以下、wikpediaからの引用です。http://ja.wikipedia.org/wiki/帝冠様式
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1930年代のナショナリズムの台頭を背景に、モダニズム建築に対抗して日本で発生した建築様式であり、現代的なビルに日本の伝統的な屋根を載せた非常に特徴的な意匠を持つ。「軍服を着た建物」という異名をもつ建築物様式としても知られる。
実用を兼ねて容易に日本的な意匠を表現できる事から、日本内地より寧ろ外地や満洲国に多く建てられ、現存するものも多い。しかし昭和初期に発生した事から、それ以前に日本の新領土として組み込まれた朝鮮や台湾などには少なく、それらの地域では日本統治時代の残照として古典主義様式が目立つ。
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写真をご覧下さい。左の上のは、カナダのバンクーバーのダウンタウンイーストサイドの真ん中の交差点にあり、いわば、この町のシンボルの1つとも言える建物です。
昨年9月に私は、主に、そのダウンタウンのイーストサイドにいました。そして、そこで「まるで帝冠様式」だな、と思う建物をいくつか見たので、写真を撮ってました。しかし、そこが日本人街ではなかったこともあり、まさか、ほんとの帝冠様式だとは!! きのうまで、信じてなかったです。.............右上のは、日本人街ですけどね。
むしろ、「帝冠様式」って日本では言っているけれど、西欧には普通にあるんじゃないの?くらいに思ってました。
ところが、きのう、調べたら、どうやらやっぱりそうなんですね。もっとたくさん、この都市には、あるようです。http://www.teikan.net/buildings/vancouver/
つまり、バンクーバーの日本人社会は、自前で大きなビルをいくつも建てられるほど、成功していたわけです。本などには「成功した」と書いてありますが、どのくらい成功したかは、こういうことから、想像できると思います。
そして、それを知れば、第二次大戦の時に、財産をすべて没収されて、カナダの東の方へ集団収容所へ送られたことの、悔しさは、どれほどだったかということがよくわかりました。そして、「日本人排斥運動」が起こってしまった理由も、想像がつきます。
そのことはようやく1980年代に、カナダ政府から、正式に謝罪があったそうです。
写真の右下のふたつの写真は、旧日本人街だったPowel Street にある建物で、帝冠様式ではないですが、日本人の名前が今も記されているので、写真に撮りました。他にもありましたよ。なんだか、不思議な親しみを感じます。異質な気もするけど、親しいような。遠い親戚に会って、なんとなく、なじめない気持ちがしたとき、みたいに。でも、実際、現在も住んでいる日本人の方たちに会って話すと、とてもオープンで楽しい人たちなので、それにも驚きました。たぶん、日本人的なムラ感覚ではなくて、欧米人のような「人当たり」が、身に付いておられるのではないかと思います。たまに、日本に「行く」と、閉鎖的な感じがすると、年配の女性が話していましたっけ。