26.4.10

頭がばらばらでして

ブログにきちんと日記がかけないです。
5月3日からのインチョン滞在の準備をしています。
あした、図書館にゆき、調べものをします。

このごろ、たまに人に会って話すと、ミニ芝居をしてしまったりします。どうしてでしょうね。
困った。が、陽気なので、皆さんは不愉快ではないと思います。

近くの高校で見た、やせたコンクリートの考える人。寝ているみたいだ。ヒロイックさはまるで、ないなあ。



25.4.10

三天使

前回の投稿のスライドショー見ましたか?
面白い? 面白くない?
私が、2日がかりで創ったなんて、ばかばかしい?

3人並んでいるって、なんだか、すごいと思う。完璧な3人という組み合わせがあれば、最高だ。

今日は、わたしが、心底変わっているということを思い知らされた。というか、このところ、ずっとだけど。
「多様性には価値がある」って言ってもらった。種の保存のために、様々な感覚の人間が必要なんだそうだ。ふ〜ん。

気持ちをうまく説明できない。だけど、とにかく、耐えて耐えて耐え抜きましょう。ふふ〜。



24.4.10

Trio Slide Show

ネット上のトリオを集めてスライドショー創りました。みてよ。

23.4.10

young blood

まだ、その話かと思われそうだけど、少し、書きます。

父の入院先に出かける道々、いつも聴いていたiPodの中に入っている曲で「Young Blood」というのがあります。当時、そんなタイトルだなんて気づいていなかった。これを、リフレインで何度も聴いていました。

なぜ、あんなにかわいそうなことになったのだろう、ということが、繰り返し、繰り返し、今の私に押し寄せます。でも、程度の差はあるにしても、誰にしても「亡くなりかける」ということのは、「かわいそうな」感じが抜けないものです。
なぜなんだろう?
時々、亡くなるのがわかってからの人のお顔が「だんだん仏のような優しいお顔になる」と言うような事をききます。本当にそうでしょうか? そう思いたいだけではない? 少なくとも父は恐れと寂しさで一杯のように見えました。夜中が怖くて、暴れていました。みとるほうも、いくほうも、「さびしい」とか「かなしい」とか、そういう気持で満たされてしまいます。なぜ? 人生で一番大切なはずの瞬間が、なぜ、そういうマイナスな印象で記憶されるのでしょうか? 

何かが、欠けている.......。生きるということの理解に、何かが欠けているからだと思うのです。勿論、意味付けなんて、人間の勝手な妄想でしょう。でも、悲しいというのも、妄想。猫や象も悲しいだろうか?そんな問は、意味がないかな。生きることが美しいなら、死ぬものはもっと美しいはずだ。なぜ、そう思えないのでしょうか。

父が寝たきりになって一年の間に、中学3年生だった孫の身長が15cmくらい伸びました。彼はお見舞いにまる一年行かなかったので、一年ぶりに見た孫の「でっかくなった」姿を見て、父は、「まじ、ぶったまげ」ていました。まさに、「ぶったまげ、」という顔でした。目玉をぐりぐり動かして、見つめていました。それが、とても、楽しかった。みんな楽しかったと思います。成長は、なぜ、こうも朗らかなことなのでしょうか。


わたしがC&M Tをはじめたのは、そういうことと、まるで関係がないわけではありません。

個人の死は、ひとつの物理的個体の消耗衰退にすぎない、と誰か言いました。


このごろ、Twitterをよく書きます。忙しくても、一瞬の間に書けてしまうから。世界とつながっている、という妄想が、わたしを安心させるから。でも、1ヶ月書いて、それが妄想だとよくわかりました。
なので、自分のメモであることを原則にしようと今は考えています。

