27.4.12

Smiling Nature: Left to us





なかなか書き込む時間がなくて、とりあえず、写真だけ。4月20日のストックホルムでのパフォーマンスです。

18.4.12

ストックホルムでの作品 微笑む自然 Smiling Nature: Left to us + Blind Game in Stockholm

明日の朝、ストックホルムに発ちます。
着いたらもう翌日は、パフォーマンスです。
「Smiling Nature:Left to us」という新作をやります。


逗子で撮影して来た太平洋の、波の映像を基本イメージにした作品をします。テーブルを3台。各テーブルにはそれぞれのマテリアルが乗っています。
1:ゆでた卵70個くらいが入ったバスケット。
2:荷札と白いシーツとペン7本。
3:青かまたは黄色の紙の束とペン7本。

17.4.12

日常のアクション Targeting Zigzag+Instant God Service レポート

  4月15日に、上野駅のパンダ橋の上で、行なったパブリックスペースでのアクションをレポートします。タイトルは「Targeting Zigzag」です。2月に私はChi tooさんの作品の相方になりましたが、今度は、彼に手伝ってもらいました。前回のレポートはこちらworked with Chi Too. Thank him.

この橋はちょっと無闇に幅広いです。その広々とした感じが気に入っていて、それで、いつか何かに使いたいと思っていました。写真は、記録しにくいと思い、残す予定はなかったのですが、立ち会いに来てくださった佐野さんが撮ってくださったので、なんとかここでご報告できます。感謝します。ビデオ記録を撮りましたが、編集は少し先になります。

さて、チ・トゥーさんが、黄色の目立つTシャツを着てきてくださったので、遠目にも割と見えます。私は、白いジャンバースカートです。ふたりともサングラスをかけています。橋の左右の端に私たちは別れて、斜め方向に、ジグザグに歩きます。真ん中あたりで、二人は交差します。



14.4.12

よそものとしてのアーティスト


以下、We are Elegantのエピソード資料の最後のぺージに書いた文章。


<アーティストの立場>

 よそからやってきたアーティストの立場。人間についての興味深い点を見つけ出すこと。コミュニティに関わる時、内側の人も外側の人も、前向きな希望へのヒントになればいいと思う。しかし、時には、明らかにされたくないことを知らず知らずに、指摘してしまうようなことがあるのかもしれない。イスラエルは、世界中から常に批判にされているからか、むしろ隠しはしない、あるいは、隠しようがないのかもしれない。たとえば、イスラエルという場所は、遠く離れて情報だけ知る事と、訪れて感じることには、印象に大きく違いがある。 私たち外国人は、ベツレヘムへゆき、パレスティナのアーティストたちとワークショップをする機会も与えられた。真逆の場合もある。情報と実際はとにかく違うのだから、そこでどう関わるか、なのだ。勿論、アートイベントのオーガナイザーのセンスにもよると思う。
 とにかく、アーティストは、一時的にでかけて行って、ほんの少しコミットするだけだ。中途半端な、正義感を持ち出さないこと。地元にいないということの、無責任さをさらしてはならない。そのことをいつも、思う。そして、その上で、自分のアイデアと作品に責任を持つ。あるいは、センスを共有していないものゆえ、できることがある、ということもあるかもしれない。難しいところだ。
 いくつかの場所での活動を通して、コミュニティが「守っている場所」という意味を、今、考えている。多様な人々はともにある場所もとても大事だが、文化というものは、多くはローカルであるゆえに、無闇にオープンにしたり、競争原理にさらしたりすれば、コンテキストが変わってしまい、その意味が弱くなってしまうこともある。クロアチアのフェスティバルでは、アートのコミュニティを守るために、あえて地域共同体に関わらないで、島のような形で場所を作っていた。それは、初めよくわからなかったが、大事なことなのだとだんだんわかった。一方、インドネシアの村は、どちらかというと日本に似ていて、生活とアートが近いように思ったが、インドネシアから日本に来ると、理解しにくい「しくみ」や「しがらみ」を感じると思う。
  人間社会には、かならず、何かのためのコミュニティがある。国家もそうだし、家族もそうだ。それは、紀元前でも、原人時代でもあっただろう。アートはもともとそれらの内側で発生するものだったかもしれない。でも、近代以降のアーティストの活動は、それらにまたがっていることがしばしば。架け橋になれば、理想だが、必ずしもそうはいかない。守らなければならないのは、何か。どっちか。守るより他の可能性はあるのか。などなど思う。大事なのは、とにかく関わる人々が生き生きとしていられることだろう。考えを固定せずに、考え続けて行きたいと思う。

