9月1日に、3つのスクランブル交差点で、パフォーマンスを行った。なんか、こう、このごろは一回一回やるごとに、初めてするかのような気がしている。
<町の空間>
私自身が町、つまりパブリックスペースでのパフォーマンスを多くするようになった理由は、ちょっとした偶然だったかもしれないが、今は、必然的になってきた。今、まさにの、今的意味がある。町の空間を、カタカナで、パブリックスペースと呼ぶことが多くなって来た、そのこと自体に、それは顕われていると思う。昨今、特にこの数年、建築を作ること、都市計画することについて、活発な議論がなされている。それらの空間が象徴する、民主主義はどう解釈されてゆくのか、その再考が迫られている。
対立構造は本当にあるのだろうか?
それが私の第一の問いである。当然のようにある、と言ってしまうと思考スタイルがベタになる。そして、対立関係をわざわざ、見えないようにしようとする動きと、よりいっそう、見えるようにしようとする動きとある。後者は目立つので、すぐ、吊るし上げられるが、前者は静かに確実に進行しつつある。社会学、建築論が一体になって、この情報化社会で、いかに、市民の活動を掌握し、まとめ、経済効果を生みつつ、「幸せ」感が増すように(感じられる)社会にできるかと研究とそのデモンストレーションが、活発になされている。
もともと、民主主義とは、不備だらけで、恣意的な解釈のできる「主義」なんだと思う。それもあって、誤解もされている。「他より」まし、と言われている。
私たちは、そのディスカッションに参加するために(閉め出されないために)、知力、体力、感覚を磨く必要がある。アートはそのひとつのツールだと思う。私にとって、ではなくて、私の作品に関わった人が開かれた気持ちになるといいと思っている。
私が、ATMで昼寝する、といったような、アウトサイダーでややプロテスト型に見える表現はやめて、いまだ挑発的ではあるが、「参加する」方向のアクションに変更したのは、そのことに気がついたからである。2009年ごろからだ。その必要性が感じられた。たぶん、プロテストできるのは、社会がある程度、自信を持っている場合までだと思う。基盤がぐにゃぐにゃになった。甘えてられないと思った。
再考、する。
私の強みとしては、屋外でのパフォーマンス表現に関して、他の人の追随を許さない感覚だ。1枚、はいだところに居ることができる。これまで、いろいろ、スゲエ人は見て来たけど、これについては、わたしほどの人はいない(ジャン!)。でも、それがどこなのか、判る人も少ないだろうな。見えないとわからないから。そこで、わたしは落ち着ける、そういう場所なんだ。自宅のベッドと同じ位、落ち着いている。
町のありさまへの私の興味。変わりゆく町も、変わらない町も良い。それぞれ理由があるのが面白いと思う。どんな方向にせよ、ちょっと「あれ、この動き、なぜかな」「これイカしてる(へんな)空間になっているぞ」「入り込めるぞ」という所を発見するところから、始め、想像力の可能性を開く方向で行こうと思った。用意された空間を、人々がどのように利用しているか、私がどう利用できるか、このことをリサーチするところから、作品が生まれる。
<出会い、について>
町とアクションという関係は、今、間違いなく、新しい。今年の私は、「出会い」という、言葉をキーにしている。平凡な概念だけど。映像に関心のあるこのごろなので、映画なども、その視点で意識的に見るようにしている。人が出会うシーンは、どこで、どのように、どんな目つきで、どんな角度で、とかね。いい映画かどうかは、あまり、関係ない。
ある友人が、町でのパフォーマンスを、アングラだと言ったけれど、その意味では勿論、終わってる。確かに、かつては、そういう場所(社会)では、どのように「個人の立場」を守れるか、ということが、アートや文学の課題だった(だいたい60〜90年代半ばくらい?)。けれども、それから、町おこし(コミュニティという言葉が使われる以前)という動きが起きる。町の青年グループなどが企画して、その知り合いのアーティストが呼ばれたりした。外から、人を呼び(アーティストと観客)、町を賑やかにしたいということだったと思う。それから、コミュニティアートという動きが起きる。それらは一見似ているけど違う。そこでは、外の人を集めるのではなく、コミュニティの中での人的交流(つながりを回復する)が目的となった。それらは、なぜだか、公的サービスに近いものが多い。そして、それらは「地域サービス」のケーススタディになっていく。「サービス」のりなので、ちょっと「福祉」に似てくるかもしれない。サービスを受ける人々は、子供か、若者か、老人か、女性か、病気か、健康か、日本人か、外国人かの区別がされる。そんな気がする。市民を、どうアイデンティファイするかから、始まっている、ように見える。
市民サービスによる、市民のアイデンティファイの方法は、ステレオタイプになりがちだ。そんな中での様々な「出会い」は、どれも同じ意味しか見いだせないように思う。勿論、各自ではいろいろな出会いをしているに違いない。しかし、それが「美談」的にしか、出て来ない(感じがする)。たとえば、コミュニティイベントの写真って、たいてい、たくさん人が写っていて、多くはニコニコしている。誰にでも、オープンで、そこでは、誰もが受け入れられていますよ、とアピールされているのだろう。しかし、何かが、その写真に消えている。消えているものはなにか?