そのメモを日記形式にまとめてくれるツールがありました。こちら

17.4.10

手直し

ドゥローイングのページ。スライド7本、壮観! 
まあ、これでとりあえず、ホームページのアップは休憩。急がないところは、また、今度。

きのうの文は、また少し手直し。



わたしはいつもextra senseということに関心があります。人は主に社会との関係において生きていますから、その生活の必然性からはみ出てしまう感覚があった時、それを持て余したり、隠したりする傾向にあります。あるいは選択肢の2番手以降として、捨ててしまっているものも多くあります。しかし実は、それらが「たまたま目の前にある社会」にそぐわないだけなのかもしれません。それらは、この宇宙に生きそして死んで行く「生物としての大切な意識」に関わっている可能性があります。それらは、私たちが、人間としてだけでなく、この世界の中の意味のある「節目node」としてテンポラリーに存在する「場所site」となって生きていることの、何か重要な要素、信号であるかもしれません。矛盾が出る事には、必ず、理由があります。それをごまかすと、何かとても大きな宇宙的過失となってしまうかもしれません。逆にそれを意識すれば、宇宙的謎の本質に遭遇できるかもしれません。どこかで崩壊しかけている大事なものを守れるかもしれません。直接関係なくてもです。わたしはそういう仮説を持っています。それゆえ、わたしやわたしの回りで起こる、日々の記憶や体験の中ではぐれがちになる感覚やイメージをとにかくも拾い集め、それらをアートという方法の体験かつビジュアルイメージに変換し、このたまたまな「社会」という危うくも狭い領域の内側に、その像を照らし込む作業を続けています。それがわたしのこの世に生まれて来てなすべきミッションだと考えます。

ミッション

今、考えているステイトメントを書いてみる。


わたしはいつもextra senseということに関心があります。人は主に社会との関係において生きていますが、その生活の中からはみ出てしまう感覚を、持て余したり、隠したりする傾向にあります。あるいは選択肢の2番手以降として、捨ててしまっているかもしれません。しかし実は、それらが「たまたま目の前にある社会」にそぐわないだけで、この宇宙に生きそして死んで行く「生物としての大切な意識」に関わっている可能性があります。人としてだけでなく、この世界の中の「節目node」としてテンポラリーに存在する「場所site」として生きている私たちの機能の、何か重要な特徴であるかもしれません。矛盾と思われるものには、必ず、理由があります。それをごまかすと、何かとても大きな宇宙的過失となってしまうかもしれないし、逆にそれを意識すれば、宇宙的謎の本質に遭遇できるかもしれないのです。それゆえわたしは、そうした仮説のもとに、日々の記憶や体験の中ではぐれがちになる感覚やイメージを拾い集め続け、アートという方法の体験かつビジュアルイメージに変換し、このたまたまな社会という狭い領域の内側に、その像を照らし込むことを、ミッションとしています。



まだまだ、手直し必要なカンジ。

16.4.10

2003~2009

ホームページアップしつつあります。
とりあえず、2003〜2009のパフォーマンスの写真とYoutubeへのリンクのページ
まあ、案外、いろいろやっておったのだなあと思う。
いろいろあしたも、家で作業します。



インチョンの小学生への課題は「泳いでいる人の顔を想像して描く」というのと「ひいひいじいさんの姿を想像して描く」というのを考えてあります。
以下の絵は、泳いでいる人の顔を想像した絵のシリーズ。スケッチではなくて、想像の人物を描く。
「へんてこなかよしトリオ」てのは、どう? 3人の様子には共通点がありながら、違う人として描くこと。

パフォーマンスも何かしようかな。やはり、あれかな。1kmの長さの棒を振り回していることを想像して動く、というの。手元ではゆっくりでも、遠くではすごくはやくて、木々も電柱もなぎ倒している。なんか、わたしは、小学生よりうまくやる自信あるよ。




12.4.10

ぐう

一日中働いております。どうにも、ガソリンが必要になって、ちょっと違うことに逃げたりしますが、おおよそ、ずっと働いていて、今日はまだ、今日やってしまおうと思っていることがおわりましえん。

あしたは、夕方、久しぶりの友人に会います。彼は「ぐうの音」というアートグッズの店をやっています。ポストカードやビデオを置いてもらっているのに、まだ一度も行ったことがなくて。今後、何を置いてもらうことになるか、相談がてら。ええ? 山岡佐紀子祭り? これは1年前の写真でした。

