14.10.08

きのうのトーク

きのうは、トークイベント。出だしの人数が少なかったので、ちょっとやばいと思ったが、少しずつ増えて、場所はいっぱいになってきた。
トークの内容も濃く、一見、距離のありそうなふたりのゲストだったのだけど、クレオールという言葉で、リンクできてよかった。わたしのプランのアイデアは、どうしてもよくわからないという人たちがいるのだけれど、さすがのおふたりでした。お客さんを含めたディスカッションでは、さらに発展。日本の美術の近代というあり方には、純粋化と美がむすびついている。それが武士道といったようなやせ我慢(つまりは国民皆兵隊)を国民全員の思想つまりは美意識にさせられた、なってしまったかもという展開。寄せ集めの文化のくせに、純粋化を志向するのは、余裕がないのでしょう。ばらばらの人々とまとめる必要に迫られて来た。西洋的視線を取り入れて、創られた伝統絵画をよそおった「日本画」という、あいまいなジャンル。フランス画やアメリカ画、ベトナム画やシンガポール画がないことを思えば、確かに、不自然。そういえば、ラフカディオハーンの書いたものは、日本文学?
違和感のあるものを、面白いと思うセンスを大事にしたい。それができないのは、余裕のない文化、感性。

観客参加のディスカッションの間、最も気をつけたのは、文化混交やぶつかりの愚痴のようなものを、出し合うだけにならないように、ということ。そうなりかけた場合、どう調整するのか。苦肉の作で切り抜けた。
ゲストのおふたりが、創造するということに前向きな方たちで良かった。司会のアライさんが、きちんと用語解説や、段取りをしてくれました。
内容が硬めという意見もあったけど、わたしの、持ち味なので、それは今後も、変えるつもりはありません。発散型のアートではないんだろうな。

また、思ったことは、文化は政治の影響下にあるし、様々な不幸ともかかわっているけれど、生まれてきたことの中の面白さに、目をむけたい。政治に利用されてはならないということでしょう。
許容力と言う言葉も、佐川さんから聞いて興味深く思いました。


もうひとつ、あとで友達からの電話で言ってもらって面白かったのは、人生も文化もアートも、重くて、軽くて、重くて、軽いのです。重いものを、重く描くのは、わたしのやり方ではないし、わたしの興味のある方法ではない。たとえば、フルクサスの多くのアーティストはは、思想家だったり、重い背景を持っていた。だからこそ、ナンセンスを愛したということは、忘れてはならんと思うのでありました。

ナンセンスを楽しむのは、ただの、怠け者には、権利がない、と言っておきたいです。