たとえば「出会い」のエッセンスが、漂白されている。
人ともに生きるということが、誰にとっても大事になっている。政治との関わり方も、再考する時期に来ている。慣れない人、意見の違う人を避けていると、狭いコミュニティになってゆく。一人にもなるかもしれない。
「あなただけよ」について。私は、そのニュアンスが大事な気がする。人とは、愛を糧にして生きる。博愛は、愛とは大分違う。たとえば、自殺しようとしている人に「あなたの人生は他の人と同じく価値があるんですよ。神は総ての人に機会を与えているんです」と言ったって、死ぬ気がなくならないだろう。そういうのをウソだと感じているから、死にたいのだもの。そうではなくて、躊躇なく、がばっとその人をつかみ、「ちょっと!あんた。死んでる場合じゃないよ。あなたこそが私に必要なのよ!」と言った方がいい。(ル・コントの映画「橋の上の娘」は、まさにそれだ。投身自殺をしようとしている娘のところに、ナイフ投げの的になる女を捜していたオトコが登場し、仕事にスカウトする。それでも川に飛び込んだ娘の後を追って、オトコは飛び込み、命がけで助ける。それで娘はその男と働いて生きることにする。それからの展開はどうだったっけ。)
それは友愛ではない。友情と愛は、つなげて言うと意味が、ぼやける。ここで言う、愛、とは、ビビットな一本の出会い、つかみ、関わり。腕をぎゅっとつかんで、ひっぱるもの。人の腕は、2本しかない。一本は出会うために、もう一本は? 支えるためかしら。たくさんの人をいっぺんにつかむことができない。その身体の限界と、「愛」は関係があると思う。
出会いの質、人と人の個人の膜がぷちっと破れる場所。世界で一番、ロマンチックな瞬間かもしれない。それは瞬間だけに起こる。そして、それは、様々な質がある。赤いもの、黄色いもの。尖ったもの、柔らかいもの。ざらざらしかもの、つるつるしたもの。暖かいもの、クールなもの。四角かったり、丸かったり。はっとしたものだったか、じみじみっとしたものだったか。消えては現れるものだったり、続くものだったり。そういうニュアンスが、「みんな一緒に」の写真には、表現できない。測りようがなく、証明のしようのない感覚。そして、そういうニュアンスこそが、アートでできることだし、アートが表わしたいこと。そして、人間に必要なこと。
左はパフォーマーの永井可那子さん。右腕に絵を描くさいとうかこみさん。 |
<ターゲットされたハイタッチ>
今回、わたしたちがやったパフォーマンスは、交差点で、対角線にいる人を見て、わたしたちがこの人ぞ、と決めた(ターゲットした)「通行人」へ、一直線に足を進め、「ハイタッチ」(激励)をするというアクション。ハイタッチのための右腕は、ボディペイントの絵の具で、あらかじめ、素敵に花などが描かれている(イラストレーターのさいとうさんによる)。派手な入れ墨といった感じ。それらを「トライアングルチーム東京」という3人のパフォーマーで行なった。直方平さん、永井さん、そして私。
ハイタッチ(英語ではハイファイブ)というアクションは一般に「激励」し合う時に行なうものだと思われる。でも、実際のところは、パフォーマンスでは、パフォーマーのその通行人への提案は「受け入れてもらうか、拒否されるか」の挑戦をしている、と言った方が正確かもしれない。それでも、進んで受ける人もいる。もしかしたら、ちょうど、面接試験の前の人がいて、「おっ、これは激励か?」と感じたかもしれないと思う。そういうことも起こりえる。
見た人(参加した人)たちは「一瞬、個人の空間が破れて、別の個人(パフォーマー)とのコンタクトがある様子が、不思議で面白い」と言っていた。この視点がとても大事だと思った。
もちろん、ここでの「あなただけよ」はシンボルでしかない。でも、ウソではない。
地味な表現である。でも、私は次からは、一人でやって行ったらどうかと思っている。チームは楽しかったが、コンセプトにフォーカスするためには、一人がいいのかもしれない。まず、みつめる。そこの視線を感じてもらう。パブリックスペースで、それは、異物に違いない。
できたら、気が収まるまで、続けてみようかと思う。この、「シンボルでしかない。でも、ウソではない」というのが、なぜなのか、考えたい。アートができることの限界と可能性も一緒に考える。