その前は、いろいろとふらふら歩く予定。なので、今日はみっちりやるのだ。

web少し増えてきた


話は違うけど、........ 私は人間には内面はないと思っています。しかし、人はたいして変われない。個性があるように見える。何がその「人となり」かというと、それは、反応の仕方なんでしょう。
その「妙」を見たり、演じたりするのは、面白いことでしょう。そして、感じたり、思いやったりするのは、人として大事なことです。それらは「個人」という狭い世界を守らなくてはならないゆえの罪のようなものではないかと思います。ゆえに、救済が必要な場合が多々あります。あるいは、表現として興味深いし、あるいは友情を温めたり、他人を批評したり、仲間を作ったり。様々な人間的な動きの要素が組み合わされて、人生を形成します。
でも、何か「深い真実」はそこにはないと思っています。




fly

ポーランドの大統領を乗せた飛行機の墜落事件が気になっていた。さきほど見たネットニュースによると、
 プーチン首相は10日夜にスモレンスク入りし、墜落現場を訪れたトゥスク首相を迎えて共に献花。その後、大統領の遺体見送りに駆けつけた。両国関係に影を落としてきた“因縁の地”での墜落事故が、新たな緊張の種にならぬよう細心の配慮を見せた。」
なのだそうだ。
こういうことにコメントを入れてネット上に流すような立場では、わたしはない。でも、気になった点について、示そうと思った。とても、はらはらしていた。


それとは全く別件で、飛行機については、この数日、思うことがあって、何か書こうと思っていたけど、今の状況では何か書きにくい。.........数日前にハワード・ヒューズのヘラクレスの画像を貼ったように。



10.4.10

基本はつかめました

sakiko website

トップページ以外は、今のところ、昔のにつないでいます。

GoLiveマスターするの大変と思ったけど、基本は以前のPageMillと同じ考えでできている。
前と同じものなら、もうすぐできる、ということがわかりました。


以下は「マヨネーズ」という作品。胸につけているのは、お酢のびん。12年も前の作品。


棒立て

きのうはランチに、姪の友達のおじさんがやっているというフレンチレストランで食事をする。スイーツのお代わりが何度でもできるというサービスがあってそれがお目当てであったが、姪(20歳)のようにたくさん食べられない。あたりまえか。

それから、少し、人に会いに行く。楽し。わくわく。

夕方、Appleの銀座店へ行く。ノートパソコンを買う予定。6月ごろに新作が出るらしいけど、私は5月に必要だから、やむをえない。

夜は、1年3ヶ月ぶりに、電話で、ある友人と話す。その前は、週に1回以上は話していたような気がする。それぞれの人生。彼女の「最近」のことは聞いたのに、自分のことは話しそびれた。彼女には、「重く」聞こえるのではないかと思ったので。

だんだん、単なる日記になってきた。ふふふっふ。

8.4.10

引っ越し

まずはnew siteをセットアップ。セットしてから反映に48時間以上かかった。サーバーとドメインの会社が違うため。最初はこうだけど、今後の更新は1時間くらいで反映するそうです。
今月中くらいに引っ越しが終わると良いのだが。
きのう書いた「一新、自分の場所へ行く。」というのは、こういう意味ではなかったのだけど(笑)、偶然。
どちらにしても準備が忙しくて。


パフォーマンスの作品と、ドゥローイング作品を、ユニファイする。
パフォーマンスは敵、闘い。ドゥローイングは竹馬の友のようなもの、楽しむ。これではユニファイできないようだけど。


以下は10年くらい前に描いたもの。





一新、

自分の場所へ行く。

きのうは、最低の映画と、最高に美しい映画と見た(レンタルビデオです)。後が良かったから、良かった。前者は、日本でとても評判がいいし、友達も一押しだった。後の方は、特に誰にも勧められてなかったけど、ずっと気になっていて、やっと見た。
つまり、自分の感性に合っている世界に、ひたればいいではないか、ということを思う。
ひたるだけでなく、自分の場所として手に入れればよし。

関係ないけど、飛行機の写真を貼付しておく。飛んでない飛行機だけどね。飛べるはずなんだけど、飛ぶ機会が一度しかなかったヘラクレスくん。

7.4.10

7つの種

テレビを見ていたらユーゴ紛争の話が出てきて、去年6月に行ったクロアチアでのことを思い出した。戦争はやはりせつない。またすぐに紛争があるに決まっていると言った彼のことを思い出す。レポートのトップページ

そんな時のその現場で、アートは「正義」とか「救済」に向かうと思いがちだけど、むしろ「エゴ」や「勢力」だったりする。人間の本分だ。そういう時に、「正義」や「救済」のアートが必要だろうと思うのは、よその国の人たちだ。

たとえば、一般に、政府や自治体がアートに関わる時、2つのコースがあると思う。ひとつは「文化」、もうひとつは「福祉」。前者は国のアイデンティティや国際的文化レベルの国威発揚に関わるもの。後者の場合は「芸術表現」の場を市民の皆さんに与えて、ガス抜きをして過ごしてもらうという意味。


