4月21日のフジシンのトークの時に、話したこと。私がOLみたいなことをやっている時、私のデスク周辺は、いつもはすごく厳しい、ある女性の上司の「休憩所」みたいになってた。彼女は、週に1回くらいは私のデスクの所へ来て、あぶらを売って行った。その時だけは、あまり厳しい顔をしていないで、まるで、高校生の時の友だちか、後輩にしゃべるみたいだった。まあ、一般的に言えば、私は、単なる「癒し系女子社員」だったってことかもしれないけど、どうしてなのか、実は、私は自分でわからない。たぶん、彼女がいつもぴりぴりして戦わなくてはならないことについては、私は戦わない人だって気がついたからだろう。逆に言えば、人間として生き延びるために、皆が戦っている「何か」が私に欠けているのだと思う。それが何なのか、実は、全くわからない。それを知りたいんだ。
だから、こういう私を受け入れてくれる人がいないところでは、たぶん、私は生き延びられない。邪魔だって、いびり出されてしまうんだと思う。
小学生の時ドッジボールが全然できないで、邪魔にされてた時みたいに。
そして、他の人が戦わないところで、戦いを起こそうとして『?』ということになる。大事な事が違うんだ。
そういえば、高校生の時、たった一度だけど、学年一番の成績をとってしまったことがあって、その時は、つらかった。すげー、いじめられた(と、感じた)。だけど、「私は美術大学受けるから」と競争のラインから離れたとたん、いじめっこがみんな優しくなった(ような気がした)。こういうことなのかな。違うかな。
こういう人はたぶん、私だけではない。
世の中は、同類同士が協力関係を結ぶということがよくある。男社会も、「男同士」ののりでやっていると、戦う所と戦わない所が似ているから、けんかもできれば、恊働もできるんだ。県人会の人たちがどれほど似ているか知らないけど、子供の時の記憶に似た所がある人は信用できるんだろう。同窓生もそうだ。価値観を共有できる。セクシャルマイノリティだって、フェミ系だってそうだ。楽しみや不満を共有している。
ふ〜ん、私はそのどこにも、属せないなあと思っていたら、変人類という類の共同体が、できつつあるような気がしてきた。どう?
そして、ありとあらゆる業界に「変人類」がいれば、協力しあって、独占的な領域を作れるかもしれない。キュレーターも変人で、コレクターも変人で、プロデューサーも変人で、観客も変人。変人類は、お互い似ていない。似ていないという点において、類なのだ。
ああ、ドリーム!!!
あとは、世界には「橋類」という人たちがいればいい。「橋」類は、ありとあらゆる「類」をつなぐ事が好きだというミーハーである。「変人類」と違って、欠けているものがない。ありとあらゆる「類」が大事にしていることが一応、わかるんだ。だから、ある意味賢い。ミーハーで、スノッブなので、変わったことをして、ひんしゅくを買うのが、楽しい。「変人類」にすら、しばしば、見捨てられそうになるが、全然、気にしない。そのうちに、ありとあらゆる「類」に、「よろしく頼むよ」と言われるようになることを夢見ている。
さあ、君。その「橋類」になりませんか?