<観客について>
見る人、について。観客という概念。私のパフォーマンスでは、しばしば、観客は巻き込まれる。「いっしょにやるアクションパフォーマンス」というシリーズもある。視るだけでなく、その行為を自らやってみることで、「目」で考える以上のことがわかってもらえると思っている。9月1日のパフォーマンスでも、案内に「参加もできます」と書いておいたら、「参加します」と言って、若いカップルがやってきた(赤ちゃんも)。腕にペイントをするだけでもよいですが、一緒に歩くこともできます、と説明したら、しばらくして、彼等も歩き始めた。
このごろのわたしは、誰かが1人何かをしていて、多くの人がそれを見つめるという光景よりも、複数の人が何かやっている光景が面白い。それが単に「だれでもが参加できる集まりです。」になっては、さっきの前段で述べたように、つまらなくなる。一種の「賛同できる」「共有できると感じる」メンバーであること。一時的でもいいから(一時的である方が面白い)、共同体であること。そして、その関わりに、個人差があって良い、そのような風景。
知っている人は知っている話だが、90年代中頃にフランス人のキュレーター、ニコラス・ブリオーが「関係性の美学」という美術評論を書いた。そこには、観客の参加で作品が発展したり、完成したりするタイプの(90年代の段階での新しい)アートが紹介されている。紹介されたということは、その前から、その傾向が目立ち始めていたというわけだ。つまり、90年代以降、世界中で、観客とアーティストとの関係の変化のある作品が現われ始めた。それは、私が、パフォーマンスアートを始めた頃と、まったく一致している。確かに、その頃、見ていたパフォーマンスアートの作品に、しばしばそれは、見受けられた。というか、もともとはパフォーマンスアートのほとんどがそうであった。元祖、リレーショナル・アートなのだ。それが一端、薄らぎ(80年代に)、90年代になって、ジャンルを越えて、各方面で現われ始めたのだと、私は思う。
目への刺激は、80年代ごろから、あふれかえるビジュアルイメージの時代が飽和状態となっていた。広告や映画の経験から、刺激の強い快楽、見た目だけの美意識の追求が進み、思考麻痺が始まっていた。その限界をこえるためは、体験が選ばれ始めていたのだと思う。
それ以前から、つまり、20世紀以降、演劇や映画というのは、「大衆を教化する」メディアとして、政治的にも利用されていた。部屋に入れて、暗くして、目と耳だけを使わせ、いっぺんに様々な情報をドラマ仕立てで見せる。本などは読めない/読まない人々を思想化するのに便利だった。座ったまま、限られた時間で「目玉」と「耳」だけで得られる情報には、かなりの限界がある。ゆえに、コントロールもされやすい。スペクタルを求める「目の欲求」、心地よさを好む「耳の欲求」の「快不快」が、何かを深く知るのの、壁になっている。
もし、本気で、民主的に何かをわけ合うのであったら、椅子に括り付けてはならない、のかもしれない。
アーティストと観客が厳然と別関係であるものに慣れている、今の中高年には、なかなか、関わり慣れない方法かと思う。いろいろな感覚を使う、と言うこと自体が、煩わしいと思うだろう。幼稚園めいたものと感じるだろう。しかし、関わると、実は責任や所有の気持ちが出て来て、頭のいろんな部分が動き始め、言葉力も増す。たぶん、自分の言葉というものは、関わったことが「他人事」でなくなったとき、紡ぎ出されると思う。
<まとめ>
「パブリックスペース」と「観客」のこと。どちらも、民主主義への再考、とともにあると思う。上にも書いたけれど、「他の社会システムよりもまし」という民主主義であるからこそ、その問題点について、試し、議論するために、私の作品があればいいと思う。本当の意味での「アイ・オープナー」になれればいいと思う。リクツや理論よりも、体験により、はっと感じること。快く、開けて来る感覚。
非力なので、小さい作品しかできない。でも、それを続けていきたいと思う。重ねて行くことで、規模が生まれると思う。応援が欲しい。質問が欲しい。参加して欲しい。バクスイレンというディスカッション、トーク、散歩の集まりでもそれはトライしていきたい。