だがら、
私は、アートの役割は、人間の営みには、政治に含まれないレベルのことがあるということを示すこと、なんだと思っている。


わたしは、といえば、最近、ちょっとセンスがせこくなってきた気がする。内面に降りて行く時間が欲しいし、なくては、やばくなる。勉強のし直し、な気分。


今日の写真は、1995年の韓国は公州という市での自然美術野外展でのパフォーマンス。なんでこんなポーズをしているのか、忘れてしまっったが、自然と社会と自分ということをまじめに考えていた頃の作品だった。タイトルは「Seven Seeds」。箒で地面をぐるぐるしていた。感覚的〜。7つの場所にて行うのが、そのプロジェクトだった。

6.4.10

飛鳥山とドメインと

缶詰めた、と書いたら、同情されたのか、きのうは花見の誘いがあって、飛鳥山公園へ。江戸時代から続く花見の光景はすごかった。ちょっとはずれた公園で、ワインとチーズとパンというキリスト教徒みたいな花見をした。夕方は、姪と甥の入学祝い(高校と中学)の食事会。また、3年後にあるのか? 上の子が浪人するとずれる......
半日、ほろ酔いですごした。

今日は、ホームページの準備。ドメインをとったところと、レンタルサーバーが、別の会社なので、ちょい面倒。でも、なんとか、GoLiveからアップすることはできると、確認できた。夕方は田園地帯を少し歩く。

ちょっと、勉強をしたいと思っているところ。自分の整理がつかないと新しいパフォーマンスもしたくない。

2001年の作品のパフォ写真をアップしておきます。以前はさえない写真と思っていたけど、以外と臨場感あっていいんじゃない? メトロノームがひとつ倒れているところがいい感じ。ソファに息を吹きかけている。芸大と大阪でやった「Bless Breathing」のポーランド、ピオトルコフバージョン。すぐ近くまで、観客がせまっていて、みんな立っているところを注目。



4.4.10

缶詰ている

世間では、花見などを興じておられるようであるが、私は、缶詰ている。私の「友達」はtwitterで見る政治家やジャーナリストのつぶやきと、iTuneで購入した音楽。ホセ・ジェイムスがこのごろのお気に入り。

この20年くらいからの50枚の写真のセレクトと成形とそのキャプション(年、作品タイトル、撮影された場所、撮影者の名前)をエクセルでつける。それから、おおよそれら作品の変遷史を書く。さらに、出された質問に答える。以上のデータは、全部で120MBほどあったので、YOUSENDITで3回に分けて送った。まる3日ほどかかった作業だけど、生かされるといいな。こんな、いったい、にわか取材で、どんな記事がかけるのか、疑問であるけれど、署名記事であれば、まあ、いいか。ちなみに、この件のコーディネーターで、その記事を書くのは、ホンオボン兄さん。



以下は、質問への応え。


1. When did you start performance? why?, what?

The first performance show was in1991.
I was a painter. One day for my art works I noticed that I needed to use time and space and body, too.
At the first time, I handed brush and used black ink and worked with two collaborators in a cemetery.

 2. Do you have performance dream and project?
I am trying my works to be extreme minimalism with high richness.

 3. What do your philosophy of life?
I stand and discover the side of “beautiful imagination”.

 4. Who are your teachers of performance?
I don’t have any teacher.
I respect Takako Saito as an artist and as a woman. She worked a member of Fluxus in 60~70’s in NY and Europe. Now she lives in Dusselfdolf.

 5. Do you have your beautiful family story?
No. My family is very normal. It is important for me, but for the other it is boring. I think.

 6. Do you read very interesting performance book? 
“The connected Body?”
Edited by Allsopp and Scott DeLahunta

 7. Do you like and love Korea and Korea performance?
Yes. It is very unique culture in the world and very close and much different with Japanese.

 8. Who are your performance friends in Japan? 
What is definition of “friend”?

 9. Do you have happy mind because performance?
Yes. It is very healthy to think and express things by body and time and space and lovely material than to speak and write and plan and negotiate with the other.

10. Sometime do you have mental agony because performance?
No. I am thinking that performance art is my enemy and I am always trying to kill "him". It is very exiting. Mostly they became nice games. I love it.


