3.6.12

バナナ・イシュー Banana Issue




帰国してもう3週間くらいになります。
写真を少し分類しました。自分の目というものを知りたくて、撮り始めました。
帰国してからは、なんとなく、撮ってませんでしたが、撮り続けたいと思います。


以下のスライドショーは、ウインドーの下のバーで操作できます。



<バナナ・イシュー Banana Issue >
ストックホルムの路上には、バナナのゴミがとても目立った。バナナの生産地からこれほど離れたところで、これほどポピュラーなのか、と思ったし(ストックホルムの4月はとても寒かった)、時に、食べてないバナナが見事にチョコのような色なって落ちているのも、不思議だった。
ドイツやオランダに移動してからも、やはり、バナナのゴミは目立った。バナナなしのゴミ箱は少ないくらいかもしれない。このリサーチのために歩き回ったわけではなくて、気がついた時に、撮影しているだけなので、実際のところは、よくはわからない。ここでは、「一般的なリサーチ」が目的なのではなくて、自分の目と、自分の出会いがテーマなのでとりあえずこれで良し。
オランダは、スリナムという中米の国をかつて植民地にしていたことがあり、私たちがおなじみの、フィリピンバナナとは違う、始めから、茶色っぽいバナナが売っていた。それは生では食べずに、オーブンで焼いて、チーズなどといっしょに食べた。臭みがあって、なかなか良かった。チーズではなくて、私なら、蜂蜜をつけて食べるかも。あるいは、バター醤油でもいいかもしれない。
よく見ないと、バナナが見つからない写真もあるが、ようく見てくれなまし。絶対、ある。




<バナナ・イシューなしのゴミ Garbage without Banana Issue>
ゴミへの興味は、実のところ、津波のhugeガレキをなんども見ているうちに、膨らんだ。だれかが言った「不要になって捨てられたゴミとは違うのではないか?」というのは、正しいかもしれないが、「不要になって捨てられたゴミと同じような姿になっている」ということに、なんと言っても、センチメンタルな気持ちを沸き起こさせるのだ。そして、そのセンチメントも長くは続かなく、私の感覚の場合は、それらを、何か「美しいもの」の系譜に加えるようになる。以下の写真は、バナナなしのゴミである。
「バナナあり」と、「バナナなし」を比べると、明らかに、「バナナあり」の方が陽気に見える。歌が聞こえてきて「ゴミでもいいじゃない〜、楽しけりゃ」と、私に呼びかける。黄色いポップな色合いと、三日月みたいなシンプルな形は、中身を食べられた後も、おおよそ、姿をキープする。りんごにはできない芸当である。
それから、日本でのゴミの違いにも興味がある。日本で、ゴミは落ちていることがあるが、煙草の箱とか、空き缶とか、そういうのが多く、バナナはまず、見ない。
以下の写真のうち一枚は、ゴミではなくて、旅行から帰って私の鞄から出て来たわたしの荷物なんだが、やはり、ゴミ然としているので、撮影した。パスポートが見えると思う。




<ウィンドー・イシュー Glass Issue>
このイシューは予定していなかったが、撮ってきた写真を見ていると、ウインドーを覗いている写真が意外と多いので、イシュー扱いにしてみた。実のところ、このカテゴリーが一番枚数が多い。Facebookでも紹介したが、これはやはり、さすがに人気があるみたい。よくわかりませんが、私もとても好きです。なかなかセンチメンタルなものだ。とらわれの身のような仏像もなかなか良い。




<犬・イシュー Dog Issue>
ストックホルムで、変な顔の犬が多いのが気になって撮影することにした。しかも、犬の持ち主は、写真に撮られることが結構うれしいらしくて、ちょっとした路上コミュニケーションになる。日本で、犬の散歩は、私はあまり見ない。なるべく人に会わない場所や時間を選んでいるのではないだろうか? 公園での犬の散歩は禁止だし、マンションでは犬たちは声帯を切られている。抑圧されているんだな。もしかしたら、日本でも高級住宅街に行けば、いろんな犬の散歩が見られるかもしれないね。




<ATMイシュー  ATM Issue>
これは、私を少しは知っている人にとっては、説明がいらないイシューであろう。しかし、実のところ、やはり、私が横たわってないATMなんて、バナナが捨ててないゴミ箱のように、まじめくさっていて、ぎすぎすして見える。それでも、ATMはひとつひとつ、立地条件や利用者の違いがあって、個性があるゆえ、記録しておきたいと思う。こうして見ると、人々の態度みたいなものが面白い。