13.4.12

一日順延



14日予定のパンダ橋でのアクションは、当日雨天の可能性が高いので、翌日の15日(日)に順延します。
アクション内容については、http://hechimasoon.blogspot.jp/2012/04/414daily-life-action-targeting-zigzag.html


11.4.12

We are Elegant エピソードとプレゼンテーション



We are Elegantという2007年から始めた作品のシリーズのプレゼン資料、ネット上にアップしました。これまで、インドネシア、クロアチア、イスラエル、カナダの4カ所で行なって来ましたが、それぞれの場所での経緯などが書いてあります。
日本でもしたいのですが、なかなか、機会がありません。それで、こういうものを作りました。皆様、よろしくお願いします。


14ページもあるPDFなので重たいです。



8.4.12

日常のアクション 4月14日@上野+皇居 Daily Life Action “Targeting Zigzag" in Ueno



1. Targeting Zigzag 

上野駅の上にかかっている橋はパンダ橋と言うんですね。そこで、介入系のアクションをします。気がつかない人はまったく気がつかないというくらい、普通に近いものです。気づいた人にはちょっとだけ脅威かも(?)。広くて見通しが良いので、ずっと前から何かしたいと思っていました。チトーさんという来日中のマレーシアのアーティストとの共同作業です。彼のパブリックスペース認識が、割と私に似ているので(たぶん)、今はいいパートナーです。

「Targeting Zigzag ターゲットするジグザグ」というタイトルにしました。日常生活の延長のちょっとしたことなので「Daily Life Action 日常のアクション」というシリーズにできたらいいな。
ビデオ記録を重視します。横浜から岩田稔夫さんが撮影に来てくださいます。
4月14日(土) 15日(日)11時20分くらいから1時間くらい。パンダ橋の上。

ご興味のある方は、11時に公園口にいらっしゃってミーティングから参加されるか、11時20分以降にパンダ橋の上で。一般の通行人に知られてはできませんので、その辺、よろしくです(微笑)。
雨天の場合は、5月後半か6月に延期です。


2. Instant God Service



その後、皇居の二重橋に、ビデオの岩田さんと移動します。時刻は不明。
2時くらか3時くらいかな。
昨年夏からペンディングになっていた「Instant God Service」の撮影をします。小さなのぼりを作ってあるので、それを頭に載せる。映像は、私の顔は映さない。はためくのぼりと背景が映り、声が入る。のぼりや旗は、公共スペースでは「禁止」です。しかし、小さいのでたぶん、大丈夫。
こっちは、さらに、小さなアクションですが、ディスカッション込みでやりたい。ご興味のある方は、私の携帯にメールか電話ください。誰も来なけりゃ、岩田さんと二人だけのトークがビデオの作品になる。
テーマは、天皇が神と言われるようになったのはなぜなんだろう、ということなんですが、私のインスタントな研究をお話します。特に、反天皇でも、擁護でもなく、世界との関係での推察です。天皇制がテーマというより「神様と近代」というべき。返って話が大きくなるような気もするけど。インスタントなのは、私の研究というより、もっと本体のことなんですけどね。
タイトルの「Service」ですが、日本語で「サービス」というと、ビジネスぽいですが、英語での意味には、「宗教的奉仕活動」の意味もあるのです。


