多い。たぶん、30歳代男性は忙しいし、焦っているということがあると思う。私は、それゆえ、あえて彼らを「私の分身」として募集した。2人のアーティストとの「コモン・センス」を経験する役を担ってもらうためだ。結果3人が来てくれて、プロジェクト期間中に、私と同じく鼻を赤くして、2人のアーティストと時間を過ごした。
彼らにレポートを書いてもらおうと思ったが、それはうまくいかず。そこで、私はインタビューをすることにした。3人が普段過ごしている町に、私がでかけてゆき、同じ複数の質問で、ビデオ・インタビューした。そして、2人のアーティストにも、イベント地域である杉並から遠く離れた場所(西葛西、柴又)で会い、インタビューした。主に、彼らの希望や夢、そして回りの社会、国との関係を答えてもらった。この5人にはどんな「コモン・センス」があるだろう。
このビデオは、実のところまだ、編集中である。たぶん、出来上がった時、何か発見するだろう。それらはとりあえず、ラフに編集して、プロジェクトの成果発表の日にポートレイトサイズの額装で、展示した。それを見たディスロケイトのボランティの女性が「私にもインタビューして欲しいわ」と言った。そこで、今、もうひとつインタビュー作品を準備中である。5人の30代女性へのインタビュー。タイトルは「パブリック・ツイン」である。