25.6.09

何かが失われて

おととい早朝帰国。きのうは、取手に、ある夫婦を訪問。

クロアチアのことは、何から書けばいいのか。

言えることは、「何かが失われている場所」。
たった数日なので、クロアチア全体を言うことはできないし、アート全体を言うこともできない。

もうひとつ浮かぶ言葉は、「避難所」。
これは、最初、ネガティブに感じていたけど、けっこう、面白いヒントになりえると思う。

もうひとつは、アーティストの役割、という古くて、解決のつかない疑問が再び、わたしを襲う。ロンドンからの年配の女性アーティストにぶつけてみたけど、どうやら、彼女は、考えたこともないようだ。

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目がかすむまで、畑しかないところを、露に濡れながら、南へと歩いた。川もあったけど、水がなかったから、下って上った。目についた草花を剪定はさみで切り、背中のバスケットに入れる。あざみの大きなようなのがあり、ちくちくした。川底には、ガマの穂がたくさんあったので、剪定はさみでちょきんちょきんと切る。フェスティバルのサウンドが、遠くなるのを気持ちよく感じながら。1時間程歩いて、そして、また、北へ戻る。フェスティバルの会場で、剪定してきた草花の束とともに、短いパフォーマンスをして、さらに北へ向かう。1時間程行って、また戻る。デュレーションパフォーマンスなんだけど、喧噪の中で、それを感じた人はどのくらいいたか、不明。そして、とにかく、日やけた。身体がひりひりする。この作品は「Wind from Sky」。もっと長い時間歩きたかった。

すべてのプログラムが終わった後、「みなさん!協力して欲しい事があります!」とわたしは、叫び、インドネシアでした作品、例の「We are Elegant」を観客とともに行う。4時間の立ちっぱなし、休憩なしのイベントで、疲れているだろうに、多くが協力してくれた。「I need good camera!」と叫ぶと、小屋の2階の窓にテレビカメラが上ってくれて、皆にカメラを向ける。「お〜〜」と雄叫び。わたしは、「Look to our future!」なんてロックンロラーみたいなことを叫ぶと、皆が、「あ〜〜〜」とか「お〜〜〜」とか、声明みたいな声を続けたので、驚いた。誰からともなく。終わってから「なぜ、もっとやらなかったんだ?」とスタッフに聞かれた「みんなはもっと協力したかったんだよ」
やりすぎて、しらけることをいつも気にしているわたしとしては、複雑。場の空気をを読むって本当にむづかしいと思った。

実は、オーガナイザーは、なぜだか、このパフォーマンスをなんとか、させないように、わたしに、意地悪をし続けていたのだ。でも、やっちゃった。もっとやれば良かったなんて言われると、もっとずうずうしさが必要なのか?と思ってしまったりする。ビデオは、VHSでとっているようだし、約束しても、送ってこない場合が多いので、半分、あきらめているけど、お見せできる日がくればいいね。
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帰ったら、ドイツに在住の大先輩、Takako Saitoさんから、手紙が来ていた。心配してくれている。
「大切なのは、あなたが何を欲しているかです。あなたがどう感じているかです。それを1つ1つ明らかにしていくのだと思います。それは自己中心的になるということではなく、まったく、反対のもので、いかに自分の心の中におこる(他の中にいる自分)ささやかのものを見逃さないで対面するという意味です。」と、書いてあった。