今後やってみたいと思っている場所は、新宿三丁目の地下。今年は、都内出没タイプで行こうかな。
ATMで寝るやつ、またむくむくとやりたいのですが、あれやっているとアーティストとして没落してしまうのかもと思う。あるいは、批判にもめげずにやりたきゃやり続けるべきか。

Art vs Life, even in artist’s life



5.4.12

アーティスト発信型の再興 Artists Initiative


前回のブログ。タイトルが、「ジェネラル」な印象なせいか、アクセスが多くて少し責任を感じています。

前回のブログで、アーティスト発信型は日本ではほとんど消えてしまったかのように書きました。そして、今日は少し違うことを書く。
確信はないのですが、理屈やリサーチではなくて、人間の「意識」として考えて、感じていくと、それは「形を変えて必ず起きる」と、そのように思います。

なぜなら、人間のしていることは、リサーチでは計りきれないから。
そのことを標榜しているのが、アーティストのセンスだから。理解不能、言葉にしきれない、社会性だけでは計れない、そういうことが、アーティストたちに手から生まれるのだと思います。そして、私はそうしたいです。

ここの所の私の「好奇心」をベースにした、歩き回り、から、いくつかの呪縛から開放されつつあるのを感じます。もちろん、オーガナイズの方法は、今までの自分のやり方はほとんど捨てようと思っています。それから「美」について。かなり、自由になりました。
イメージについても、動機についても。

また、考えが、言葉になったら書きますね。

写真は、おしっこをする犬。




3.4.12

美術の業界と公共、ちょっと思ったこと Industry and Public

桜もほころび、春です。
今日は強風と雨ですが、窓ふきの人は働いています。凧揚げと身体の角度が似ています。
自分を更新するための試行錯誤。今まで会わなかった人に会ってみたり、ちょっと私にはめずらしいトークを聞きに行ったり、本を読んだり。


なんか、美術業界について考えてみます。あまりにも、意識していなさすぎでしたから。...というか、アーティストが、それを考えるのは、なにか、はしたないことのように感じていたというのもあります。こんなこと若い人には判らないだろうなあ。
2ヶ月ほど前に、初めて会ったある方から、「私は30年以上美術業界にいるけれど、あなたのことは存じ上げませんでした。」と言われました。これって、他の人はなかなか言わない台詞ですよね。素直にそれが言える、オープンな彼女の事がちょっと好きになった瞬間でした。私も彼女を知りませんでしたし。
そして、ああ、業界ってあったんだ、って、つくづく思ったというのも、正直なところ。

 さて、ちょっと逸れるようですが........公共論というものを少し勉強してみました。主に、広井さんという千葉大学の先生の書かれた、新書判の本を数冊。とても興味深いことがたくさん書いたあり、資料も豊富ですし、ぐいぐい読みました。「日本社会には公と私があるがの場所がない」。政府主導の世界でもなく、マーケット主導の世界でもなく、多様な市民によるディスカッションが主導して作る世界。<共>という場所をどうやって作るか。<公>-<共>-<私>という理想の図のイメージを膨らませます。そして、それがどのように実現されていくのか、楽しみでした。しかし、私は、今ちょっと気にかかっていることがあります。順番はずれているけど、アートのおかれた事情に似ている

1.4.12

品川のビルと雲

原美術館から出て駅まで戻る途中。よくもまあ、ずらずら、ビルが並んでいるなあと思い、携帯のカメラで撮影。キャノンのビルの隣が、三菱重工、それから、マイクルソフト。キャノンの向かって右隣は、住宅マンションに見える。後で調べよう。
雲も、気になる感じだ。雲の裏が、暗い。きのうは、春の嵐だったから、その名残の春の雲なのかもしれない。


地震で揺れるとガチャガチャぶつかるのかしらと、想像してみる。近すぎない?