以下1992年の写真。なつかしいなあ。























近所の人が、近所の畑で売っていたというネギと人参を分けてくださったので、ネギのくたくた煮と人参の甘煮をつくる。なかなか、旨し。
さて、明日は、新しいホームページの仕事ができるといいのだが。

2.4.10

モノへの関心

アートフェア東京に行ったついでに、モノの関心に関心を持ってみる。去年、友人に勧められて買った手帖は、ほとんど、鞄の革くらいの厚さがあり、ふ〜んと思いながら、使っている。機能以上の意味がありそうだ。鞄と靴では、割と革を使っていたが、それは機能的目的があった。生活に使わないもので、思い入れのあるものって、自分の作品くらいしかない。
美術品を買う人は、自分が欲しいだけではなくて、それを持っている自分をひけらかしたい、とまででもなくても、酔ってみたい、みたいな感じではないかな。財テクというほどではなくても。


それで、思い出して、かつて売れて行った作品を、もう一度、描いてみようと思う。まあ、10年も前に描いたモノなのだけど、今としては、どうなのか。モノは、再現できるか?勿論、できないけど。

パフォ作品は、どうか。一度、行うのをやめてしまったものは、もうできない気がする。銀行にはもう寝られない。

対決シリーズという作品があるのに気がついた。
「議事堂の前での対決1999」「羊との相撲2002」 今後対決するとしたら、どんな対決になるか?







ぎらぎら丸の内

夕方、東京駅へ行った。新しいビル群がぎらぎら。ヤマオカサキコ的には、丸の内→三菱東京UFJ本店→Best Place to Sleepという連想でいたのだが、あの2007年から、社会は随分変わったようだ。銀行昼寝パフォも、リーマンショック後は、あまりに普通のイメージなので、もうやろうとは思わなくなった。あのSleepは、日比谷の派遣村より前のことなのよ。
今は、屋外パフォより室内をやりたいけど、チャンスがないから(お金払って場所を借りるのはできない。なぜって、場所と私の関係がそういう関係になってしまうでしょう?)やはり、屋外でするよりないので、どうしようかと。

丸の内には、アートフェアの内覧会を見に行った。友達のNが出しているので、招待券をわけてもらった。あまりにたくさんの人が並んでいて、こんなにアートファンがいるとは、知らなかったと、思ったりした。地方からも来ているのだろう。たぶん、かなりマニアな外国人も飛行機に乗ってきているだろう。中に入ると、C&Mの時に、いつも来てくださるKさんも出品しておられた。すごくきれいな作品で、お話もしてもらって良かった。
出店の97パーセントくらいが日本の画廊で、出品アーティストの90パーセントくらいが日本人かな。印象としては、「具体的」な表現が多いと思った。たぶん、一般の展覧会より、その割合は多いと思う。「具体的」と私が言うのは、具象である以上に「もの感」が強いという印象。いわゆるリプレゼンテーションとして「作品の向うに世界がある」というより、「作品そのものが世界」なのかもしれない。作者の手仕事ぶりを感じさせる。あるいは神様のいない国らしい? とにかく、そういうモノモノしたモノを、人は買って手元に置きたいと思うのかもしれない。ひとり、コレクターの知り合いにばったり会った。「何か買うおつもりですか?」と聞いたら「去年借金して買っちゃったから、今年はね〜」と苦笑いしていた。わたしとしては、お金と家が広かったら欲しいと思えるものは、1〜2点あった。ちょっとびっくりしたのは、小品ながら「ホックニーかしら」と思った作品のシリーズがあって、よく見たら、なんと大竹シンローだった。色鉛筆や絵の具の塗り方が上手にホックニーみたいだった。画法もコラージュするのかな。そんなのあり?........見違えかな。

あしたから2日くらいは、あの仕事。やってどうなるんだろうと思うようなものなんだ。単に雑誌のぺージを埋めて終わりなだけと言う気がする。.........「鬱」な発言かもしれない。
その後は、ホームページのアップし直し。
「エンリョするなよ」というタイトルの作品群を早く作りたい。

1.4.10

疑問だらけ

きのうは昼間絵を描いて、夕方、お通夜。それから、友達に会って食事+お酒。
いろいろと、整理しなくてはならないことがあり、そういうことなどを話した。けれど、朝、起きてみると、新たな疑問。